昨夜、現像しとったら、撮った覚えのない写真があって
「もうすぐ文化祭だね」
「ああ……」
「高校に入って初めての文化祭だから、何かワクワクするよ。ねえ、アキトもそう思わない?」
「ああ……」
「ウチの空手部は主将が不在で、副主将の坂田先輩も入院中だから、今年は特に何もしないみたいだけど、クラスで何をするのか楽しみだよね。模擬店とか、お化け屋敷とか。そんなんじゃ、ありきたりかな?」
「ああ……」
「他のクラスは何をするんだろ? どうせやるなら別のものがいいよね? ――って、ちょっとアキト、聞いてるの?」
「ああ……」
「ねえ、アキトってば!」
つかさに肘を掴まれて、ようやくアキトは我に返った。
晴れ渡った朝の登校時間。隣に並んで歩いているのがつかさだと、アキトは初めて気づいたかのようだった。
「どうしたの、アキト? 何か難しい顔しちゃってさ」
「そっ、そうかぁ? そんなつもりはねえんだが……」
アキトは顔面をマッサージするみたいに撫で回しながら言い訳する。つかさは訝しげな目を向けてきた。
「いつものアキトらしくない顔をしてたよ。どっか具合でも悪いの?」
「だから……何でもねえって。それよか、お前の方こそどうなんだよ? 傷は大丈夫なのか?」
制服の上からだとあまり目立たないが、つかさは身体のあちこちに傷を負っていた。しかし、どれも大事に至るようなものではない。軽い打ち身や擦過傷程度だ。
当のつかさもケロッとしたものだった。
「何ともないよ、こんなの。――でも、不思議なんだよね。どうして、こんなにあちこち擦り剥いたりしているのか。このところ空手部には出ていないから、傷なんて出来るわけないんだけど」
「……覚えがねえってのか?」
「うん」
「まったく?」
「んー、ないんだよねえ。おっかしいなぁ」
つかさは昨日までのことなど、まったく憶えていなかった。
これはつかさに限ったことではない。琳昭館 高校のほとんどの生徒や職員が、この二週間余りの間に起きた事件について、何も記憶していなかった。
嵯峨サトルが言っていたことは正しかったことになる。彼が世界から消えたことによって、誰もがその記憶を失ったのだ。つかさですら、サトルと拳を交えたことを憶えていない。
サトルのことを憶えているのは、彼の催眠術にかからなかったわずかな者たちだけである。
しかし、それすらもアキトがほとんど消去しており、実質、サトルを知る人物はアキトと妹の美夜の他では、“琳昭館高校の魔女” である黒井ミサくらいのものだろう。
よって、生徒会長選挙はなかったものとされ、伊達 修造 が晴れて復帰――というか元のままだ。風紀委員会も本来のメンバーと職務に戻り、秘密警察の如き恐怖は去った。
世は太平、事もなく――ただ、爆発した体育館や一部壊された校舎の修繕は残されたままで、原因不明の事件として問題にされている。これにはアキトも惚けるしかない。
「おはよう」
二人が信号待ちをしているところに、薫が後ろから声をかけてきた。
「――ッ!」
殺気を覚えたわけでもないのに、思わずアキトは身構えかけた。今にも木刀で襲われるのではないか、と反射的に身体が反応しそうになる。
そんなアキトの不審な態度に気づき、薫は剣呑な目で睨みつけた。
「……何よ?」
「いっ、いや……別に……」
これも、ずっとこのところ薫につけ狙われていたせいだ。薫は鞄以外に何も持っておらず、それを確認したアキトは愛想笑いを顔に貼りつける。
まるで自分のことを危険人物のように見たアキトに、薫は朝っぱらから不機嫌さを露わにした。
信号が青になって、三人は歩き出した。それを追いかけて来るように慌ただしい足音がし、アキトたちは何気なく振り返る。
登場したのは新聞部の徳田寧音だった。息急き切っているところを見ると、かなりの距離を駆けて来たらしい。
「ああ~、よかった……追いついたぁ……」
「どうしたの、徳田さん? そんなに慌てて」
「いや、そこでアンタらの姿が見えたもんやから走って来たんやけど……ちょっと見て欲しい写真があるんや」
「写真?」
寧音は薫たちの横を歩きながら、鞄に手を突っ込んで、ガサゴソやりだした。
「まさか、変な写真じゃないでしょうねえ?」
薫は横目で警戒する。寧音はよく、スクープと称しては盗撮を行い、それをネタにして生徒や教師の弱味を握ることも少なくないからだ。過去、寧音に逆らって泣かされた者は数知れない。
「そんなんやないで。昨夜、現像しとったら、撮った覚えのない写真があって……あっ、これや、これや」
寧音は一枚の写真を取り出すと、それを薫に渡した。その手元を気になったアキトとつかさも覗き込む。
「……誰、これ?」
写真には一人の男子生徒がこちらに向かって笑いかけていた。一目で育ちが良さそうだと分かる、整った顔立ちの少年だ。けれども、薫には見覚えがなかった。
「訊きたかったんはこっちや。見たとこ、ウチの学校の制服着とるけど、こないな生徒おったかいな?」
「うーん……多分、一年にはいないよね? 上級生かな?」
「上級生にもいないはずや。こんだけの美少年なら、ウチのデータ・ファイルに載ってへんわけがあれへん」
校内新聞を製作する傍ら、寧音がそんなものまで作っているとは知らなかった。寧音のことを別の意味で畏怖する。
「でも……やっぱり見たことはないんけど、この顔は」
「そうだね。ボクも知らないなあ。――ねえ、アキトは?」
「………」
「アキト?」
つかさに尋ねられても、アキトは写真の男子生徒から目を離せなかった。
それは間違いなく嵯峨サトルだ。生徒たちの記憶からサトルを消せても、写真の姿までは消しようがなかったわけだ。
まるで魅入られたように凝視するアキトを見て、つかさは心配になった。
「ど、どうしたの、アキト……? 何だか顔色が悪いよ。この写真の人のこと、知っているの?」
「……い、いや、知らねえ」
「本当に?」
「ああ」
アキトはその場から逃げるように歩く足を速めた。一人でどんどん学校の方へ行ってしまう。
「……どうしたんだろ、アキト」
「気にすることないわよ、つかさ。何か悪いものでも食べて、腹の具合でもおかしくなったんじゃない?」
いちいち関わっていられない、というように薫は断じた。
「やっぱ、薫はんたちでもアカンかったかぁ。この分やと、晶はんたちに聞いてもダメやろうなぁ」
結局、何ら手掛かりを得られなかった寧音は、写真を返してもらうとガックリと肩を落とした。
つかさたちを置き去りにして、アキトはひたすら歩いた。嵯峨サトルという一人の男がいなくなった事実に、胸が押し潰されるような気分になる。
自分はそれに関わり、しかもそのことを隠蔽しようとしているのだ。罪の意識がないとは言えない。いくらサトルのことを嫌っていたと言っても、アキトもまた人間ではない異種族であるのは紛れもない事実だ。
所詮、サトルは平凡な日常に紛れ込んだ異物でしかなかったのか――
昨日からアキトは、そんなことばかりを考えている。それはこびりついたように頭から離れなかった。
入り込んだ異物は、外へ排斥されるのが宿命だ。自分もサトルも、人間社会にとっては異物同然。サトルのような末路が、いつアキトに訪れないとも限らない。或いは別の形でかもしれないが。
いずれにせよ、いつか終わりが来るのだろう、と覚悟はしている。そして人間たちは、アキトたちのような異物が混入していたことなどすぐに忘れ、元通りの生活に戻って行くだろう。
「………」
急にアキトは孤独を感じた。これまでにも幾度か去来した 吸血鬼 ゆえの悲哀。サトルの哀れな最期が、それを想起させた。
学校の前まで来たアキトは、そのまま校門を通り抜けずに立ち尽くした。その背中を追い越すように、次々に生徒たちが中へと吸い込まれていく。アキトの足は重く、前に動かなかった。
(オレは――)
足が今来た道へ向き直りかけたとき、アキトの手を掴んだ者があった。アキトはハッとする。その手の温もりに。
「何してるの? 早く行こうよ」
つかさだった。いつものように穏やかな笑顔を浮かべてアキトの手を引こうとする。
つかさの隣には薫がいた。怪訝そうな顔をして。寧音もいる。校門の内側には、こちらに気づいたありすが 晶 の横で飛び跳ねながら手を振っていた。
大神 がいた。沙也加がいた。伊達も、蜂子も、そしてミサも、みんながいた。
「ほら、アキト」
もう一度、つかさに促された。
動かなかったはずのアキトの足が不思議と軽くなったような気がする。いつの間にかアキトは歩いていた。学校へ。今の自分の居場所へ、と。
第13話おわり




