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第二十一話

 あれから二週間後の日曜日、俺は池袋駅東口で穂波を待っていた。ジャンク堂本店に行くためだ。

 俺の中で蔵書数が多い大型書店はここか秋葉原の書泉ブックタワーのどちらかで、二人でゆっくり本を探すという意味ではこちらに軍配が上がる。

 まあ穂波と二人ならどこでも楽しいだろうけど、などと惚気たことを思いながら、今日の「裏目標」をどう達成するか考える。

 穂波の悩みを解消するために本屋に誘ったのは本心からだ。でもその上で俺は先週出来なかった「あること」をどうにか実現したいと思っていた。

 早めについてしまった俺はそんな取り留めもないことを考えながら、集合時間の十五分前から穂波を待っていた。


 しかし集合時間過ぎた今、穂波は未だ現れていなかった。


 普段の俺だったら、事故に遭ったのかもだの余計なことを考えてしまっていたかもしれないが、今の俺は至って平静だった。平静なまま、頭を抱えている。

 なぜなら、さっきからLINEの通知がひっきりなしに鳴り響いているから。

 集合時間十分前から続くやり取りを見返す。

『東武百貨店の方出たんだけど、集合場所ってどの辺?』

『そっちは西口。東口は西武百貨店の方』

『え⁉︎ 普通逆でしょ!』

『俺もそう思う』

 いや本当に。

 池袋大迷宮を彷徨う穂波の大冒険は続く。

『ねえ悠希くん……東口ってどの東口?』

『あ〜〜〜〜』

『というかなんで東口が複数あるの……? それに東口(中央)はともかく東口(北)と東口(南)って何……?』

『俺もそう思う。とりあえず東口(北)にいるからそこを目指してくれ』

 ざっくりと「池袋駅東口で待ち合わせ」なんて連絡した俺が悪かった。友達と待ち合わせなんてしたことなかったから細かく指定しなきゃいけないことまで頭が回っていなかった。

 よく渋谷や新宿駅の構内を「迷宮」なんて揶揄する風潮があるけど、池袋も大概だよな。案内板が微妙に役に立たないあたりむしろタチが悪い。

 最後のLINEから待つこと五分。ようやく穂波が集合場所に現れた。駆け足で来たようで軽く息が上がっている。

「はぁ……はぁ……遅れて……ごめんなさい」

「気にしなくていいよ。むしろ初めて池袋に来る穂波のこともうちょっと考えておくべきだった」

 落ち着かせるように声をかけるが、気にしいの穂波は申し訳なさそうだ。

「いやでも待たせちゃったのは事実だから。池袋めぇ……」

 そう言って池袋駅の看板をむぅ、と睨みつける穂波は遅刻なんて気にならないくらい可愛かった。

「まあまあ、無事着いたんだし早く行こうか」

 俺はそう言ってごく自然に穂波の手を取り歩き始める。

 そう、ごく自然にだ。穂波がすぐには何が起きたか気づかないくらいに、自然に。

 俺に引っ張られるがままに着いてきていたけれど、歩いて十秒後に何かに気づいたように赤面する。

「……!」

 俺の右手と穂波の左手は、それぞれの指を交互に重ねながら結びついていた。つまるところ、俗に言う恋人繋ぎだ。

 人混みに流されながら離れ離れにならないよう俺は少しだけ力を込めて手を握る。そうすると穂波からもまた小さく握り返してくる。

「……」

「……」

 俺たちの間に落ちた沈黙は、雑踏の喧騒を相殺してしまうほど強固で、甘い沈黙だった。




 ジュンク堂に着いた俺たちは、地下一階からゆっくりとフロアを巡りながらひとつずつ階を上がっていく。

 ミステリー新作が固まっているエリアに来た時、穂波が声を上げた。

「あっ、この人の新作出てたんだ」

 花見が手に取ったのは有名なミステリー作家の新作で、三ヶ月くらい前に発売されていた本だ。

 ちなみに俺は発売日に買って読んでいて、衝撃を受けていた。どんでん返しに次ぐどんでん返しで読んでる最中全く息を吐く暇がない小説で、読み終わった直後も動悸が治らなかったくらいだ。

 当時の感情を思い出して感想を語りたくて仕方がなくなった俺は、思わず本読みの禁忌を犯そうとする。

「あぁ、これ読んだよ。たしか――」

 口が滑りそうになった俺の唇に瞬間的に穂波の人差し指が向けられ、俺は思わず銃を突きつけられたかのように手を上げてしまう。

「悠希くん、ネタバレ禁止だよ?」

「ゴメンナサイ」

 恐ろしい笑顔を浮かべた穂波に俺は小さくなって謝罪する。ミステリーのネタバレは殺されても文句言えないからな……危なかった。

 そんなこんなで俺たちは店内を練り歩いていく。文芸やマンガ、ライトノベルなどのフロアはもちろん、哲学やビジネス書など普段は読まないジャンルの本棚も今日はなんとなく眺める。意外に面白そうなタイトルの本に溢れていて興味をそそられた。

 自己啓発本のエリアを歩いていた時、平積みになっている本を見て穂波はポツリと呟いた。

「『社会人は肉体が全て』『社会人は精神が全て』ってタイトルの本を同じ著者が出してるのってどうなんだろうね」

「まあこういうのはタイトルのインパクトが全てみたいなところはあるからな……」

 結局どっちなんだよ! ってツッコミたくなる気持ちになるけど、そういう気持ちになること自体が著者と出版社の手のひらの上で踊らされてる気がする。

 それに大々的にポップに書かれている発行部数を見る限りちゃんと売れているようだから中身も伴っているんだろう。

 とは言え高校生で自己啓発本を買うほど人生に切羽詰まってるつもりはないから手に取ることはなかったけれど。将来的にもそうであることを願いたい、なんて失礼なことを考えながら俺は自己啓発本のエリアを後にした。

 そうこうしている内に俺たちは最上階の九階に着く。

 この階は芸術や洋書がメインで、ざっと流し見して終わりだろう。俺たちの両手は道中見つけた複数の本で塞がっていて、本屋を十分に堪能した感が満載だった。

 穂波に何かの糸口が見つかったかどうかはわからないけれど、少なくとも俺にとって二人で過ごす本屋での時間は楽しかった。花見も同じであればいいけれど。

 そろそろお昼時だしどこかで昼食を取ろうかと考えていると、前方に人の集まりが目に入る。

「ん? なんだろうあの人だかり」

 フロアの奥の方になにやら列ができている。

 そういえばこのフロアには本以外にイベントスペースがあったはずだ。そこで行われるイベントに列を作っているようだった。

 何のイベントだろう、と気になった俺は列の邪魔にならないように近づく。

「……あぁ、サイン会か」

 スペースの入り口横にはポスターが飾られており、そこにはこう書いてあった。


 かの欺瞞的愛情からの解放 発売記念 盈先生サイン会


「盈って、あの作家か」

 ビブリオ・テレパスを繋げ、俺と穂波が再会するきっかけとなった本の作家。

 穂波が嫌っていたのは憶えていたから再会してからも話題には出していなかった。とはいえ俺にとってある種の恩人であることは間違いない。

 いろいろバタバタしていたからまだこの新作を読めていないが、最近よくこの本の広告を見かけるし今度読んでみようか。せっかく買ったんだし。

 ……そう言えば、嫌いなはずなのになぜ穂波はこの人の新作を持っていたのだろう?

 もしかしたら昔は好きだったけれど作風が変わって嫌いになったのかもしれない。俺にもそう言う作家はいるし、そういう作家の新作出た時はなんだかんだ買っちゃうんだよな。ワンチャン昔の作風に戻ってるんじゃないかって期待して。大体の場合スカなんだけど。

 そんなことを考えながらなんとなくポスターを眺めるとあることに気づく。

「へぇ、この人女性なんだ」

 ポスターの下部には大体うちの母さんと同じくらいの年齢の女性が写っていた。この人が盈らしい。

 初めて見る顔のはずだけど……なぜかデジャブを感じる。何かの文芸雑誌で顔を見ただろうか?

「せっかくだし参加する? ……あーでもこれ予約制か。隙間から顔くらい見れるかな?」

 好奇心が顔を出した俺に対し、穂波は少し俯きながら首を振った。

「いいよ、興味ない……悠希くん、早く下降りよう?」

 普段の元気な穂波からは想像もつかないような小さな声でそう呟く。少し不思議に思ったけれど、ずっと書店内を歩き回ってたから疲れたのかもしれない。この書店には椅子も用意されているし、休憩がてら使わせてもらおう。

「そう? じゃあ降りるか。エレベーター使おう」

 文芸のフロアは三階だし、ライトノベルや漫画みたいなエンタメは地下一階だ。どちらにせよエスカレーターで一つずつ下るよりはエレベーターを使った方がいいだろう。

 遠目にエレベーターのフロア表示を見ると、丁度下の階から登ってきたエレベーターが到着したようだった。

「先生、こちらです」

「ありがとう」

 エレベーターからエプロンを羽織った書店員とそれに続く女性が現れる。

「あれって……」

 さっき見たポスターに写っていた女性だ。ということはこの人が盈か。

「……!」

「ん?」

 なんだ? 目が……合った? しかもなんだか顔に驚きを浮かべている。俺とは初対面のはずだが……。

「あなた……」

 いや、違う。盈氏の目線は俺からは微妙にズレている。目が合っているのは……穂波?

 そこでようやく俺は気づく。隣にいる穂波の様子がおかしい。

 全身の震えを止められないと言った様子で、盈氏と目を合わせたまま固まっている。穂波の手のひらから本がバラバラと零れ落ちた。

「ハァ……ハァ……ハァ……」

「穂波?」

 過呼吸の瀬戸際になるほど息を荒くしながら、瞳孔を開いた目で一言、漏らす。

「お……母さん……」

「……え?」

 その言葉の俺が意味を咀嚼し切る前に、穂波の足から力が抜ける。

「穂波っ!」

 倒れ込む穂波を慌てて抱えながら地面に倒れ込む。自分が下敷きになって穂波の体は守ったけれど、彼女の意識は失われたままだ。

「す、すいません! 誰か救急車を!」

 半ばパニックになりそうな状態で俺は叫ぶ。

 けれど突然の事態に誰も動けず、世界が静止する。

 それはきっと五秒もなかった程度の時間だったけど俺にとっては永遠にも思えた。だからこそその静寂を破った声に、俺は心から安堵した。

「……私が救急に連絡を」

 騒然としたサイン会場で間髪入れずに行動したのは、そのサイン会の主役であるはずの盈氏だった。


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