15・日は昇り、日は沈む。
セーヌ川の河口ル・アーブルは約40年前、クロード・モネが『印象 日の出』を描いた港で、そこには今でもあの絵の通り、小さな漁船が集まっていたが、ただ一行がそこへ着いたのは、日の出の時刻ではなく、ちょうど日の入りの頃だった。
ここからドーバー海峡を渡って、ポーツマス港へ着くには約半日掛かるので、今夜はその船の中で、一泊する予定だった。
ゲオルクはああ言い切ったものの、心の中ではまだ迷っているように見えた。
結局自分次第なのだと、イザベラは思った。
自分のせいで1人の女が不幸になるのは寝覚めが悪い。
だから彼女がこのままで良いと言うなら、それに付き合う。
しかしそれは嫌だと言っても、彼女が今以上に、辛い立場に立たされるのも忍びない。
要するに私が離婚しても、修道院へも入らず、分相応な相手と再婚して幸せになるのが、彼にとっては(私にとっても)最も望ましい結末なのだろうが、それは現時点では、イザベラにも確約できなかった。
修道院へも入らず生涯独身で、家の厄介者にもならずに生きて行く方法?
この時代ではまだ、女性が独りで生きて行く道は限られていたし、そうでなくても分家とはいえ、ハプスブルグ家の大公女の身で、働いたことなど無く、他にどんな方法があるのか、まるで想像も付かなかった。
この頃からイザベラは、ゲオルクのことは余り考えなくなり、彼女の頭の中は、自分の行く末の方が、多くを占めるようになっていた。
イザベラは最初はゲオルグの身の上に同情したが、彼は離婚してもまた軍人に戻れば良いだけだし、そうでなければそれこそ望み通り、彼こそ修道院に入れば済むことだ。
ゲオルクには弟がいるそうだし、彼が生涯独身で子が無くても、家が絶えることはあるまい。
でもイザベラは彼と別れても、元も気楽なお姫様生活に戻れるとは思えなかった。
ゲオルクがイザベラを心配するのも、彼女が今より不幸になれば、その原因となった自分が憎まれるのを恐れてのことだろう。
こうなればもう体だけでなく、心も夫婦にはなれないのかもしれない。
お互い自分のことで手一杯で、相手を思いやる余裕を失くしているのだから。
実際その夜2人は同室であってもベッドは別にし、「今日はお疲れ様」「おやすみなさい」「明日はいよいよイギリスですね」などといった、挨拶程度の会話しか交さなかった。
結局別れの原因を作るのはいつも男で、別れの決断を下すのはいつも女だ。




