39・そして銃声は鳴り止んだ
アメリカが連合軍に加わったことで、ドイツはその豊富な武器や兵員に圧倒され、それまで拮抗していた戦況は、同盟軍の不利になって行った。
更に時のアメリカ大統領ウィルソンが唱えた、『14か条の提言』の一つ・民族自決主義に触発され、オーストリア=ハンガリー帝国を形成していた、ボヘミアやルーマニア、バルカン半島諸国、遂にはハンガリーまで独立を宣言したため、オーストリアの領土は、従来の8分の1ほどに縮小してしまった。
ドイツでも戦死と病死による兵員の不足から、一般国民まで強制徴用したため、キール軍港からの出撃を拒んだ、水平たちの反乱が、革命の契機となった。
連合国もドイツ皇帝の退位を求め、ヴィルヘルム2世がオランダへ亡命した翌日には、オーストリアのカール1世も退位宣言に署名し、シェーンブルン宮殿を去って行った。
カール皇帝はあくまで退位に反対するツィタ皇后を、「退位するのはオーストリアの帝位だけで、ハンガリーの王位はまだ残っている」と言って、宥めるのが精一杯だった。
そして1919年1月に、パリで講和会議が開催され、ようやく大戦は終結を見た。
イザベラは「先生はこれからどうされるのです?」とパウルに尋ねた。
「もうドイツ軍もオーストリア軍も失くなったんですから、故郷へ帰って地域の人々のために働こうかと思ってます」
「先生の故郷ってどちらでしょう?」
「デュッセルドルフです。連合軍の空襲を受けたとかで」
(デュッセルドルフ・・・)それならクリスティーネのいる、アンホルトと割と近い街だ!と思ったイザベラは、反射的に「先生、私もお供させていただけませんか?」と言った。
パウルは目を丸くして、「しかしフランツ・ヨーゼフ皇帝は、我々の結婚を厳禁されたのでしょう?」
「その皇帝もオーストリア帝国も亡くなりました。ハプスブルグ家内法に則れば、新しい家長であるカール様に、許可をいただかなければならないのでしょうが、ご一家でスイスへ亡命されたと聞きますし」
「ご両親は何と言われるでしょうね?」とパウルが呟くと、イザベラは「私が生まれたボヘミアは、独立してしまったし、共和国になったオーストリアでは、ハプスブルク家の者は、国外へ退去するか、国内へ留まっていたければ、財産を没収するということになりました。
父もボヘミアとオーストリアにあった財産は全て没収され、ハンガリーのウンガリッシュの領地へ、母や弟と移りましたわ。
弟は終戦とともに、軍隊を辞めて農学校に入り、その領地の経営に専念するつもりらしいので」とイザベラはパウルに、テシェン家の現況を説明した。




