16・瀕死の病人
しかしポーツマスに着いた朝、イザベラはいつになく体がだるく、起きるのが億劫だった。
思い起こせば2月にウィーンで式を挙げて、新婚旅行へ出発してから間も無く春を迎え、その春も終ろうとする時期になっていた。
慣れない長旅で疲れていた上に、季節の変り目で風邪でも引いたのかもしれず、船を降りて港近くのレストランで摂った食事も、余り口に入らなかった。
「お加減が悪いようなら、この辺りに宿を取って、何泊かお休みになっても良いかも」とゲオルクは言ったが、「でもイギリスに着いたら、王族の方々をお訪ねすると、前以てお約束なさっていたのでしょう?だのに余り先方をお待たせしても悪いから、ロンドンまでそれほど時間は掛らないし、一息ついたら出発しましょう。ただの風邪だと思いますので」と、イザベラは気丈に答えた。
しかしロンドンに近付くにつれ、コンパートメントの座席の背に寄りかかっていても、体のだるさは増すばかりで、咳も頻繁に出るようになった。
侍女のベニーがイザベラの額に手を当て手首を握ると、「どうもお熱があるみたいで、脈も速いようです」とゲオルクに告げ、「お会いになる予定のコンノート公には、早目にご連絡なさった方がよろしいでしょう。お妃様が急病のため、ロンドンに付き次第、そちらの病院で診察していただこうと思うので、少なくとも今日明日には、お目に掛かれそうにありませんと」と、彼女は更に進言した。
しばらくすると一行はウォータールー駅に着いたが、イザベラの体調はますます悪くなったらしく、咳も激しくなり足元も覚束ないので、歩かせるのは無理と見てゲオルクが彼女を抱き上げ、その場へ呼んだタクシーに乗せた。
「もしかすると肺炎かも知れませんので、早目に大きな病院で診ていただき、治療してもらった方がよろしいかと存じます」と、ベニーはイザベラには聞こえぬよう、ゲオルクの耳元で囁いた。
この頃はまだ抗生剤が無く、肺炎は手当てが遅れると命に関わる、死亡率の高い病気だった。
車はテムズ川を挟んで、ウエストミンスター寺院の向かいにある、聖トーマス病院へ向かった。




