相当のマゾ
その日は、まるで何かから逃げるように帰宅した。
玄関の扉を開け、靴を脱ぐ。
鞄を放り投げるように置き、そのままソファへ倒れ込んだ。
「……疲れた」
たった一日。
高校二年生になってから、それなりに平穏な日々を過ごしてきた俺にとって、今日はあまりにも濃すぎた。
転校生。
美少女。
隣の席。
そして、謎の部活への強制勧誘。
どれもこれも、俺の人生には必要のないものだ。
「お兄さん、何かあった?」
声がした。
顔を上げる。
そこにいたのは、一つ下の義妹――沢村宝だった。
俺の姿を、まるで道端に落ちている異物でも見るような目で眺めている。
「……何だよ」
「いや、お兄さんがそんな死んだ魚みたいな顔してるから」
「変な奴に絡まれた」
「へえ」
宝は特に興味もなさそうに返事をする。
「お兄さんに絡む人なんているの?」
「それがいるんだよ」
「……」
宝はしばらく俺の顔を見つめた。
そして、ぽつりと呟く。
「相当のマゾだね」
「……」
否定できなかった。
不覚にも、俺は深く納得してしまった。
「だろ?」
「何でお兄さんが納得してるの」
「いや、まあ……」
確かにそうだ。
あんな奴が、わざわざ俺に絡んでくる理由が分からない。
俺だったら、俺みたいな奴には近づかない。
「で、どんな人?」
「転校生」
「女?」
「……そう」
「美人?」
「……まあ」
宝の目が少しだけ細くなる。
「へえ」
「何だよ」
「別に」
そう言いながら、宝は台所へ向かった。
「お兄さん、青春してるね」
「してない」
「顔が青春してる人の顔じゃないよ」
「どういう顔だよ、それ」
「疲れ切ったサラリーマン」
「高校生に向かって言う言葉じゃないだろ」
宝は小さく笑った。
俺はため息を吐きながら天井を見上げる。
……青春なんて、ろくなものじゃない。
そう確信した一日だった。
* * *
翌朝。
俺は日直だった。
そのため、いつもより少し早く家を出た。
教室に着いた頃には、まだ誰もいない。
「……一番乗りか」
静かな教室。
昨日までと何も変わらない。
俺は安心した。
昨日の出来事は、きっと一時的なものだ。
今日こそは平穏な一日を――。
「あら、沢村君」
「……」
聞き覚えのある声。
俺はゆっくりと振り返った。
そこには、昨日と変わらぬ姿の諏訪之瀬はじめが立っていた。
朝日を背にして、こちらを見ている。
「おはよう」
「……おはよう」
「今日も舐めた顔してるわね」
「朝一番に人の顔を評価するな」
「褒めているのよ」
「どこがだ」
「昨日より少しだけ酷い顔になっているもの」
「それは褒めてないだろ」
俺は自分の席へ向かう。
すると、彼女も当然のようについてくる。
「何だよ」
「何が?」
「何でついてくる」
「私の席もそっちだから」
「……そうだったな」
昨日一日で忘れたかった事実を、再確認させられた。
俺が席に座ると、諏訪之瀬も隣の席に腰を下ろす。
「ねえ、沢村君」
「何だ」
「昨日の話、考えてくれた?」
「考えてない」
「青春研究部のこと」
「入らない」
「即答ね」
「当たり前だ」
「でも、部員第一号はあなたよ」
「勝手に決めるな」
「もう決まったことよ」
「俺の人生を勝手に決めるな」
すると彼女は、少しだけ口角を上げた。
「なら、今日から活動を始めましょう」
「……は?」
「青春研究部、第一回活動よ」
「待て」
「何かしら?」
「部室は?」
「ないわ」
「活動内容は?」
「決まってないわ」
「顧問は?」
「いないわ」
「部員は?」
「あなたと私だけ」
「……」
俺は頭を抱えた。
どうやら俺の平穏な高校生活は、昨日で終わったらしい。
そして何より腹立たしいのは――。
その状況を、俺自身が少しだけ面白いと思ってしまったことだった。




