表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/28

第二十七話

 お姫様抱っこ状態で穂波を海から引き剥がした俺は、駅から猛ダッシュしてきたのもあって吐きそうなくらい肩で息をしていた。

 それでも俺には穂波に言ってやらなきゃいけないことがあったから、荒い呼吸を整える間もなく腕の中の穂波に言葉をぶつける。

「この……馬鹿野郎……入水自殺なんて……苦しいだけだぞ……」

「悠希くん、なんでここに……?」

 穂波は俺の叱責などよりもっと気になることがあるようで呆然と俺を見上げていた。

「メッセージを飛ばしたのはついさっきだし、間に合うわけない……! そもそも私がここに来るなんてわかるわけ……」

「ごめん……穂波……自分で立ってもらっても……いいか……?」

「え……う、うん……」

 正直なところ限界だった俺は、そっと穂波を砂浜に立たせた。穂波が変な行動を起こす様子がないことを確認し、息を整えた俺はポケットから四つ折りになった一枚の紙切れを取り出した。

「これは……私が使ってる原稿用紙?」

 紙切れを開いた穂波は不思議そうな顔をしてそうつぶやいた。それは間違いではなかったけれど不十分な認識だったので補足する。

「それは『ルヴァンシュ』の一ページなんだ」

「えっ? いや、私、読み返したけど本文にこんな空っぽのページは……」

「本文じゃない。それは表紙と本文を区切る、空白のページ」

「あっ」

 穂波は表紙と本文を区切るように原稿内に空白のページを挿入していた。俺はそのページを抜き取ったんだ。

「でも、どういうこと?」

 穂波はいまだ腑に落ちない顔をする。それも当然だ、紙切れ一枚引き抜いただけで一体何ができるというのか。

 普通は何も起きない。でも、俺たちの間に限ってはそうじゃなかった。

「それを使って、ビブリオ・テレパスを繋げたんだ」

「――」

 答えを聞いた穂波は言葉を失っていた。ビブリオ・テレパスが繋がって思念が俺に流れたのならば今ここに俺が理由にも説明がつく。けれど穂波はすぐには飲み込めていないようだった。

 しばらく茫然自失していた穂波は途中で我に返ってつぶやく。

「でも……でもやっぱりおかしい」

 ビブリオ・テレパスが繋がったことに穂波はいまだに納得いってないようだった。

「ビブリオ・テレパスがどういう本で発現するか、結局わからなかったはず。それに二冊の本じゃなくて一束の原稿をわけて繋がるかどうかも、ほとんど賭けみたいなもの。それになにより、ビブリオ・テレパスはお互いが同時に本を開いた上で相手に考えを伝えようという意志がないと繋がらないはず」

 穂波は驚きと興奮がないまぜになった様子で言葉を続ける。

「私が原稿を読み返すかどうか、その時に悠希くんに考えを伝えたいと思うかどうか、そもそも読み返している時に悠希くんが紙に触れている保証すらない……!」

 そう、仕込みをしたとしてもそれが機能するにはいくつものハードルがあった。だけど俺も全部運任せで挑んだわけじゃない。

「一つ目については、仮説があった。たぶんお互いのことを思って同時に本を読んでいる状態がトリガーなんだ」

 一冊目の『モモ』も二冊目の「かの欺瞞的愛情からの解放」もビブリオ・テレパスが繋がった瞬間、俺は穂波のことを想っていた。そしてそれは穂波も同じだったはずだ。

「だから俺がずっと穂波のことを想ってこの紙を持っていれば、どこかのタイミングで繋がると思ってた」

 ずっと紙を持っていることで穂波が言った最後の「穂波が原稿を読むとして俺が紙を持っているタイミングと合うとは限らない」という条件もクリアされる。……まあ最初と最後の条件以外は賭けでしかないんだけど。

「ずっと……ずっとって、今日の朝からずっと⁉」

 穂波は愕然として様子で俺を見つめる。それももっともで、昨日は徹夜で今日も夜までずっと起きていたとなれば俺は丸二日寝てないことになる。

「……まあ、さすがにきつかったけど。おかげで間に合った」

 俺がボロボロなのは見ればわかるので平気なフリをして誤魔化したりはしなかった。

「そんなの……おかしいよ……そもそも私が自殺を企図しない可能性も、ビブリオ・テレパスが機能しない可能性もあったのに」

 驚きが収まって別の感情が昂ったのか、涙をぽろぽろと零す穂波は胸の内に秘めていた気持ちが口から溢れ出していた。

「やっぱりダメだよ……悠希くんとはいられない。私が悠希くんと一緒に居たら、きっと悠希くんを不幸にする。私のお母さんみたいに……。だから、私は君と一緒にはいれない」

 穂波は駄々をこねる子供のように反抗する。でも、今の俺の手には穂波の言葉を否定する材料が揃っていた。俺は言い聞かせるようにゆっくりと話す。

「穂波。ビブリオ・テレパスが繋がったということは、伝わった言葉は君が俺に本当に伝えたいと思った言葉なんだよ」

「っ!」

 君と一緒に歩めない私を、許してほしい。

 その言葉はただそのまま受け取れば贖罪だ。けれどその根幹にある想いを穂波自身、気づいていない。

 一緒に歩めば、不幸にしてしまう。だから自分は一ノ瀬悠希の前から消え去ろう。

でもそれは一緒に歩みたくないわけじゃない、むしろ本当は一緒に歩みたいと思っているから許しを請うたのだ。

それを嘘だとは言わせない。ビブリオ・テレパスは伝えたくないと思った想いは伝わらない。そうである以上伝わった想いは伝えたかった想いに他ならないのだから。

 泣きじゃくる穂波をそっと抱きしめ、彼女の柔らかさを感じながら俺は自分の想いを語り始める。

「……穂波のために、何ができるか考えたんだ」

 無力な俺に出来ることは何か。それを必死で考えた。

「『ルヴァンシュ』は凄い小説だった。本当に凄い小説だったんだ、きっと俺以外の誰かにも届くくらいに。それでも、その感情が君を幸せにするとはどうしても思えなかった」

 怒りという燃料を死ぬまで燃やし続ける。それが如何に険しい道かは想像すらできない。

「穂波の中には消えることのない憎悪の炎が燃え続けてるんだと思う。それが君という創作者にとって大切なものであることも、わかってる。だからそれを捨てろなんて言えないし、きっと言っても捨てられないと思った」

 穂波を救うためには穂波の心を否定する形ではダメだと思った。

「だから俺は思考を逆転させたんだ。穂波がお母さんに向ける感情を捨てられないなら、それよりも大きい感情を作り出せばいいんじゃないかって」

「より大きい感情?」

「ああ。穂波が夢中になって描きたくなる、君だけの主人公に俺がなればいい。そう考えた」

「――!」

 俺は世界を救うためや見ず知らずの人間のために主人公になれたりはしない。……でも、たぶん穂波のためならそうなれる。

 きっと鮮やかにはいかないだろう。華麗にもいかない。泥臭く、あがいて、見苦しい主人公かもしれない。

「うまく機能しないかもしれない仕掛けと根性でピンチをどうにかするなんて、主人公っぽいだろ?」

 俺はそう言って精一杯おどける。俺のカラ元気を見た穂波は泣き顔をこれ以上見られないように俯いて、一言だけ俺に告げた。

「……悠希くんは、ずっと前から私の主人公だよ……」

 俺たちはお互いが分かたれることのないよう強く、それでいて相手を傷つけないように、優しく抱きしめ合っていた。




 しばらく経った後、穂波は何かに気付いたように体を離し、俺の胸をぺたぺたと触りだした。

 あっ、もしかして……。

「なんか……悠希くん、筋肉ついた?」

「あー、まあ。うん」

 俺は歯切れ悪く誤魔化そうとするが、そうは問屋が卸さなかった。

「どういうこと? 鍛えてたってこと? そうだよね、前の悠希くんならお姫様抱っこどころかおんぶすら怪しかったし」

 問い詰めてくる穂波に俺は観念して両手を挙げ、正直に話し始めた。

「妹に頼れる男ってどんな人って聞いたら、とりあえずヒョロいのをどうにかすればって言われてさ。颯斗さんにお願いしてトレーニング方法を指導してもらってる」

 颯斗さんのトレーニングはその筋骨隆々の見た目通り、超ハードだった。ハードだった、というか毎週日曜日にやってるから明日もあるんだけど……。

 本当はもっと見た目にはっきり出てから教えたかったんだけど、バレてしまったようだ。

 俺の答えを聞いた穂波は……なぜか笑い出した。

「ふふっ……あはははは」

「何で笑うんだよ」

 筋トレして笑われるの理不尽すぎないか?

 笑いすぎて出てきた涙を拭きとりながら、穂波はこう言った。

「普通筋トレって彼女に振られたり告白が失敗してやることだよ。彼女に頼られる男になるために筋トレ始めるなんて……ふふっ……他のトレーニーに袋叩きにされちゃうよ……ははっ」

「いやその偏見もどうなんだ……?」

 そういう人が一定数いることは否定しないけど、それが全部みたいな言い方は誤解を招くだろ。しかし穂波は気にした様子もなく晴れやかな笑顔を浮かべていた。

「はぁ~心の底から笑ってスッキリした。とりあえず、今日はもう帰ろう? ……んっ」

 穂波はそう言って両手を突き出してくる。

「え?」

 穂波が何を求めているかわからない。穂波は自分の求めていることを察せなかったことが不満そうに口を開いた。

「お姫様抱っこ。さっきは突然でよくわからなかったからもう一回やって。家まで」

「……本気ですか?」

 もう体ボロボロなんだが。

「本気です。悠希くんは私の主人公様なんでしょ?」

「……仰せのままに、俺のお姫様」

 そんなことを言われたら無理を押してでもやるしかない。

 疲弊しきった体に鞭を打って両腕に彼女を抱え俺は思う。誰にでも優しい蒼井穂波が、俺に対してはわがままを言うこと。それ自体が彼女と俺の間の特別な繋がりのように感じて、俺は穂波に見えないように微笑んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ