2#Zero Zone
カウンターの向こう側、鈍い光を放つボトルを背にバーのマスターのような男が静かにグラスを拭いている。
BAR gimletの重厚な空気を共有していたのは、3人の来訪者だ。
色鮮やかなアロハシャツを羽織った金髪の男、黒髪を無造作に流しカジュアルな装いに身を包み静かな気配を漂わせる男、そして黒髪をタイトに束ね、硬質なスーツ姿を凛と着こなす女。
あまり接点があるように見えない三人は、カウンターに腰掛け各々好きな酒を煽っていた。
「先日の狩りは、ご苦労だったな」
グラスを磨く手を止め、カウンターの中の男が低く響く声で労いの言葉を投げかける。だが、その言葉に安らぎはない。
「挨拶なんてどうでもいいわ。私たちを呼んだ要件を早く言って」
女は手元のバーボンを宝石でも扱うかのように繊細に一口含み、氷が溶け合う音だけを残して冷徹に言い放った。
その硬質な態度に、横から金髪の男がクツクツと喉を鳴らして笑う。
「そんなんだからモテないんだぞ、レイラ」
ビールジョッキを片手に持ち、楽しげに冷やかしを入れる。スーツの女が鋭い視線を投げつけるが、当の本人はどこ吹く風だ。
その隣で黒髪の男が小さく溜息を吐き、ポケットから取り出した『DEATH』にライターの火を近づける。
「シンヤ、お前はもう少し落ち着きを持った方がいいな」
紫煙を燻らせながら諭すように言う。
金髪の男は空になったジョッキをカウンターに置き、悪戯っぽく肩をすくめた。
「俺が落ち着ける時は、大概お前らが一緒にいない時だな」
乾いた笑い声を残し、彼は水のように冷えたビールを喉の奥へと流し込んだ。
店内の喧騒とは無縁の、公安ZERO課特有の張り詰めた空気が、グラスの結露と共にテーブルを濡らしていく。
カウンターの奥の男はグラスを置くと、無造作に三枚の写真をカウンターへ滑らせた。
並べられたモノクロームの記録には、男二人、女一人の姿が収められている。どれも街を歩けばすれ違う、何の変哲もない市井の人間だ。
「名前持ちの落神の依頼は無い。今、こちらで観測しているのはこの三体だ」
その言葉が落ちるか落ちないかのうちに、シンヤが風のような速さで手を伸ばした。
「おっ、俺は女の子がいいな」
軽薄な笑みを浮かべ、迷うことなく女性が写る写真を引き寄せる。その鮮やかな手並みに、レイラは呆れたように息を吐いた。ロキは紫煙を細く吐き出しながら、冷めた視線をスーツの女に向けた。
「好きにとってくれて構わない」
促されたレイラは、小さく鼻を鳴らして応じる。
「選り好みしてたらプロとは言えないのよ」
そう言い捨てると、彼女は自分に最も近い位置にあった男性の写真を、指先でゆっくりと手元へと引き寄せた。
最後に残った一枚。ロキはそれをスッと手に取り、そこに写る男の顔を静かに見つめた。どこにでもいそうな、無個性な面構えだ。
しかし、その瞳の奥に潜むはずの渇望を想像し、彼は薄く唇を歪める。
「焦ることはない……か」
呟きと共に、ロキは『DEATH』を灰皿に押し当てた。燻っていた火が消え、静かな夜の匂いがわずかに店内に広がる。それぞれの獲物を手にした三人の間に、仕事の始まりを告げる緊張感が薄く漂い始めた。
手にした写真を無造作に懐へと滑り込ませると、椅子から立ち上がった。背を向けて出口へと歩き出し、振り返りもせずに軽く手を挙げる。
「二人とも、あまり無茶はするなよ」
若輩者たちにかける無意識の慈しみだった。
「――その子供扱い、ほんとムカつくわ」
レイラの苛立ちを含んだ吐息が背中に刺さる。続いて、シンヤの爽やかな笑い声が店の静寂を破った。ロキはその笑い声を背中で受け止めながら、古びたドアを押し開ける。
外へ出ると、春の残滓を追い払うかのような、少しだけ湿り気を帯びた初夏の風が頬を撫でた。心地よささえ感じる夜気の中、ロキは探偵事務所『BlueMonday』への帰路につく。
舗装された道路を踏みしめる靴の音だけが、新宿の夜に溶けていく。
懐に入れた写真の主は、まだ何も知らずに日常の皮を被っているはずだ。
いずれ訪れる終わり――死の宣告を、ロキは夜風の中に静かに思い描いていた。




