29・光と闇の交錯
年が明けて裁判所から呼び出しがあったイザベラは、ミュンヘンへ行って久々にゲオルクと顔を合せたが、お互い極力相手を誹謗するようなことは言わず、あくまで性格の不一致で押し通したが、何とか法律上の離婚は成立した。
ゲオルクはさよならは言わず、「世間は狭いからまたいつか、どこかでお会いするかもしれませんね」と言ったので、イザベラは「ええ、良い場所でお会い出来れば良いのですけど」と答えたきり2人は別れた。実に呆気なかった。
3月には教皇庁からも、結婚無効の許可が届き、これで完全に離婚は成立したが、案の定世間はこのスピード離婚について、あれこれ言い立てた。
イザベラは早く看護学校へ行きたかったが、始業は7月なので、その間ザルム=ザルム侯に嫁いだ、長姉のクリスティーネの元に身を寄せた。
クリスティーネはイザベラが、まだ10歳ほどの時に家を出たが、それまでやや厳し目だった母の、本来の母親が持つべき慈愛の部分を、弟妹に対して担当していたと言うか、イザベラにとっては第2の母とも言えるような姉だった。
クリスティーネのいるアンホルトは、ドイツ北西部のオランダ国境に近く、ウィーンからは遠かったが、それだけにウィーンでの雑音は届かず、優しい姉と可愛い甥姪たちには、この1年間で疲れ切った心が、癒されるような気がした。
そうして身も心もリセットした後、イザベラは約30年前、オーストリアでは最初に設立された、ルドルフイナ―ハウス看護学校に入学した。
学校の近くには学生のための寮があって、そこから通うことにした。
今まで乳母日傘で育った身だが、結婚前に修道院での集団生活を経験していたので、強ち自信が無い訳でもなかった。
学校ではシスター・イムデガルトと名乗って、ハプスブルク家の縁者だということは伏せていた。
初めは看護の基礎ー包帯交換や軽い創傷の手当て、患者のベッドメイクや食事の世話などから始まり、約3年間のカリキュラムの最後には、看護婦として規律や道徳、倫理等を学んで、晴れて卒業となるはずだったが、その間に行う現場実習ー提携病院で医師や先輩看護婦が、患者を治療したり、手術したりするのを見学し、慣れてくれば学生自ら医師の手術の介助や、患者の術後処置などをするようになるはずだが、それを意外な場所で行うことになろうとは、この時イザベラはまるで想像も出来なかった。
その切っ掛けとなった事件は、イザベラが入学して約1年後、それより数年前に、オスマン・トルコからオーストリアの施政下に入っていた、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サライェヴォで起こった。




