アンタなんかワニの餌になってしまえばいいのよ!
アキトによる反攻が始まった。
「むぅん!」
ワニガメのパックンをつかみながら、両足に力が込められた。そのパックンが噛みついているアリゲーターのゴエモンがじわりと浮き上がりかける。ゴエモンは尻尾に力を込め、それを阻止しようとした。
「この野郎、抵抗するな!」
アキトはなおも力を入れた。とうとうゴエモンの後肢が浮く。それを見ていた野次馬たち口々から、おおっ、という感嘆に似たどよめきが洩れる。
何という馬鹿力か。アキトはパックンに加えて、ゴエモンの後ろ半分を持ち上げた。そのまま身を捻る。ゴエモンは抗うが、前肢がツルツルするリノリウムの床を滑ってしまう。
「お前ら、離れてろ! 巻き添え食っても知らねえぞ!」
周囲に群がっている野次馬たち向かって、アキトは警告した。その迫力に、多くの者たちが度肝を抜かれる。それでも逃げなかったのは、ゴエモンの飼い主である美夜と、写真を撮るのに夢中な寧音くらいのものだ。
「でりゃぁぁぁぁぁっ!」
アキトは徐々にゴエモンとパックンを振り回し始めた。遠心力も手伝って、ゴエモンの胴体までもが浮かび上がる。回転には次第に加速がついた。
学校の廊下で繰り出されるジャイアント・スイングは、近くにいた者たちを軽くパニックに陥らせた。アキトの手が滑り、ゴエモンたちが素っ飛んで来たならば、病院行きは間違いない。もっと離れよう、と野次馬たちは後退した。
「せ、先輩、危ないですよ!」
美夜、寧音の他にも、まだ元の場所に留まっている者がいた。理科準備室にいる生物部の波多と富良野だ。もっとも彼らの場合、他に逃げ場などなかったが。
しかし、こんな非常事態であるにも関わらず、波多は爬虫類に対する愛情を捨ててはいなかった。
「おい、コラッ! オレのパックンに乱暴なマネをするな!」
波多はアキトに向かって怒りを露わにした。
この瞬間、富良野はすべてが終わったと目をつむった。自分がワニガメの飼い主であると、波多が認めたようなものだからである。きっとあとで、それを聞き咎めた教師から追求を受けるだろう。これにて、ジ・エンド。
そんな二人になど構わず、アキトの回転速度は最高点へと達した。
「どらぁ、フィニッシュだぁ!」
アキトはおもむろに、パックンから手を離した。誰もいない外に面した窓側にゴエモンとパックンが叩きつけられる。窓ガラスが派手に砕け、女子生徒たちの悲鳴が響き渡った。
それは狙いだったのか、ゴエモンもパックンも外へ飛び出しはしなかった。あまりにも図体が大きかったので、窓枠が邪魔になったのだ。その激突音は校舎を揺るがすかに思われた。
窓枠に叩きつけられた二匹は、廊下の上に仰向けとなって倒れた。かなりのダメージだったらしく、あの執拗に食いついてはずのパックンまでもが、ゴエモンの尻尾から離れている。おまけにグロッキー状態のようだった。
「ふーっ、やれやれ。──おい、イヌ」
額の汗を拭いてから、アキトは野次馬の一人と化している大神を呼んだ。まるで飴細工のように、ぐにゃりと歪んだアルミ製の窓枠を茫然と眺めていた大神は、ようやく我に返る。
「な、何ですか、兄貴?」
「こっちはお前に任せるわ」
そう言うや否や、アキトはいかにも甲羅が重そうなパックンを持ち上げると、それを大神がいる方へと放り投げた。
「うわっ、ちょ、ちょっとぉ!?」
時すでに遅し。大神はズシリと重いワニガメのパックンを、抱えるような格好で受け取るはめになった。足腰がよろめくが、キャッチは成功。
「おおっ、これが暴れとった怪獣の片割れやな」
すかさず寧音が大神へと近づき、パックンの近影を撮ろうとした。ところが──
ぱくっ!
気絶していたはずのパックンは、突如、意識を取り戻したらしく、あろうことか目の前に突き出された寧音のカメラに噛みついたのであった。
「な、ななな、何するんや!?」
泡を食ったのは寧音だ。反射的にカメラを取り返そうとする。しかし、ワニガメは、一度食いついたら離れない。
「ぬぬぬぬぬっ……キーッ!」
寧音とパックンのせめぎ合いは、一進一退を極めた。
とまあ、そんな番外編の勝負についてはともかく、ようやくアキトはゴエモンとの一騎討ちに持ち込めた。
「本当に生き返ったんだな、お前」
「………」
ゴエモンから向けられた敵愾心に満ちた眼。たとえ、相手が人間ではなく爬虫類であろうとも、挑まれれば、それを受けないわけにはいかない。それが仙月アキトという男の性だ。
「風呂場でのリターン・マッチというわけか。いいぜ、来いよ。返り討ちにしてやるぜ」
ワニ相手に話しかけるというのも奇妙なものだったが、ゴエモンにはアキトの言葉が分かるらしく、いつでも飛びかかれるよう、四肢に力を込めている。アキトも待ち構えるように、わずかに腰を落とした。
次の刹那、ゴエモンの眼が赤く光った。
「――ッ!?」
ほぼ本能的と言っていいだろう。アキトはギョッとし、慌てて身を反らす。一瞬にして、赤い光線がアキトの頭があった位置を通過していた。
ジュッッッ……!
何かが焦げるような、きな臭さが鼻をつく。とっさに頭へ手をやったアキトは、髪の毛が少し焦げたことに気づいた。
「なっ……!?」
アキトは絶句した。ゴエモンの眼から発射された赤い光線の正体は、殺傷性のあるビーム攻撃だったのだ。驚くのも無理はない。あとコンマ数秒、回避が遅れていたら、さすがに不死の 吸血鬼 でもどうなっていたことか。
それを騒動の輪の外から眺めていた毒島カレンはほくそ笑んだ。
「なかなかやるじゃない、田隈くんも」
一度は死んだゴエモンをサイボーグ手術で再生させたのは、悪の大首領を自称する 田隈 太志 だ。このビーム攻撃という装備から見ても、世界征服の先兵として造られた怪人《ワニ夫》の完成度は、非常に高いという裏付けになる。
危うく殺されかけたアキトは、改めてサイボーグ化されたゴエモンを見た。
「こいつ、いったい……!?」
まさか、ビーム兵器まで装備していようとは、とショックを受けているアキトに構わず、ゴエモンはなおも攻め込んだ。今度は本来のワニ同様、巨大な口を開けてアキトにかぶりつこうとする。
「──っと!」
いつまでも驚いてはいられなかった。襲いかかって来たゴエモンの動きに応じ、アキトは素早く身を躱す。鋭い歯は獲物の残像のみを噛み砕いた。
すでに一度戦っている相手である。ならば組み易し、と侮っていたアキトだが、早くもその考えを改めなくてはならなかった。目の前のゴエモンは、バスルームで死闘を演じた、かつてのアリゲーターではない。
しかも、それは眼からビームというSFじみた攻撃だけではなかった。
ガバッ!
一度は攻撃を回避したはずのアキトであったが、そのそばからゴエモンの二撃目が襲い、慌ててたたらを踏んだ。鼻先でゴエモンの大口が閉じられる。急制動をかけていなければ、頭から噛みつかれていただろう。
今のゴエモンが以前と違うところは、反応スピードにも表れていた。まるでアキトの動きを予測したかのような正確な攻撃。ビームもそうだが、アキトに冷や汗をかかせるのに充分であった。
「お前……!」
アキトは数段パワーアップしたゴエモンをねめつけた。単なる爬虫類と相手を見くびっていたら、殺られるのはこっちだ。アキトは気を引き締めた。
だが、ここまでの攻撃すら、ゴエモンにとっては序の口であったらしい。戦慄しているアキトに向かって、ゴエモンの口が笑みを形作ったように見えた。
「なろォ!」
挑発されて黙っていられるアキトではない。ビームは厄介だが、連射は出来ない仕様なのか。でなければ、とっくに何発も撃っているはずだ。エネルギーをチャージしている間に、劣勢から攻勢へ転じようとした。
「喰らえ!」
電光石火、アキトのロー・キックが鞭のようにしなる。ゴエモンの頭を蹴飛ばそうという目論見だ。もちろん、手加減はなし。
ところが、ゴエモンは難なく回避した。いや、そればかりか、アキトの頭の高さにまで跳び上がると、身を反転させ、弾力性に富んだ尻尾を叩きつけてくる。この尻尾が人間の脚なら、まるでプロレス技のローリング・ソバットだ。
「ウソだろ……!?」
反射的に両腕で防御姿勢を取ったのは僥倖だったと言えよう。尻尾の重い一撃がアキトを軽々と吹き飛ばす。ガードを固めていても、脳震盪を起こしそうな痛烈さだ。
ボールみたいに弾き飛ばされたアキトは派手に廊下を転がった。そのまま離れた場所で闘いを見守っていた薫の足下に倒れ込む。アキトは顔をしかめて呻いたきり動かなくなり、さすがの薫も慌てた。
「ちょ、ちょっと! しっかりしてよ!」
野放しにされたアリゲーターを取り押さえることなど、人間離れしたアキトにしか出来ない芸当だ。薫も剣の腕に覚えはあるものの、それも人間相手なればこそ。唯一の頼みの綱がボロ雑巾にされたとなると、お手上げである。
薫は倒れているアキトの身体を揺さぶった。
「ねえっ! ねえってば!」
「……では、眠れる白馬の王子に熱い口づけを」
おもむろに仰向けになったアキトは、薫に向かってタコのように唇を突き出す。チュウチュウ、と口先をいやらしく蠢かしながら接吻を求める。
「アンタねえ――!」
次の刹那、バッと離れた薫は顔を真っ赤にさせながら、アキトの顔に竹刀の切っ先をグリグリと容赦なくめり込ませるように押しつけた。
「……やっぱり、バカは殺されても死なないか。アンタなんかワニの餌になってしまえばいいのよ!」
「ごっ、ご無体な……! お前には傷つき闘う者を労わろうという優しい気持ちはないのかよ!?」
「ないっ! 少なくとも、アンタにだけは!」
「あっ、そ」
竹刀でほっぺに穴を開けられる前に、アキトは立ち上がった。まったく、どこまでふざけていて、どこからが本気なのやら。
この男が転校して来てから二ヶ月近くが経過しようとしているというのに、未だに薫はアキトという人間のことをつかみかねていた。
その一方で、大したことがなかったことにホッと胸を撫で下ろしている自分に気づく。
「……ええーい、誰があんなヤツの心配なんか!」
すぐさま忌々しげに打ち消す薫。
だが、何事もなく立ち上がったように見えたアキトは、一瞬、膝から力が抜けそうになり、内心、ヒヤリとした。薫たちの手前、よろめくようなことはしなかったものの、アキトの心理としては黄色信号が点滅している。
(……ヤベえ、意外と効いてやがる)
誰にも気づかれないよう、ふらつきそうになる足下を抑えるのが精一杯だった。アキトは正面のゴエモンを見据える。
「つっ……こりゃあ、いけねえや……」
視界はぼやけ、一匹であるはずのゴエモンが二匹に見えた。まるで度の合わないメガネをかけているようだ。どうやら強烈な尻尾の一撃をまともに喰らったことにより、明らかにダメージが残っているらしい。
「さて、どうすっかな……」
アキトの表情から一切の余裕が消え失せた。




