24・閑話休題
ここまで書き上げたことの中で、史実と違っていることを、幾つかお話します。
まずイザベラとゲオルクが、結婚して1年足らずで離婚した理由は、未だにはっきりしていません(証人によれば、新婚旅行中から、諍いが絶えなかったとも)。
しかし結果的に見て、離婚後ゲオルクは再婚せず、軍を退役した後は聖職者になったこと、結婚から離婚までイザベラとは、1度も体の関係を持たなかったこと等を鑑みると、2人は最初から一方或いは両方が、相手を気に入らなかったと言うのではなく(結婚が両性の合意ではなく、親や周囲によって決められた時代や階級で、それは珍しいことではなかったので)、やはり花婿の方に夫の務めが果たせない、何らかの理由があったのではないかと感じました。
結婚前のゲオルクと、平民女性の恋の噂は、後からこじつけられた、“都市伝説”のようなものに過ぎないのだけど、イザベラとの婚約時代か結婚直後のツーショットを見ると、2人とも幸せそうで、例えばルートヴィヒ2世とゾフィの婚約写真のように、余所余所しい感じが伺えず、少なくとも結婚当初はゲオルクは、「上手くやって行ける」と思っていて、生来の不能者とか男色家ではなく、一通りの女性経験は、あったのではないかと思えたため、その“都市伝説”を絡めて描いてみました。
もう一つ重要なのは新婚旅行のコースで、イザベラがイギリス到着後に、肺炎になりかけて、ロンドンの聖トーマス病院へ入院し、そこでアレクサンドラ王女と出会って、親しくなると言うのは、全くのフィクションで(王女の恋バナは史実)、イザベラが後に看護婦を志す、動機づけとして付け加えました。
スコットランドへも史実では行かず、真っ直ぐウェールズへ向かってアルジェを回り、パリを経て帰国するというコースを辿ったようです(ローマにも寄りませんでした)。
ところでイザベラには姉が6人、妹と弟が1人ずついて、4女と5女は幼少期に早逝したのですが、
6女は67歳まで存命していたにも関わらず、姉妹の中で1人だけ結婚もせず、修道院へも入らず、何の言動も記録に残さずに生涯を終えた、謎多き大公女でした。
すぐ上の2人の夭折から見て、彼女にも何か身体か、知的に障碍があったのかもしれません。
末っ子で唯一の男子アルブレヒトは、戦後は軍隊を辞して農学校で学び、領地を良く治めたそうですが、こと結婚に関しては、平民の女性3人と結婚・離婚を繰り返したため、2度目の妻との間に生まれた娘2人にも、当然家を継ぐ権利はありませんでした。
不思議なことに彼の従兄弟たち(フリードリヒ大公の兄弟の息子たち)も、何故か皆そんな貴賤結婚をしたり、生涯独身だったりしたため、テシェン家は彼らの代で断絶することになりました。




