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WILD BLOOD  作者: 西禄屋斗
第14話 ロング・グッバイ 【 全 1 回 】
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さようなら、アキト

 夜中に目を覚ますと、いつの間にか窓から風がそよいでいることにマサキは気がついた。


「………」


 確か就寝前、巡回の看護師が窓を閉めていったはずだ。なのに開いているのはおかしい。


 マサキの病室は一人部屋なので、他に開ける患者はいないし、今夜は過保護な母も泊りではなく、自宅に戻っている。不可解さを覚えながら頭を起こした。


 普段、無味乾燥を絵に描いたような無機質な病室の中は、まるで暗い水底のように青い影に彩られていた。窓から柔らかな月の光が届き、闇を美しく照らし出しているせいだ。


 ふわりと風をはらんだカーテンがひるがえるのを見ていると、これは夢の続きなのではないか、とマサキ怪しんだ。


 外は満月だ。神々しいまでに清らかな月明りがマサキの目を射た。


 目にしただけでハッとさせられる、こんな月を見るのは、いつ以来だろうか。マサキはしばらく、中天より降り注ぐ月光のシャワーに心を奪われた。


「よお」


 その声は不意にかけられた。にもかかわらず、この部屋に一人だけであったはずのマサキに驚いた様子はない。まるで、この真夜中の来訪をあらかじめ知っていたかのように。


「やあ」


 マサキは笑顔を向けた。彼の親友であり、クラスメイトでもある 月島つきしま 彰人あきと に。


 夜風になびくカーテンの後ろから、彰人は姿を見せた。長身痩躯。まるで研ぎ澄まされたかのような身体は同じ高校生とは思えない。


 そう見えるのはマサキが病弱であるがゆえだろうか。


 ハンサムでありながらニヒルな印象を受ける顔は、今夜に限って珍しいことに、どことなく淋しそうな笑みを浮かべていた。


「ようやく来てくれたんだね」


 今まで一度も見舞いに訪れなかった親友に対し、マサキは責めたような口ぶりではなく、むしろ安堵したように出迎えた。


 そんなマサキの自然体に、彰人は困ったような表情を見せた。


 本当は病床に伏した友人の姿など目にしたくなかったに違いない。こうして来てはみたものの、まるで初対面の相手と顔を合わせたみたいに、どうしたらいいか分からないといった感じだった。


 けれども、彼が来てくれただけで、マサキはただ嬉しかった。


「窓からやって来るなんて、如何いかにも君らしい」


 ここは地上四階にある病室で、たとえ泥棒であろうと窓からの入室は難しいはずだが、マサキはそんなことなど少しも不思議に思っていないようだった。彰人は居心地が悪そうに、そわそわし始める。


「どうも病院ってのは苦手でいけねえや」


「だからって、こんな真夜中に忍び込むなんて」


「お前と二人だけで話をしたかったからな。昼間だと、お袋さんとか、他の見舞客もいるだろ?」


「しょうがないなぁ。でも、本当は来てくれないんじゃないかって思って、諦めかけてたところだったんだ。来てくれて、ありがとう」


「そんな、真面目腐って言うない」


 アキトは鼻の頭を掻いた。照れ臭いらしい。


「それにしても、今夜はきれいな月だね。こうしていると、君と初めて逢った日のことを思い出すよ」


 マサキは月を仰いだ。彰人もそれにならう。


「憶えているかい? あのときも、こんな風に月がきれいな晩だった」


「ああ」


 二人は同じように外を眺めながら、二年前の出逢いを思い出していた。今夜と同じ満月の晩、夜の散歩道で。


 遠い記憶に浸っていると、突然、マサキがフフッと笑い出した。彰人がいぶかる。


「何だよ、いきなり」


「――いや、あのときのことを思い出したら、おかしくて。僕が持った君への第一印象を知ってるかい?」


「んなん、知るわけないだろ」


 心外そうに彰人は言った。


「本当にあのときの君、おかしかったもの。僕、変な人なのかな、と思ったよ」


「失礼なヤツだな」


「それがまさか僕と同じ学校に転校してくるなんてね。こんな青春ドラマみたいなことが本当に起きるなんて、今でも信じられないよ」


「ちぇっ、勝手に言ってろ。どうせオレは、おめえみたいに育ちも良くねえし、頭の出来も悪いよ」


 笑っているマサキに、彰人はむくれた顔つきをした。


 そんなヘソを曲げた親友にマサキは優しく微笑む。


「でも、君のおかげで、とても楽しい高校生活を過ごせたよ。本当に充実した、いい二年間だった」


「………」


「こうして病室で暇してると、色んな思い出がポートレートみたいに甦るんだ」


 不貞腐れたような顔をしていた彰人は、マサキの感謝の言葉に、また困ったような表情に戻った。とても入院している患者とは思えぬ、清々しい表情をしたマサキとは対照的に。


 二人の間に沈黙が流れた。


 次に口を開いたのは、またもやマサキだった。


「あと少しで卒業か。あっという間だったね」


「ああ」


「みんなで文化祭を盛り上げたり、放課後の幽霊騒ぎを解決したり、退学になりそうだった先輩のために、校長先生に直談判をしに行ったり……」


「そんなこともあったな」


「そう言えば、夏休みには泊まりで海にも行ったよね。そうしたら、乗っていたボートが流されて、無人島に辿り着いたりして。あのときは大変だったなあ」


「ちょっとした冒険だったな」


「さすがに、もうダメかと思ったんだから。実際、君が一緒じゃなかったら、僕らは無事に戻って来られなかっただろうって、今でも思うけど。――本当に何もかもが昨日のことのように思い出されるよ」


「ああ」


 彰人は短い返事をすることしか出来なかった。つい無口になりがちになる。


 そんな彰人に、


「ありがとう」


 マサキは唐突に頭を下げた。それを見て、彰人はうろたえる。意表を衝かれた。


「な、何だよ、急に改まって」


「君に一度は言っておきたくて。もう、これが最後になるかもしれないし」


 彰人が来てから、初めてマサキの笑みに翳りの色が浮かぶ。


 真顔になった彰人は窓際からマサキのベッドに近づいた。その表情も動きも見るからに強張っている。


「バカなこと言ってんな。これが最後だなんて、そんなこと……そんなことあるもんか!」


 彰人はマサキの手を握った。


 夜風に当たったせいか、マサキの手はひどく冷たい。ハッとした彰人は夜風が吹き込む窓を閉めようとした。


「待って」


 マサキはそれを制した。友人に懇願する。


「そのまま開けておいてくれないか」


「けどよ、身体に障るんじゃ――」


「せっかくの月だもの。月に照らされる君を見ていたい。あの出逢ったときの夜と同じく」


「じゃあ、せめて窓だけでも」


「夜の匂いも憶えておきたいんだ。ちょっとくらい、平気だから」


 ベッドの上からの願いに、彰人は断り切れず従った。マサキの元へ戻る。


「あまり弱気なことを言うなよ、マサキ。お前は大丈夫だ。しばらくすれば元気になるって。で、オレたちと一緒に高校を卒業するんだ。そうだろ?」


 励ます彰人に、マサキは弱々しい笑みを返した。短い会話でも彼にとっては体力の消耗が著しい。


 しかし、それ以上に辛いのは現実だ。


「悪いけど、自分の身体のことは自分がよく分かっているつもりだよ。僕はもう長くない。ここまで生きられたことが奇跡なくらいさ」


 マサキは虚しそうに呟いた。


 親友の弱音を聞いた彰人は、そんなマサキの肩を鷲掴みにする。痛いほどに指を食い込ませ、マサキの折れそうなまでに痩せた身体を激しく揺さぶった。


「そんなことはない! お前は死にやしない!」


「………」


「お前はこれからもオレと一緒だ! 離れ離れになんかなりゃしねえ!」


「ありがとう。でも、いいんだよ。僕は――」


「バカ野郎! お前がよくったって、オレや学校で帰りを待っている連中はどうすんだよ!? それに半田はんだのヤツは!?」


「彰人……」


「あいつはなあ、お前が元気になって戻って来るって、ずっと信じていやがるんだぞ! たとえ、それが奇跡に等しい確率だと分かっていても、だ! お前は、そんな半田をほったらかして逝くつもりかよ!」


 彰人が口にした名に、初めてマサキの感情が揺らいだ。それでも溢れそうになる想いを封じ込めるように目を閉じる。


聖子せいこには……聖子には君がいるだろ。聖子が好きなのは君なんだから」


「ふざけるな! あいつが好きなのはお前だよ! 小さい頃から一緒のくせに、そんなことも分からねえのか!」


「分かっているよ……よく分かっている……僕らは兄妹のように育ったんだ……誰よりも彼女のことを知っているつもりだよ……だから……」


 マサキは力なく笑った。そして、自分の両肩を掴んだ彰人の手をそっと引き剥がす。


 それはとても弱々しい力であったはずなのに、彰人にはどうにも抗うことが出来なかった。


「だから……彼女のことをよろしく頼む。彼女を笑顔にしてやってくれ……こんなことを頼めるのは、君しかいない」


 そう言って、マサキは顔を伏せた。泣いているのを悟られまいと、声を押し殺しながら。


 震えているマサキの手を彰人は掴んだ。そして、抱きしめるように身体ごと引き寄せる。彰人はマサキの耳元で囁いた。


「マサキ、お前さえよければ、オレがお前を――」


 囁く唇から、二つの尖った歯が覗いた。それは八重歯などという生易しいものではない。吸血鬼ヴァンパイア が持つという乱杭歯ではなかったか――


「やめてくれ」


 首筋に二つの牙が触れる寸前、マサキは静かに言った。短い言葉には恐れも憤りも感じられないが、決然たる拒絶の意思が秘められている。


 マサキの力ない左手が彰人の胸に添えるようにして置かれ、これ以上の抱擁を許さなかった。


「……そんなことをされて……僕が喜ぶとでも思っているの……?」


「けどよぉ――」


「……君と僕らは違う……君だって……分かっているはず……そうだろう? 僕は君の友達にはなれても同族にはなれない。それにどうせ死ぬなら、僕は人間として最期を迎えたい」


「マサキ……」


 今度は彰人がうつむく番だった。


 マサキは親友の気持ちに感謝しながら、最後の願いを口にした。


「僕が死んでも、ずっと忘れないでいて。矢追やおいマサキという人間がいたことを。僕は何も残すことは出来ないけれど、永遠に近いときを生きられる君になら託すことが出来る」


 しばらく手を握り合った後、二人はそっと離れた。彰人は入ってきた窓辺に近づき、最後に親友の顔を振り返る。ずっと記憶に焼きつけようとするかのように。


「じゃあな」


「……うん」


 マサキは笑顔で手を振った。これまでにない、清々しい表情で。まるで、また明日の再会を約束するかのように。


 それを見届けると、彰人は窓の外へと身を翻した。病室へ音もなくやって来たときと同じく、忽然と。


 再び夜の静けさが室内に戻ってきた。ただ、白いカーテンだけが風にそよいでいる。今あった出来事は夢か幻だったのではないかと、そんな疑念すら抱かせる穏やかさであった。


 マサキはもう一度、無二の親友を思い出す月を見上げた。


「さようなら、アキト」






 アキトはチャイムの音に目を覚ました。


 ここが 琳昭館りんしょうかん 高校の屋上だということと夢を見ていたのを思い出し、眠そうに目をこする。


 もう二十年以上も前のことだ。今、名乗っている 仙月せんづき 明人あきと ではなく、月島彰人の名で人間社会に馴染んでいた頃のことを。


 指で触れた目尻には湿り気があった。


「アキトー、午前中の授業、終わっちゃったよー。もう昼休みだよー」


 屋上までサボりのアキトを捜しに来た、武藤むとうつかさの間延びした声がした。


 アキトはわざと欠伸あくびをし、目の涙を誤魔化した。


「ふわぁぁぁ~っ! もう昼かよ。まだ寝足りねえぜ」


「あ、いたいた」


 塔屋の陰からつかさがひょっこり姿を現した。このときアキトが感傷的になっていたことをつかさは知らない。


「また、こんな所で。いくら日当たりがいいって言っても、もう、そんな季節じゃないんだから。風邪引いちゃうよ」


「平気、平気。オレは鍛え方が違うから」


「ただ昼寝してサボっている人間が鍛え方云々を言うのはおかしいんじゃ?」


「やかましい。オレを誰だと思ってんだ?」


 普段と変わらぬ他愛ない会話。アキトは立ち上がって、うーん、と伸びをする。


「あーっ、腹減った!」


「早く行こ。せっかくの昼休みが終わっちゃうよ」


「そだな」


 かつてのあの頃のように、二人は連れ立って校舎に戻った。


 アキトには前を歩くつかさの背がマサキのものと重なって見えた。

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