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DEVIANT DETECTIVE  作者: 藤山理想


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11/16

11#Campus Carnival

 9月の半ばだというのに、新宿の空は相変わらず湿り気を帯びた熱を孕んでいる。

 探偵事務所『BlueMonday』の窓を開け放っても、入ってくるのは都市特有の焦げ臭い風ばかりだ。


 ロキはデスクに深く腰掛け、指先でくゆらせたタバコの煙を天井へと押し上げた。デスクの上に広げられた公安からの報告書には、ここ最近の「落神」の動向が記されているが、彼が求める手がかりはどこにもない。

「……また空振りか」

 情報の少なさに苛立ちを感じていたのは、もう過去のことだ。100年の月日は、期待外れの結末に対しても、ロキの感情を鈍らせるには十分な時間だった。彼は小さく溜息をつき、灰皿にタバコを押し付けた。


『金剛夜叉明王』を討伐し、腐敗の落神の討伐が続けざまに起こってから、世界は少しだけ静かになった。

 あれ以降、遭遇する落神はどれも大したことの無い個体ばかりで、特筆するほどの脅威もなかった。

 だが、平穏が続く保証などどこにもない。嵐の前の静けさか、それともただの凪か――その判断がつかない不安定さこそが、この職業の常だった。

 とはいえ、飢えの心配はない。体内には十分すぎるほどの力が満ちている。ロキはデスクに置かれた二丁の相棒――デザートイーグルとレッドホークを一瞥し、重い身体を起こした。


 さて、と小さく呟く。

 ロキは再び新しいタバコに火を灯すと、窓の外、喧騒の新宿へと視線を向けた。

 重たい銃を無造作にデスクの引き出しへ投げ入れると、同時に『BlueMonday』のドアが勢いよく開いた。

「少しくらい禁煙しなさいよ」

 手で煙を扇ぎながら入ってきたのはレイラだった。いつもの公安での鋭いスーツ姿ではなく、今日は動きやすそうなカジュアルな服装に身を包んでいる。その装いは彼女の年齢相応の若々しさを強調していたが、ロキは鼻で笑って煙を細く吐き出した。

「俺が禁煙する頃には、お前はもうおばあちゃんだぞ」

 レイラは呆れ果てた表情で、デスクのあちこちに散乱している古ぼけた資料へと視線を走らせた。一目でそれが何を意味するものか理解した彼女の顔から、先ほどまでの軽口が消える。

「……まだ、追っているの?」

 低く、静かな声だった。

 ロキは冷めた珈琲を一口含み、視線を資料から動かさずに短く答える。

「当たり前だ」

 その声には、100年という時間をかけて積み上げられた、一切の妥協も揺らぎもない意志が宿っていた。

 レイラは少しだけ寂しげな瞳でロキを見つめたが、それ以上は何も言わなかった。西日の差し込む事務所の中で、二人を隔てるのは吸い殻の溜まった灰皿と、決して埋まることのない歳月の隔たりだけだった。


「それで、準備はもういいの?」

 レイラが問いかけると、ロキは立ち上がりながら肩をすくめた。

「準備なんかいらないだろ。行く場所も決まってるんだしな」

 タバコとライターを手早くポケットに仕舞うと、事務所の照明を落とした。外に出ると、扉にカチリと鍵をかけ、並んで歩き出す。

 新宿の街角は週末の熱気で浮足立っており、行き交う人々がそれぞれの目的地へと急いでいた。


 駅の方へと向かう人混みに紛れながら、レイラがふと思い出したように口を開く。

「そういえば、心春ちゃんは文化祭で何の出し物してるの? あんた、ちゃんと聞いてる?」

「知らん」

 ロキの短すぎる返答に、レイラは思わず歩みを止めてロキを睨みつけた。

「あんたねぇ……。あんたら相棒なんでしょ? 普通、そういう話くらいしないわけ?」

 少し呆れたようなレイラの追及に、ロキは歩きながら少しだけ考え込んだ。心春との会話を脳内で反芻する。

 訓練の報告、落神の気配、たわいもない冗談――確かに、特定の話題に偏っているわけではない。

「お前とダラダラ喋ってる時よりは、よっぽど中身のある会話をしてる気がするがな」

「あんた、本当に性格悪いわね」

 レイラの非難の声が新宿の雑踏に溶けていく。ロキはそんな彼女の反応をどこか楽しむように、少しだけ口角を上げた。駅のコンコースへ続く階段が見えてくる。


 ガタンゴトンと揺れる電車に身を預け、最寄駅から少し歩くと、校門前に掲げられた賑やかな看板が見えてきた。

 普段なら『ツインマグナ』で駆けつけるところだが、心春に「文化祭の日はバイクで来るのは控えてほしい」と釘を刺されていたのだ。

「二人できてくださいね、か。なんでわざわざ俺とレイラを揃って呼ぶのかね」

 ロキが独り言のように呟くと、隣を歩いていたレイラがふっと鼻で笑った。

「あんたのことよ。一人で誘ったところで『面倒だ』とか適当な理由をつけて絶対に来ないだろう、って心春ちゃんが見越したんじゃない?」

「なるほど。鋭いな、それは」

 苦笑しつつ、納得せざるを得なかった。確かに自分一人なら、わざわざ雑踏の中へ足を踏み入れることはしなかっただろう。


 正門前は、家族連れやカップル、学生たちで溢れかえっていた。ロキは心春から預かった招待チケットをそつなく受付へと差し出す。係の生徒が笑顔でパンフレットを手渡し、「楽しんでください!」と元気な声をかけてきた。

 パンフレットを受け取ったロキがそれを無造作に眺めていると、背後でレイラがふわりと柔らかな表情を浮かべた。

「こういうの、なんだか懐かしいわね……」

 彼女の瞳には、学生時代の思い出が淡く映っているようだった。ロキは一瞥して、静かに前を向く。彼の150年の歴史の中に、このような「青春の追体験」と呼べるような思い出は一片たりとも存在しない。

 制服姿の生徒たちの笑い声や、色々な模擬店から発せられている香り、ロキにとってはどこか遠い世界の出来事のように感じられた。

 心春がこの場所で、どんな顔をして待っているのか。その一点だけを確認するために、ロキはレイラと共に人の波へと足を踏み入れた。

 レイラは歩きながら「小春ちゃんのクラスは……」と言いながら、パンフレットの中から心春のクラスの出し物を懸命に探している。

 その様子をただ黙って見つめていた。ロキの感覚には、空気のわずかな揺らぎとともに心春特有の気配が感じられていた。

 それはグラウンドの方角から漂ってきており、心春が持つ神の寵愛の柔らかな気配だ。

 ただ、レイラが楽しそうにしているのを邪魔するのは野暮だと感じ、ロキはあえて黙り込むことにした。

「見つけたわ! グラウンドの方みたいよ!」

 レイラはそう言うと、足早に人混みを縫って歩き出した。

 ロキは、やれやれといった風に肩をすくめると、楽しげなレイラの背中を追ってその後をついていった。


 グラウンドには様々な模擬店のテントが並んでいた。色とりどりのテントと飾りはどれもが楽しげな祭りを表現しているように見えた。

「レイラさん、きてくれたんですね!」

 グラウンドの隅に設営された模擬店の前に立つと、フリルをあしらったメイド服姿の心春が、目を輝かせて駆け寄ってきた。

「心春ちゃん、久しぶり! 」

 レイラは再会を喜ぶように、すぐさま心春の身体をぎゅっと抱きしめた。そして、心春の肩を掴んでぐいっと身体を離すと、上から下まで品定めするようにじろじろと見つめ始めた。

「可愛い! すごく似合ってるわよ、心春ちゃん。本当に似合ってる!」

「あ、あの……レイラさん、そんなにじろじろ見ないでください……!」

 心春は耳まで真っ赤にして、恥ずかしそうに身をよじった。


 そんな二人のやり取りを少し離れた場所から見ていたロキに気づくと、心春はふわりと嬉しそうな笑顔を向けた。

「ロキさんも、きてくれたんですね」

「ああ。わざわざ招待券までくれたんだ、無下にはできんからな。誘ってくれてありがとう」

 ロキが少しだけ口元を緩めて答えると、心春は照れくさそうに、しかし満足げに微笑んだ。ロキは彼女のメイド姿を一度ゆっくりと眺め、悪戯っぽく肩をすくめて言った。

「たまにはその格好で、事務所でコーヒーを入れてくれるのもありかもしれんな」

「……絶対しません。二度と言わないでください」

 心春は即座に、きっぱりと拒絶した。そのやり取りの合間にも、屋台からは食欲をそそるソースの焦げる香ばしい匂いが漂ってきて、文化祭の賑わいをいっそう盛り上げている。

「メイド喫茶なのに、メニューってオムそばだけなの?」

 レイラが不思議そうにメニューの立て看板を指差すと、心春は周囲を警戒するように少しだけ身体を寄せ、レイラの耳元でこっそりと内緒話をした。

「実は、メイド服を着たい派と、焼きそば屋にしたい派の意見が真っ二つに割れちゃって……。結局、両方混ぜたらこうなっちゃったんです」

 そんな経緯を聞かされたレイラは、思わず吹き出しそうになった。

「せっかく来たんだし、二つお願いするわ」

 レイラの注文を受けた心春は「すぐ作りますね!」と明るく返すと、テント裏の調理スペースへと駆け込んでいった。鉄板の前では、同じクラスの生徒たちが手際よく焼きそばを炒めており、心春も慣れない手つきながらも必死にヘラを動かしている。

 その様子を眺めていたロキとレイラの周囲には、興味津々のクラスメイトたちが次々と集まってきた。

「ねえねえ、心春ちゃんのお姉ちゃんですか?」

「もしかして、親御さん?」

 矢継ぎ早に飛んでくる無邪気な質問に、心春は調理の合間を縫って「ち、違うって!」「もう、後で説明するから!」と、少し顔を赤らめながら適当に流していた。

 その様子を腕組みして見ていたロキは、心春のそんな慌てふためく姿を見て、微かに口角を上げている。戦場で見せる彼女の鋭い瞳とはまるで違う、どこにでもいる一人の女子高生としての顔。

 それを見ることができただけでも、わざわざ人混みを抜けてきた甲斐があったと、ロキは静かに煙草をとりだそうとして、すかさずレイラに腕を叩かれた。


「お待たせしました!」

 心春が少し息を弾ませながら、安っぽい紙皿に盛られたオムそばを二つ、それぞれの手に手渡した。卵の黄色とソースの黒いコントラストが、いかにも学園祭らしい。

「ありがとう、心春ちゃん」

 レイラは心春の額の汗を拭ってやりたいような慈しみの笑みを浮かべると、続いて案内されたテント横の木陰スペースへ腰を下ろした。ロキもその隣に並んで座る。

 湯気を立てるオムそばに箸をつけ、レイラが先に一口頬張った。その表情がぱっと明るくなるのを見て、ロキも小さく笑ってから口に運んだ。

 香ばしいソースと、家庭的な卵の甘み。食事という行為そのものが、不老不死の彼にとっては極めて希薄なものになりつつあったが、こうして誰かと並んで口にする料理は、驚くほど新鮮に感じられた。

「……美味いな」

 ロキがポツリと呟くと、近くでこちらを窺っていたレイラが「でしょう?」と得意げに頷いた。

 忙しなくレジに立ち、働く心春の姿を眺めながら食事を楽しんでいると、不意に、近くを通りがかった女子生徒の三人組が足を止めた。

 彼女たちは興味津々な様子でロキとレイラを交互に見比べ、代表するように一人の女の子が声をかけてきた。

「あの、おふたりは恋人同士なんですか?」

 その言葉を聞いた瞬間、レイラは噴き出しそうになるのを必死に堪え、カラカラと明るく笑い飛ばした。

「そんなわけないでしょ! この無愛想な男と?」

 レイラの反応をよそに、隣にいた女の子は食い下がらずに視線をロキへと移した。

「えー、じゃあお兄さんが心春ちゃんの恋人ってことですか?」

 唐突に投げられた問いに、ロキはオムそばを口に運ぶ手を止めた。すぐ近くで接客をしていた心春の耳にもその言葉が届いたのか、彼女はレジ打ちの手を不自然に硬直させていた。

「恋人というよりは、相棒だな」

 ロキは平然とした様子でそう答えた。しかし、その言葉の意味が理解できなかったのか、女子生徒たちはきょとんとした顔で互いの顔を見合わせている。


「もう、お客さんを困らせないの! 戻って!」

 いつの間にかレジを離れていた心春が、少し慌てた様子で三人を注意し、追い払った。三人の女子生徒が残念そうに去っていくのを見届けると、心春は気まずそうに視線を泳がせながら、ロキとレイラに向き直る。

「ごめんなさい、変なこと聞いて……。せっかくですから、ゆっくりしていってくださいね」

 心春はそう言い残し、ぺこりと一礼すると、再びレジの方へと忙しなく戻っていった。

 いつの間にかオムそばを完食していたレイラは、頬杖をついてロキの顔を覗き込み、含みのある笑みを浮かべた。

「相棒、ねぇ……」

 レイラがわざとらしくニヤニヤと繰り返す。その声には明らかにからかうような響きが含まれていた。

 ロキはわざとらしく大きなため息をつくと、残っていたオムそばを再び口に運んだ。レイラの視線を無視するように淡々と食べる姿は、まるでそれが義務であるかのような作業に見えた。

 静かに咀嚼を続ける一方で、文化祭の賑やかな音楽と生徒たちの歓声は、刻々と午後の深まりを告げていた。


 食べ終わったロキとレイラは、再びレジに立っていた心春に軽く手を挙げて合図を送った。

「またな」

 ロキがそう短く言葉をかけると、心春はメイド服の裾を揺らしながら、「またね!」と少しだけ声を弾ませて返した。


 二人が校門へと向かう背中を、心春が少しの間だけ見つめているのに気づいたレイラは、歩きながら隣のロキを小突いた。

「ねえ、最後の一言。あれ、ちょっと恋人っぽかったんじゃない?」

「……何が恋人っぽいのか、俺にはさっぱり分からん」

 ロキが眉をひそめて真顔で返すと、レイラは肩を揺らして吹き出した。

「ほんと、あんたってそういうところよね」

 二人は他の店には目もくれず、人混みを縫うようにして正門を目指した。騒がしい校内から一歩外へ出ると、九月の風が少しだけ涼しく感じられた。正門の前で足を止め、レイラが軽く伸びをする。

「私はこのままgimletに顔を出してくるわ。情報収集もあるし」

「そうか。俺は事務所に戻る。……資料の整理がまだ終わっていないんでな」

 ロキが短くそう告げる。


 電車から降り、駅の喧騒を抜けて路上に降り立った時、ロキはそのまま『BlueMonday』への帰路につこうと背を向けた。しかし、背後からレイラの声に引き止められる。

「ねえ、ちょっとお茶でもしていかない?」

 ロキは立ち止まると、レイラを振り返りもせずに呆れたような溜息をついた。

「……ナンパにしては、随分と古臭い手だな」

「もう、細かいこと言い過ぎよ。たまにはいいでしょ?」

 レイラはロキの反応など意に介さず、楽しげな足取りで大通りから一本入った路地へと進んでいく。観念したロキは、足を引きずるようにしてその後を追った。


 ほどなくして二人が辿り着いたのは、古風な佇まいの喫茶店、いつも心春と行く『三葉』だった。ベルの音とともにドアを開けて店内に入ると、カウンターの中にいた店主の荒波が、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべて顔を上げた。

「お久しぶりです、レイラ様」

 荒波は深々と丁寧なお辞儀をし、二人の来訪を歓迎する。レイラは馴染みの客らしい落ち着いた動作で席へと向かいながら、言葉を返した。

「元気そうで何よりね、荒波さん。いつものやつをお願い」

 カウンターの端にある落ち着いた席へ腰を下ろすと、ほどなくして運ばれてきたのは、深みのある琥珀色をしたアイスコーヒーだった。

 氷が触れ合う涼しげな音を立て、二人はそれぞれのグラスを手に取った。先ほどまでの喧騒が嘘のように、店内にはゆったりとした時間が流れ始めていた。


「あんた、変わったね。いい意味で」

 レイラはアイスコーヒーで喉を潤しながら、興味深そうにロキの表情を見つめた。

 その言葉に対し、ロキはいつものように無愛想に言い返す。

「俺は変わらん」

 そう言って、習慣のままにポケットからタバコを取り出した。しかし、火を点けるよりも先に、背後から荒波の穏やかな、しかし拒絶を許さない声が響く。

「ロキ様、当店は禁煙でございます」

 一言で静止され、タバコの箱を渋々ポケットへと戻した。

「……心春ちゃんのお陰だね」

 レイラはロキのそんな様子を見て、楽しそうに目を細めた。彼女の瞳には、かつての冷徹なだけのロキとは違う、どこか人間味を帯びた今の彼の姿が映っている。

「それに、あんたがあんな風に笑っているの、初めて見たわ」

 文化祭での心春とのやり取り、そして事務所で見せるわずかな変化。レイラに指摘されても、ロキは否定も肯定もせず、ただ静かにアイスコーヒーのグラスに視線を落とした。

「……そうだな」

 短く、重みのある肯定。店内に漂う焙煎されたコーヒーの香りと、静かな空気の中で、ロキは自分の内面にわずかな変化が起きていることを否定できなかった。





 ようやく辿り着いた『BlueMonday』の事務所。ロキは乱雑なデスクの前に座るなり、先ほど喫茶店で我慢していた鬱憤を晴らすかのように、タバコに火を点けた。

 白く立ち昇る煙の向こうで、雑然と積み上げられた復讐のための資料が薄ぼんやりと霞んで見える。


 レイラの「変わった」という言葉が、頭の中で何度も反芻される。

 諦めか。忘却か。はたまた逃走か。

 自問自答しても答えは出ない。ただ、胸の奥で百年もの間、赤々と燃え続けていたはずの復讐の炎が、明らかに以前とは違う温度を帯びていることだけは否定できなかった。

 かつては唯一の存在意義であったはずのその炎が、今は氷が溶けるような速度で熱を失っている。


 今更復讐を遂げたところで、何が残るというのだ。


 自分自身の中に芽生えたその虚無的な問いに、ロキは戦慄を覚えた。百年という悠久に近い時をかけて研ぎ澄ましてきた刃が、錆びつこうとしていることに気づいてしまったからだ。

 ロキは指先のタバコを揺らしながら、散らばった資料を無造作に片付けていく。


「人は移ろい変わるものよ」


 かつて遺されたその言葉が、不意に脳裏をよぎる。もし今、あの人が目の前にいたとしたら、ロキは自分もまた「人」として数えられるのかと同じ問いを問いかけていたかもしれない。


 指先を熱くさせるまで短くなったタバコを、ロキは灰皿へと押し付けた。くすぶる煙が最後の一筋を上げて消えていく。事務所の静寂の中で、ロキはただ、自分の内に生まれた奇妙な凪のような感情を、逃げることも受け入れることもできずに抱えていた。

 ここ百年の歳月は、驚くほどシンプルだった。殺し、奪い、自らを磨き、そして標を探し続ける。ただその一点のみを軸に、ロキは永い時間を駆け抜けてきた。

 だが、今は違う。

 ロキはデスクの引き出しに手をかけ、愛銃であるレッドホークを取り出した。重厚な金属の感触が、掌に馴染む。グリップを握りしめ、かつてこの銃の持ち主だった人物の言葉を反芻した。


『あなたのしたい事をやりなさい』


 その人は、強い人だった。生きた年数など、ただの数字に過ぎないと思い知らされるほどに、その魂は澄み渡っていた。

 静かに銃を見つめ、当時の記憶を追体験するように指先で銃身をなぞる。

 かつてはただの暴力の象徴だったこの銃が、今は何か別の意味を帯びようとしている。

 深く溜息をつき、再びゆっくりとレッドホークをデスクの奥へと戻した。


 日が沈みかけ、空が深い群青へと塗り替えられていく夕暮れ時の事務所は、どこか現実と非現実の境目にあるかのような静謐な空気に包まれていた。

 指先で火をつけたタバコの煙をゆっくりと燻らせ、その神秘的なグラデーションを眺めるようにして時間を過ごしていた。

 やがて、事務所の扉が重い音を立てて開いた。


「ただいま」


 心春が疲れの混じった声で帰ってきた。


「おかえり」


 ロキの簡潔な返答が事務所の空気に溶け込み、一日の終わりを告げるように静かに響いた。

 心春の姿が視界に入ることで、張り詰めていた空気がわずかに解け、事務所はいつもの日常を取り戻していく。

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