7#Festival Foundation
七月の終わり、湿気を帯びた熱気が校舎の窓から教室へと流れ込んでくる。窓の外ではセミが騒がしく鳴き立て、夏休みを目前に控えた特有の気怠げな空気が教室を満たしていた。
壇上に立つ心春は、学級委員としてまとめ役を務めているはずだった。しかし、黒板の前で繰り広げられる激しい対立を、彼女はどこか遠い世界の出来事のように感じていた。
「だから! 準備のしやすさを考えたら焼きそば一択でしょ! 文化祭の定番なんだから!」
「はあ? あんたバカじゃないの? 女子高の文化祭に焼きそばなんて色気なさすぎるでしょ! 王道のメイド喫茶に決まってるじゃない!」
教室の中央では、焼きそば派とメイド喫茶派に分かれた女子生徒たちが激しく火花を散らしている。
聖女子学園の生徒特有の、熱心でありながらもどこか華やかな怒号が交差する。本来であれば学級委員としてこの対立を収めるべき立場だが、心春の意識はその喧騒のさらに先――窓の外に広がる、どこまでも高く青い空へと向かっていた。
この先の夏休み、どんなことが待っているんだろう。
ふと、ロキがいる新宿裏路地の探偵事務所を思い浮かべる。あの場所で漂う冷えた空気と、混じる煙草の匂い。この教室の騒がしさとは対極にある、静かで、しかし常に死と隣り合わせの非日常。
「ねえ、心春ちゃんはどう思うのよ? どっちかハッキリ決めてよ!」
メイド喫茶派の女子が、業を煮やしたように心春へと詰め寄ってくる。現実の騒音に引き戻され、心春はぼんやりとした視線を壇上から教室へと戻した。
「えっ……あ……」
あやふやな言葉を漏らし、心春は再び窓の外へと視線を逃がした。聖女子学園の制服を着た少女たちの熱狂が、今の彼女にはとても眩しく、そして少しだけ自分とは別の場所にいる人々の物語のように感じられた。
窓から吹き込む風が、心春の制服の襟元を揺らした。教室を支配する熱気と生徒たちの視線に、心春はゆっくりと息を吸い込む。このまま答えを出せば、どちらかの派閥に亀裂が入り、せっかくの文化祭準備がギクシャクしてしまう――そんな責任感だけが、かろうじて彼女を学級委員として繋ぎ止めていた。
「……ねえ、どっちの意見も、すごく魅力的だよ」
心春が穏やかな声で切り出すと、周囲の女子たちが一瞬だけ沈黙し、彼女の言葉に耳を傾ける。
「どっちも素敵で、どっちも捨てがたいから……私、今すぐには決められないよ。みんなも納得できる結論を出したいから、今日はゆっくり家に帰って、それぞれ今夜もう一回考えてきてくれないかな?」
「えー、でも……」
不満そうな声が漏れかけたが、心春のどこか儚げで、しかし芯の通った瞳に見つめられると、女子生徒たちは渋々といった様子で頷いた。
「わかった、じゃあ明日まで持ち越しね」
「そうね、ゆっくり考えてくるわ」
クラスメイトたちが次々と席へ戻り、騒がしかった教室にようやく平穏が戻る。心春は安堵のため息をつき、壇上から降りた。
明日は終業式。いよいよ長い夏休みが始まる。
ロキの元へ帰る場所がある彼女にとって、学校という場所は、かつてのように「日常のすべて」ではなくなっていた。あの裏路地の事務所で待つ男の背中が、今の自分にとっての本当の日常であるかのように。
『ヴィーナス・メトロポリタン』の惨劇は、まるで遠い過去の出来事のように日常の底に沈んでいった。
その頃からロキは意識的に心春を落神の気配から遠ざけているように感じた。あるいは、「餌」としてではなく、ただの少女として保護したいというロキなりの配慮だったのかもしれない。
平穏な日々は、探偵事務所『BlueMonday』の空気のように静かに、しかし確実に積み重なっていた。
『BlueMonday』の重厚なドアノブに手をかけた瞬間、背後から凛とした声が響いた。
「お嬢さん。ここはあなたみたいな女の子が来る場所じゃないのよ。……早くおうちに帰りなさい」
振り返ると、そこには黒髪の女性が立っていた。仕立ての良いスーツを完璧に着こなし、その佇まいからは研ぎ澄まされた刃のような気配が漂っている。心春は不意を突かれ、きょとんとした表情で瞬きを繰り返した。
「えっと……あの、ここが私の家なんですけど」
心春が戸惑いながらそう告げると、女性は驚愕に目を見開いた。彼女の凛とした表情が崩れ、信じられないものを見るような視線が心春から事務所の扉へと移る。
「……はあ?」
女性は心春の返答を咀嚼する間もなく、迷いのない動作で心春を押し退けるようにして扉を勢いよく開け放った。
「ロキ! あんた女子高生たぶらかして、どういうつもりよ!!」
怒気を含んだ声が事務所内に響き渡る。
部屋の奥、窓際の安楽椅子に腰を下ろしていたロキは、手元で広げていた新聞をゆったりと折り畳み、サイドテーブルに置いた。慌てる様子もなく、慣れた手つきでタバコに火を灯し、紫煙を細く吐き出す。
「相変わらず騒がしいな、レイラ」
ロキは灰皿にタバコを置くと、押し入ってきた女性を静かな瞳で見つめ、呆れたように付け加えた。
「なにか大きく勘違いしてるぞ。お前のそのヒステリックな思い込みには、いつも感心させられる」
心春は入り口で立ち尽くし、冷ややかな視線を交わすロキとレイラの間に流れる、張り詰めた空気をただ見つめることしかできなかった。
突如として現れた美しいスーツの女性と、彼女を煙たがるロキ。その板挟みになり、どう振る舞えばいいか戸惑っていた心春だったが、このままではいけないと意を決して小さく一歩前へ出た。
「えっと……初めまして。坂東心春と申します」
心春は背筋を伸ばし、学校で教わった通りの丁寧な所作で頭を下げた。
突然の同居人の登場に怒りを露わにしていたレイラだったが、心春のあまりに真っ直ぐで礼儀正しい態度を前に、張り詰めていた肩の力がふっと抜けたようだった。
レイラはジッと心春の瞳を射抜くように観察していたが、やがて小さく溜息をつくと、事務所の中央にあるソファへと腰を下ろした。
「……私の名前はレイラ。ロキの同僚みたいなもんよ。よろしくね、心春ちゃん」
先ほどまでの険が嘘のように、レイラは柔らかい笑みを浮かべて手を差し出した。心春はホッとして、差し出されたその涼やかな手に軽く手を重ねる。
そのやり取りを見ていたロキは、煙草の煙を天井へと逃がしながら鼻で笑った。
「同僚というか、『後輩』だな」
「あら、言葉には気をつけなさいよ。どちらが先輩かしらね?」
レイラは優雅に足を組み替え、挑戦的な笑みをロキへと向ける。二人の間に流れるのは、殺伐とした任務の場とは異なる、どこか気心の知れた者同士の――あるいは、長い年月を共有してきた者にしか出せない特有の空気だった。
二人のやり取りを交互に眺めながら、自分とは違う世界に生きる大人たちの距離感に、少しだけ気後れしつつも興味を惹かれていた。
ロキが自分に対して見せる無愛想な態度とは、また違う表情。心春は、ロキが心を開いている相手の存在を目の当たりにしていた。
「それで、心春ちゃん。なんであなたがこんな危険な場所……ロキと一つ屋根の下に住んでいるの?」
レイラは興味深げに心春へ問いかけた。その瞳は、ただの世間話以上の鋭さを帯びている。
心春は反射的にロキの方を向いた。どこまで話していいものか。言葉を選ぼうと逡巡する心春に対し、ロキは安楽椅子に深く沈み込んだまま、くゆらせていた煙草を灰皿に押し付け、小さく顎を引いた。
許可を得たと判断した心春は、レイラの視線を真っ直ぐに受け止めて口を開いた。
「私には……自分でもよくわからない力があって。そのせいで、無自覚に落神を惹き寄せてしまうんです。私のその力のせいで、お父さんが衰弱してしまった時、ロキさんが助けてくれて……。父の命を守るために、ここへ住むことになったんです」
飾り気のない、素直な告白だった。しかし、それを聞いたレイラの表情は、たちまち険しくなった。彼女はロキを射抜くような鋭い視線で睨みつける。
「……落神を惹きつける力。本当なの、ロキ?」
先ほどまでの追求の矛先が変わり、レイラの声から冗談めいた響きが消えた。彼女は心春から視線を外し、真剣な眼差しでロキを射抜く。
ロキは灰皿にタバコを押し付けると、短く「ああ」とだけ答えた。その一言に、一切の虚飾はない。
レイラは組んでいた足を解き、腕を組んで思案するように視線を落とした。数秒の沈黙の後、彼女はゆっくりと顔を上げ、細めた瞳でロキを見つめた。
「……これだけの特異体質を、あんたは隠し通す気だったの?」
「隠しておけるものならな」
ロキの言葉は短く、冷徹な響きを帯びていた。
答えの裏にある真意を、心春はうまく汲み取ることができなかった。ロキが何を懸念し、何を天秤にかけていたのか。けれど、レイラは即座にその言葉の重さを理解したようだった。彼女は唇をきつく結び、先ほどまでの刺々しい問いかけを飲み込む。
「ところで、なんの用でここへ来た」
ロキが唐突に話題を変えた。心春には、それがレイラの追及をかわすためか、仕事に対する純粋な疑問なのかは判断できなかったが、今の張り詰めた空気を和らげたいという意図が少しはあることが伝わってきた。
レイラは立ち上がり、心春に背を向けて窓の風景を一度だけ横目に見る。
「JINからの呼び出しよ。たぶん、名有りの落神ね」
レイラの声は、先ほどまでの激昂とは打って変わり、冷徹で事務的な響きを帯びていた。心春は「名有り」という言葉に、背筋に冷たいものが走るのを感じる。それは、この前のビルでの戦闘を彷彿とさせる、異質の予感だった。
「今夜七時。gimletに集合」
それだけを伝えると、レイラは淀みのない動作で事務所のドアを開け放った。去り際、彼女はドアノブに手をかけたまま、振り返ることなくロキへと言い捨てる。
「その子の簡易的な報告は、私がJINにしておくわ。……あとはあんたが直接しなさいよ」
カツ、カツ、というヒールの音がビルの階段に響く音が部屋に入り込んでくる。ドアが閉まると同時に、事務所内には再び重い静寂が戻った。心春はレイラの去った扉を見つめたまま、今夜「gimlet」で起きるであろう出来事を想い、小さく息を呑んだ。
レイラが去った後、事務所を支配していた緊張感は霧散し、いつもの静けさが戻ってきた。窓際から差し込む夕光が、ロキの周りに漂う薄い煙を黄金色に染めている。
ソファの端に座り、いくつもの問いを喉元までせり上げては飲み込んでいた。レイラのこと、ロキのこと、そして「名有り」の落神について――。どこから口を開くべきか迷い、膝の上の指先を弄っていると、不意にロキの低い声が響いた。
「……公安ZERO課。通称、落神対策本部というものが存在する」
心春は顔を上げ、ロキを見つめた。彼は安楽椅子に深く腰掛けたまま、窓の外の新宿の裏路地を眺めている。
「俺は、その一員だ。あいつ、レイラもな」
短く、淡々とした告白だった。しかし、心春にとっては衝撃的な事実だった。ロキが危険な落神と戦っていることは知っていた。だが、それが国の公的な組織に属する人間であり、レイラもまたその一員だという事実に、彼女は驚きを隠せず、ただ瞳を大きく見開いた。
「公安……ですか? ……ロキさんが、国の人……」
心春の中で、ロキという男の輪郭が少しだけ変わった気がした。ただの探偵や落神の捕食者としてではなく、この社会の裏側で、誰にも知られずに異形と戦い続ける公的な存在。
「驚くことじゃない。……お前が引き寄せる落神も、放っておけば俺たちの『仕事』になる。それが、この世界の裏側の仕組みだ」
ロキは煙草の灰を落とし、冷ややかな、しかしどこか隠しきれない重圧を滲ませた眼差しで心春を見据えた。
「……なぜ、今になってそのことを?」
心春の声は小さく、震えていた。これまでの数ヶ月間、ロキは彼女をただの「餌」として扱い、無関心を装っていた。それなのに、なぜこのタイミングで公安の情報を開示したのか。
ロキはすぐには答えなかった。安楽椅子に深く背を預け、煙草の煙が紫煙となって立ち上るのをじっと見つめている。やがて、ゆっくりと口を開いた。
「もし、公安に心春の存在が露見すれば――お前は間違いなく囚われる」
冷徹な断定だった。
「お前が持つ『神の寵愛』は、組織にとって最高級の素材だ。一度目をつけられれば、二度と人並みの人生など歩めなくなる。ただの実験体として、一生を檻の中で終えることになる可能性もあった」
感情を排した、あまりにも冷酷な言葉。しかし、その突き放すような口調の裏側に、心春は隠しきれない焦燥と、かすかな、しかし切実な保護の色を感じ取っていた。
恐る恐る、一歩踏み込むように尋ねた。
「……ロキさんは、ずっと私を守ってくれていたんですか?」
ロキの指先が、わずかに止まった。彼は新しい煙草に火をつけると、心春の方を見ようともせず、乱暴に紫煙を吐き出した。
「勘違いするな」
煙の向こうから響く声は、どこまでも突き放すように冷たい。
「俺は俺のために、お前を匿っているだけだ。お前が公安に奪われれば、俺の『餌』がなくなる。それだけの話だ」
ロキの言葉は強固な壁のように心春を拒絶した。だが、その背中は、不器用なほど頑なに心春を外敵から遠ざけようとしていた。心春はその冷たい言葉の背後にある熱を、痛いほど理解していた。
「私も……今日、その『gimlet』に行きます」
心春はソファから立ち上がり、ロキの視線から逃げず、真っ直ぐに見返して力強く言い放った。心春の瞳には、かつての怯えた少女の面影はない。
煙の向こう側で、ロキが眉をひそめ、心春の瞳を射抜くようにじっと見つめている。やがて、彼は低く問いかけた。
「……行って、どうするつもりだ」
「もちろん、私はロキさんといるので、私に関わらないでくださいって……そう言います!」
心春の言葉には、自分を守ろうとするロキへの反発と、対等なパートナーでありたいという静かな情熱が込められていた。一瞬の沈黙の後、ロキはふっと口元を緩め、小さく息を漏らして笑った。
「……はっ。そうか」
ロキは煙草を灰皿に押し当て、心春を見据える眼差しから鋭さを消した。
「今まですまなかった。多少……お前を子供扱いし過ぎていたな」
その謝罪の真意を測りかねて、心春はきょとんとした表情を浮かべる。面白がられているのか、それとも認められたのかは分からない。ただ、心の中に灯った「自分の意思で戦う」という決意は、以前よりも強く心春の胸を熱くしていた。
「とりあえず……腹でも満たしていくか?」
ロキの問いかけに、心春は心の中で今日の夕食を巡る思考を巡らせる。昨日食べたいつものオムライスも良かったけれど、今日はケチャップの効いたナポリタンの気分かもしれない。
「……あ、最後に一つ、聞いていいですか」
心春は不意に足を止め、ロキの背中を見つめた。ロキは「なんだ」と短く応じ、安楽椅子から立ち上がる。心春は迷いに迷った末、胸の奥で燻っていた最も気になる問いを口にした。
「レイラさんは……ロキさんの、彼女さんなんですか?」
不意打ちのような質問に、ロキは動作を一瞬だけ止め、鼻で大きく笑った。
「そんなわけあるか」
短く吐き捨てると、ロキは揉み消したばかりの煙草の吸殻を灰皿に捨て、心春の方へ振り返ることなく事務所の出口へと歩き出した。
その表情は見えなかったが、その背中が少しだけ早足になったような気がして、心春は小さく吹き出した。
喫茶店『三葉』は、外の喧騒を遮断したかのようないつもの穏やかな空気に満ちていた。
ロキはアイスコーヒーのグラスに溜まった水滴を指でなぞりながら、店主の荒波へと視線を向ける。
「荒波……ここ、喫煙にならないか」
無造作に放たれた問いに、カウンターの奥で手際よく皿を拭いていた荒波は、にこやかな笑みを崩さずに切り返した。
「ロキ様が煙草を卒業される頃には、そうなるかもしれませんね」
「……そうか。そりゃ当分無理だな」
ロキは短く鼻で笑い、諦めたようにアイスコーヒーを一口飲んだ。
目の前には、湯気を立てるナポリタンの皿が置かれている。一口頬張れば、トマトソースの酸味と絡み合った濃厚なチーズのコクが口いっぱいに広がり、食欲を刺激する。ただ美味しいだけではなく、どこか心まで解きほぐすような優しい味付けは、『三葉』ならではのものだった。
食後の紅茶を楽しみ、ふと顔を上げた心春は、視線が合うことに気づいた。ロキが煙草を手にすることなく、静かな眼差しで彼女を見つめていたのだ。
「……どうかしたんですか? 私の顔に何か付いてますか?」
心春が不思議そうに首を傾げると、ロキはわずかに目を細めた。その瞳は、いつもの冷徹な捕食者の色ではなく、まるで観察するような、あるいは何かを確認するような不思議な温度を帯びていた。
「いや……お前が今から『gimlet』でどうなるか、少し不安でな」
不意に漏らされたその言葉に、心春はティーカップを置く手を止めた。ロキの瞳は、冗談を言っているようには見えなかった。あの冷徹な彼が、自分のために素直に弱音――あるいは懸念を口にするなど、これまでの数ヶ月間ではあり得ないことだった。
心春は驚き、それから胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「大丈夫ですよ」
心春はそう言って、少しだけ強がって見せた。
「私、こう見えても学級委員長なんですから。クラスの対立なんて日常茶飯事……どんな問題が起きたって、どんとこいです!」
紅茶で喉を潤し、小さく胸を張る心春を見て、ロキは呆れたように、しかし温かみを帯びた笑みを浮かべた。
「そりゃ悪かったな。学級委員長なら安心だ」
その言葉に心春は苦笑しつつも、心の中でふと文化祭の準備に思いを馳せた。
焼きそばか、メイド喫茶か。膠着した二択の先にある出口が見つからず、彼女はふと、目の前で優雅にカップを拭いている荒波に目を向けた。
「あの、荒波さん。もし二つの選択肢で迷って、どちらも決められない時って、どうすればいいんでしょうか?」
荒波は一瞬だけ考える素振りを見せ、それから慈愛に満ちた笑顔で答えた。
「そうですねぇ……どちらかを選ぶのではなく、いっそ、もっと楽しそうな『第三の選択肢』を混ぜてみるのはいかがでしょう? 悩む時間さえも、素敵なスパイスになるはずでございますよ」
「第三の選択肢……」
その言葉を噛みしめていると、ロキが椅子を鳴らして立ち上がった。
「さて、行くか」
「はい!」
慌てて立ち上がり、コートを手に取る。
「ご馳走様でした」
心春の言葉に、荒波は深々と丁寧なお辞儀をした。
「ええ、またいつでもお待ちしておりますよ。心春様も、ロキ様も」
『三葉』の柔らかな光を背に受け、二人は夜の新宿へと歩き出した。心春の胸の中には、荒波から貰った「第三の選択肢」というヒントと、これから向かうgimletへの覚悟が、静かに同居していた。




