表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
DEVIANT DETECTIVE  作者: 藤山理想


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/16

9#Blossom Burst

「構えてみろ」

 ロキの短い指示が、夏の湿り気を帯びた埼玉の山林に響いた。

 心春は背筋を伸ばし、腰のホルスターからグロックを引き抜く。二週間の訓練で一連の動作は身についたが、手には未だに硬質な緊張がこびりついている。彼女は両手でしっかりとグリップを握りしめ、前方の闇を射抜くように構えた。

「まだだ。無駄な力が入ってる。もっと力を抜け」

 背後からロキの大きな手が伸び、心春の拳の上に重なる。体温を伝わせるようにグリップの角度を微調整し、心春の肩を軽く叩いて強張った筋肉を解した。

「引き金は指の腹で絞るように……そう、そのまま息を止めるな。標的と呼吸を合わせるんだ」

 廃寺へ向かう道中の埼玉の県境、標高の高い山林はお盆の熱気を忘れさせるほど冷え込んでいた。

 頭上には満月が居座り、銀白色の光を無慈悲に地上へと降り注いでいる。その光はあまりに明るく、これから起きるであろう血生臭い惨劇を冷ややかに予感させていた。


 あれから二週間。ロキがかつて愛用していたという使い古されたグロックを渡されたあの日から、心春の生活は一変した。

 夏休みの日々は銃の分解図や弾道計算の資料を頭に叩き込む日に変わり、夏休みの宿題の時間はすべて射撃訓練へと費やされた。

 毎日、指先がマメで潰れ、手首が悲鳴を上げても、彼女はただひたすら銃を手に馴染ませ続けた。

「……的に当てる」

 それが二週間前の心春にとっての果てしない目標だった。

 今の彼女は、眼前に並べた空き缶を、最低限の精度で射抜くことができるくらいには成長していた。

 ロキが自身のデザートイーグルを抜き、スライドを引く乾いた金属音が静寂を切り裂く。心春は震える指先を銃のトリガーにかけ、深く、長く呼吸を吐き出した。


 二週間。素人がなんとか戦場の入り口に立つための、あまりにも短い、絶望的なまでの時間だった。心春は銃口の向こう側、廃寺が佇む闇を見据え、自分の鼓動が早鐘を打つ音を聞いていた。

 ロキは深く吸い込んだ煙を、夜の静寂の中にゆっくりと吐き出した。その表情には、これから始まる死闘への焦燥感や重圧など微塵も感じられない。彼は悠然と、山道の脇に停車させていた愛車の『ツインマグナ』に背を預けた。クロームメッキが月光を反射し、漆黒の闇の中で鈍く輝いている。


「ここからは、もう練習はできないからな」

 その言葉は警告というよりも、冷徹な現実の確認だった。

 数キロ先、月光に浮かび上がる山肌に、目的の廃寺が黒い影のように口を開けている。そこには、第一部隊の精鋭たちを拳で粉砕した怪物『金剛夜叉明王』が潜んでいる。


 心春は心臓の鼓動を意識的にコントロールしようと、何度も深呼吸を繰り返した。再度ホルスターにグロックを戻し、再び抜き放つ。冷たい鉄の感触が、掌を通じて心春の闘志を鼓舞する。

「俺と、レイラと、シンヤが戦う。お前はもしもの時のための助っ人だ」

 ロキが心春を真っ直ぐに見据える。その視線には、彼女をただ守るべき弱者としてではなく、この戦場の一つの駒として見ている重みがあった。

「今は、余計な力は抜いておけ。極限状態であまりに張り詰めすぎれば、いざという時に銃口がブレる」

 そう言ってロキは、もう一度だけ煙草を深く吸い、足元で乱暴に揉み消した。


 心春は自身の拳を固く握りしめ、その後、指の力を完全に解いた。ロキの言った通りだ。今必要なのは無用な緊張ではなく、いついかなる時でも標的を撃ち抜ける柔軟な集中力。

 ゆっくりと両腕を上げ、銃口を廃寺の方角へと向けた。指先に残るわずかな震えを、冷たい夜風が吹き飛ばしていく。遠くから、何かが大地を揺らすような、低く重たい唸り声が微かに聞こえた気がした。


「……あの、ロキさん。レイラさんとシンヤさんも、ロキさんと一緒に戦うんですか?」

 心春が尋ねると、ロキは短く「そうだ」と答えた。

 心春の中にある、あの凛としたレイラの姿と、戦場という言葉がどうも結びつかない。あのスーツ姿のクールな女性が、まさか武器を振るって戦うなんて。

「レイラは刀『神威』を使いこなす。元々はどこかの神社の巫女さんらしいな」

「巫女さん……」

 ロキの言葉に、心春は想像を巡らせた。あの強気なレイラが、巫女服を着て舞っている姿。スーツ姿の彼女からは想像もつかないが、どこか神聖な雰囲気が漂っている気もした。

「じゃあ、シンヤさんは? あの人も刀とかナイフとか使うんですか?」

「あいつは武器なんて持たん。殴ったり蹴ったりだ」

 ロキはあっさりと告げた。

 呆気にとられる心春。

「……あいつは落神を体内に飼っているからな」

「落神を……飼う?」

 心春は思わず眉をひそめた。それは、取り憑かれているということなのだろうか。それとも、もっと恐ろしい何か。

「詳しくは俺も知らん。……ただ、人ならざるものをその身に宿すってのは、それ相応の代償があるってことさ」

 ロキの横顔は、木漏れ日の影に隠れて読み取れない。その言葉に心春は少しだけ胸を痛めた。死闘を繰り広げる彼らもまた、何かを背負って戦っているのだと、心春は改めて感じた。

「まあ、あいつらなら大丈夫だ。心春、お前は自分のことだけ考えてろ」

 ロキの言葉に、心春は不安を振り払うように頷いた。

「いくか」

 ロキの短く低い呟きは、エンジン音にかき消されるようにして夜の闇に吸い込まれた。彼は漆黒のフルフェイスヘルメットを被り、その鋭い眼光をバイザーの奥に隠すと、慣れた動作で愛車『ツインマグナ』に跨る。

 心春も赤のフルフェイスヘルメットを被り、ヘルメット越しに視界を確保した。慣れない重みに少し首を傾げつつ、ロキの背中に歩み寄る。

 腰に手を回し、しがみつくように力を込める。ロキがその手の感触を身体で確かめるように一瞬肩を揺らし、次の瞬間、アクセルが力強く回転数を上げた。

 重厚な排気音が山林を震わせ、ツインマグナが静寂を突き破って躍動する。

 心春は心臓が口から飛び出しそうな緊張と、高まる鼓動をロキの背中に預けた。風を切り裂き、月光に照らされた険しい山道を、バイクは獣のような速度で駆け上がっていく。

 廃寺に潜む『金剛夜叉明王』の待つ場所へ、二人を乗せた漆黒の鉄馬は真っ直ぐに突き進んでいった。






 廃寺の敷地に到着すると、ロキは慣れた手つきでヘルメットをバイクのミラーに引っ掛けた。心春もそれに習い、赤色のフルフェイスをバイクに残す。

 静まり返った境内には、お盆の季節特有の湿った風と、線香の燃えかすのような古い匂いが漂っている気がした。こんな機会でもなければ、決して足を踏み入れることはなかったであろう不気味な廃寺の佇まいに、心春は思わず背筋を震わせた。


「レイラさんとシンヤさんは、まだ来ていないんでしょうか?」

 周囲を見回しながら小さく尋ねると、ロキは鼻で笑い、前方へ視線を向けた。

「いや、もう来てるさ。奥の方に、あの二人の『力』を感じる」

 ロキがゆっくりと歩き出す。その足音は砂利を踏む音さえも立てないほど静かだった。心春は、暗闇に飲み込まれそうな境内の中でロキの存在だけを頼りに、その背中にピッタリと寄り添うようにして追随した。


 境内を進むにつれ、廃寺の本堂から、今まで感じたことのない異質な気配が濃くなっていく。それは信仰の残り香ではなく、激しい憎悪と闘争心――『金剛夜叉明王』が放つ、人を寄せ付けない圧倒的な威圧感。

 心春がホルスターの中のグロックのグリップに触れ感触を確認した時、本堂の奥から、レイラの声が聞こえた。


 レイラの言葉には、怒りよりもむしろ、現場の緊迫感に対する苛立ちが色濃く滲んでいた。月光が彼女のスーツのシルエットを鋭く浮かび上がらせ、鞘に収められた『神威』の柄に置かれたその手は、いつでも抜刀できる準備が整っていることを示している。

「遅いわよ、ロキ。心春ちゃんまで連れてきて……まさかデート気分なわけ?」

 いつもの不機嫌を通り越し、今の彼女からは張り詰めた殺気すら漂っていた。

 その隣で、シンヤは軽薄な様子をかなぐり捨て、拳をぶつけて鈍い音を立てる。アロハシャツの裾が夜風に翻り。ただ彼が纏う空気が、BAR『gimlet』で見た陽気なそれとはまるで別物へと変貌していた。

「ぶっちゃけ、このお嬢ちゃん連れてそのまま高飛びしたかと思ったわ」

 シンヤのニヤつきは消えていない。だが、その瞳の奥にあるのは獲物を狩る捕食者の眼光だ。

 思わず息を飲んだ。ただのロキの同僚だと思っていた彼らが、今は戦場において互いの背中を預け合う「プロフェッショナル」の顔をしている。


 心春は自身の腰にあるグロックの感触を確かめ、小さく拳を握りしめた。二人の圧倒的な威圧感を前に、自分の存在がちっぽけなものに思える――

 ロキは二人の言葉をまともに受け取る様子もなく、平然と腰の銃に手を当て言い放った。

「連れてきたのは、戦力としてだ。無駄口は終わりだぞ。もう来る」

 その言葉に、場の空気が一瞬にして凍りつく。レイラが刀の鯉口を切り、シンヤが低く唸るような気合を吐き出した。廃寺の奥、深い闇の中から、地響きのような唸りと、地面を揺らす重厚な足音が、すぐそこまで迫っていた。

 闇を切り裂くように、本堂の奥からその姿が現れた。

 身長2メートルを超えるその異形は、かつて心春が目にしたどの落神とも比較にならないほどの質量を伴ってそこに立っていた。肌を刺すような重苦しい気圧の変化に、心春の喉がヒュッと鳴る。ヴィーナス・メトロポリタンでの遭遇も、あのグレーのスーツの男の冷気も、この圧倒的な存在感に比べれば霞んで見えるほどだった。


『金剛夜叉明王』


 その体躯からは、何人もの命を奪い尽くした怨念が、ドス黒い炎のように揺らめいている。

 次の瞬間、境内の空気が弾けた。

 ロキが流れるような足捌きで間合いを取り、愛銃であるデザートイーグルとレッドホークを両手に構える。二つの銃口が吸い付くように異形の急所を捉え、その一挙手一投足には無駄な動揺が一切ない。

「――っ!」

 横に控えていたシンヤが、獣のように前かがみになった。その瞬間に彼を包み込んだのは、剥き出しのエネルギーだ。

 彼の身体能力を極限まで引き上げる『落神』の力が、全身の筋肉を膨張させる。

 そしてレイラ。彼女がいつ抜刀したのか、心春の動体視力では捉えることすらできなかった。気づけば、冷光を放つ『神威』が月光を吸い込み、すでに完璧な構えで異形に対峙している。

 三人のプロの殺気。それがあまりに鋭く、空間を支配していることに心春は息を呑んだ。

 自分も動かなければならない。心春は震える手でホルスターからグロックを引き抜いた。

 銃を握る指先に力を込め、必死に自分の世界を保とうとする。だが、異形の放つ圧力が強すぎて、銃口を定めるべき一点が定まらない。

 異形がゆっくりと、六本の腕のうち二本を前へと突き出した。その拳が空気を握り潰す。

 地響きを伴う異形の拳が、空気を圧縮しながら叩きつけられた。凄まじい速度のワンツー攻撃。

 だが、その拳が境内の土を粉砕するより早く、シンヤが己の拳から敵と逆ベクトルのワンツーをぶちかまし、その衝撃を正面から打ち消した。

「――レイラ!」

 シンヤの叫びは、放たれた斬撃の音と重なった。

 閃光のような一閃が夜気を走り、落神の右腕二本が根元から虚空に舞う。断末魔のような呻きすら上げない異形は、それでも執拗に、残された最後の右腕をレイラへと叩き込もうとする。

 だが、死角から響いたのは重厚な銃声だった。

 ロキが放った二発の弾丸が、空中で異形の腕を的確に粉砕する。肉片と血の飛沫が月光を汚し、レイラはその一瞬の硬直を見逃さず、瞬時に異形との距離を大きく取った。


「すっ……ごい……」

 後ろで一部始終を見守っていた心春は、言葉を失った。プロたちの連係は、まるで一つの生き物のように流麗で、完璧だった。心春の心臓が、恐怖から戦慄へ、そして純粋な感嘆へと切り替わる。

 その時、戦闘でわずかに熱を帯びたロキの声が、心春の鼓膜を震わせた。

「心春、飲まれるな」

 振り返りもしないロキの声は、戦場の喧騒の中にあって、驚くほど優しく、穏やかだった。

 彼が自分をただの観客ではなく、対等な存在として信じていることがその一言で伝わってくる。

 背筋を駆け巡っていた冷たい震えが、急速に引いていく。

 指先から力が抜け、最も効率的で、最も安定する――銃を制御するための「最適な握り」が、自然と形作られていった。

 グロックを構え直した。

 今度は、銃口が一切の迷いなく、六本の腕を持っていた怪物の中央を捉えている。彼女の中で、恐怖の澱みが消え、冷徹なまでの集中が宿った。


「……一撃食らったら終わりだな、こりゃ」

 シンヤが荒い息を吐きながら、腫れ上がった拳を握り直す。その背中には、極限の緊張が筋肉の隆起となって表れていた。

 レイラは『神威』に付着したどす黒い血液を鮮やかに振り払い、静かに、しかし一点の隙もなく構えを戻す。

 半分の腕を削ぎ落とされ、破壊してもなお、金剛夜叉明王が放つ威圧感は衰えるどころか、むしろ死に瀕した獣のような鋭さを増していた。

 ロキが流れるようなサイドステップで陣形を変え、銃口を火花のように閃かせた。

 乾いた銃声が二度、境内の静寂を切り裂く。

 一発は異形の左腕を深々と抉り、もう一発はあろうことかその脳天を正確に撃ち抜いた。

「好機!」

 ロキの放った銃弾で異形が一瞬よろめくのを、シンヤは見逃さなかった。地を蹴り、爆発的な加速でその懐へと潜り込む。全身の力を一点に集中させ、止めを刺さんと拳を振り上げた――その時だった。


「――浅いッ!!」


 ロキの張り裂けんばかりの叫びが響く。銃弾の直撃を受けた異形へのダメージは思ったよりも薄かった。それどころか、銃弾によって抉られたばかりの左腕が、シンヤの視界を覆い尽くすほどの速度で、信じられない軌道を描いてカウンターを放ってきたのだ。

 シンヤの脳裏に、今の拳を腹に叩き込めば、自分の体が先に砕け散るという確信がよぎる。

 思考するより早く、彼は身体を捻った。

 振り上げようとしていた渾身の一撃を、あろうことか迫り来る異形の巨大な拳へと真正面から叩きつける。

 シンヤの拳と、異形の拳が衝突した。骨が軋む音とともに、シンヤの身体が衝撃で吹き飛ばされる。

「シンヤッ!」

 後方にいたレイラが走り出す。

 レイラの神速の斬撃が、空を切り裂く軌道を描いた。白銀の刃が落神の残った左腕を鮮やかに切り飛ばし、切断された部位が月光に照らされて虚空を舞う。

「終わりだ」

 ロキが迷いなく引き金を絞る。火を噴いた二発の弾丸は、残心の間もなく落神の脳天を正確に貫いた。

 衝撃で頭部の右半分が霧散し、巨大な肉塊は地響きを立てて天を仰ぎ、そのまま膝をつく。

 死の予感が境内に満ち、それまで四方を圧迫していた濃厚な落神のエネルギーが、霧が晴れるように薄れ始めた。勝利の確信が、レイラとロキの意識にわずかな隙を生む。


 ――その刹那だった。


 膝をつき、絶命したはずの落神の残された顔が、突如として不気味に歪む。レイラとロキに向けられたその巨大な口が、限界まで開かれた。喉の奥に、死の間際の執念が凝縮された破壊の光が奔る。

 レイラもロキも、落神が最後の一撃を放とうとしていることを認識していた。だが、あまりに唐突な反撃に、プロである彼らの神経でさえ反応がコンマ数秒遅れた。二人の脳裏に、自身の身体が光に焼かれる光景が過ぎる。

 その絶望的な静寂を切り裂いたのは、鋭い金属音だった。


「――ッ!!」

 声にもならぬ叫びと共に、心春がその身を空へと投げ出していた。

 彼女は後方に控えていた位置から、落神の視界の外側へと飛び込み、空中姿勢のままグロックのトリガーを絞り切った。

 真横からの至近距離による正確無比な一撃。

 弾丸は落神のコメカミ辺りを強烈に突き上げ、その重心を完全に崩した。

 グラリと大きな弧を描き、落神の巨体が右へと大きく傾く。

 崩れた巨体の口から放たれた破壊の光は、レイラとロキのわずか数センチ横を通り抜け、虚しく夜空を切り裂いて遙か彼方へと消えていった。


 境内に静寂が戻る。


 重い音を立てて倒れ伏した落神の身体を見下ろし、ロキは呆然とした視線を、着地したばかりの心春へと向けた。心春は震える手で銃を握りしめたまま、その瞳には未だ消えない闘志を宿していた。


 静寂が戻った境内に、心春の足音が小さく響いた。

「レイラさん、大丈夫ですかっ!」

 心春が駆け寄ると、さきほどまで冷徹に神速の斬撃を振るっていたレイラは、刀を杖代わりにしてその場にへたり込んでいた。

 極限の集中と死の恐怖が去り、緊張の糸が切れたのだろう。

 レイラは心春を見上げると、弾かれたように心春の身体へとしがみついた。

「……心春ちゃん、ありがとう……っ」

 先ほどまでの凛とした女戦士の姿はどこへやら、レイラは心春の肩に顔を埋め、まるで迷子のこどもがやっと見つけた親に縋り付くような頼りなさで抱きついている。

 小さな心春の腕の中に身長高めのレイラが収まっているその光景は、戦場の厳しさとは対照的にどこか滑稽ですらあった。

 心春は戸惑いながらも、その背中をぎこちなくポンポンと叩く。


 一方、ロキは倒れ伏した『金剛夜叉明王』の巨体が、月光に溶けるようにして灰色へと変貌し、塵となって霧散していくのをじっと見守っていた。

 落神の怨念が完全に消滅したことを確認し、彼はようやく深い安堵と共に、愛銃をホルスターへと収めた。


「……ギリギリだったな。心臓が縮むかと思ったぜ」

 背後の瓦礫の中から、呻き声を上げながらシンヤが這い出てきた。彼は泥にまみれたアロハシャツを払い、痛む脇腹をさすりながら苦笑いをする。その足元はまだ少しふらついていたが、死線を超えた者特有の、どこか晴れやかな空気が漂っている。


 一服つけるためにDEATHを取り出した。ライターの火が、闇夜に小さく灯る。

 四人。誰も欠けることなく、この地獄のような夜を切り抜けた。境内に吹き抜ける風が、先ほどまでの血の匂いを薄めていく。ロキは煙を細く吐き出しながら、仲間たちの様子を満足げに眺めた。

 ロキは落神の霧散した残滓をその身に取り込むと、静かに目を閉じてエネルギーの循環を確かめた。不老不死の彼にとって、それは生を繋ぐための必要な儀式だ。

 呼吸を整えたロキは懐から携帯電話を取り出し、JINへと発信した。

「……終わった。こちらの被害は軽微だ。二人分の迎えを頼む」

 受話器の向こうから何かを言い返す声が聞こえていたかもしれないが、ロキは返事も聞かずに無造作に電話を切った。

 その背後では、心春がレイラに肩を貸し、よろよろと歩み寄ってきていた。シンヤも瓦礫の山から這い出し、泥を払いながら何とか自力で歩ける程度には回復の兆しを見せている。

 その様子を眺めながら、レイラは肩を貸してくれている心春の腕を離さぬまま、呆れたようにロキとシンヤへ吐き捨てた。

「まったく……あんたら二人、バケモン並の回復力なんだから。少しは女の子を労るってことを覚えたらどうなのよ」

 血と土に汚れたスーツの襟を正し、レイラは不貞腐れたようにふいっと顔を背ける。彼女の口調は鋭いが、その瞳には心春の援護に対する安堵が隠しきれずに浮かんでいた。

 シンヤは苦笑いを浮かべ、そのまま力なく地面に座り込む。

「いや、参ったね。今回ばかりは俺も骨までボロボロだよ。……お嬢ちゃんのあの援護がなきゃ、今頃俺らはただの肉塊になってた。ありがとうな」

 シンヤの言葉に、心春は少しだけ照れくさそうに笑う。

 その隣で、ロキが静かに心春を見下ろした。彼は先ほどまでの冷徹な戦士の表情を解き、心春の頭にそっと手を置く。

「よくやった。正直、俺の想定以上だ」

 その声は心からの称賛だった。

 心春はロキの掌の温もりを感じながら、胸を張って問いかける。

「……頼りになる相棒でしょ?」

 ロキは微かに口角を上げ、

 屈託のない笑みを浮かべた。

「そうだな。文句なしの、最高の相棒だ」

 夜の静寂が戻った埼玉の山中で、四人の穏やかな呼吸だけが重なっていた。

 満月は依然として高く昇り、彼らの戦いの終わりを静かに見守っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ