アバランチ
第16階層から第19階層にかけての道のりは、まさに蹂躙と呼ぶにふさわしいものだった。
「ハァッ!!」
鋭い呼気と共に、漆黒の魔導機槌【アバランチ】が横薙ぎに閃く。
空気を圧縮したような暴風が巻き起こり、第18階層の主食である『ポイズン・リザード』の群れが、硬い鱗ごと紙くずのように吹き飛んでいく。
以前の自分であれば、一匹相手にするだけでも命がけだった中層の魔物たち。
だが、幾度もの死と再生を経てB級領域へと足を踏み入れたリヒトにとって、彼らはもはや「障害物」ですらなかった。
リヒトは超重量の戦槌を、まるで自身の腕の延長であるかのように軽々と振り回していた。 極限まで鍛え上げられ、適応によって最適化された筋繊維。
そして、敵の急所を瞬時に見抜く【感覚】。巨体の魔物が放つ死角からの奇襲も、リヒトには止まっているようにしか見えない。
「……ふぅ。これでこの階層もあらかた片付いたか」
返り血を払うようにアバランチを軽く振ると、通信機からクロエの呆れたようなため息が聞こえてきた。
『信じられないペースね。ギルドのシステムがまたエラーを吐きかけてるわよ。C級探索者が単独で、しかもたった数時間で第19階層まで踏破するなんて、前代未聞にもほどがあるわ』
「アバランチのおかげですよ。こいつ、魔力を通さなくても、純粋な質量だけで敵の防御をぶち抜いてくれる。最高の武器です」
『それは君のデタラメな基礎ステータスがあってこそよ。……さあ、リヒト君。次はいよいよ第20階層。中層の節目であり、エリアボスが鎮座する大広間よ』
クロエの声が、少しだけ真剣な響きを帯びる。
『あの日、君を殺しかけたミノタウロス。あれはイレギュラーとして上層に迷い込んだ個体だったけれど、本来は第20階層を統べる主よ。準備はいい?』
「ええ。このために、潜ってきたんですから」
リヒトは通信を切り、第20階層へと続く巨大な石の扉の前に立った。
表面には禍々しい魔物のレリーフが彫り込まれ、隙間からは濃密で暴力的な魔力の気配が漏れ出している。F級だった頃の自分なら、この場に立つだけで足がすくみ、呼吸すら困難になっていたはずだ。
だが、今のリヒトの心にあるのは、氷のように冷たく澄み切った闘志だけだった。 両手で重厚な扉に触れ、力を込める。 ゴゴゴゴゴ……と、数トンはある石扉が、リヒトの腕力だけでゆっくりと押し開かれていく。
開かれた扉の先は、ドーム状の巨大な闘技場だった。 周囲の壁には松明の炎が揺らめき、中央には、あの日見たものよりもさらに一回り巨大な異形が鎮座していた。
『巨鎧の牛鬼』。
全身を覆うのは、黒光りする強靭な魔鋼の鎧。
手には、岩盤すら容易く叩き割るであろう巨大な戦斧が握られている。イレギュラーとして第一階層に現れた個体とは比べ物にならない、真の階層主としての威圧感。
——ブォォォォォンッ!!
侵入者の気配を察知したミノタウロスが、鼓膜を破らんばかりの咆哮を上げた。 殺意が物理的な圧力となって、リヒトの全身に叩きつけられる。 だが、リヒトは一歩も引かなかった。
「ステータス」
小さく呟き、現在の己の限界値を確認する。
【名前】リヒト
【ランク】C級
【筋力】95
【耐久】98
【敏捷】92
【感覚】45
B級探索者(80〜150)の領域に完全に定着した数値。 もはや、敵の攻撃を喰らって死の淵に立ち、【絶対適応】を強制起動させる必要はない。今の自分なら、最初からこの階層主と正面から殺し合える。
「……行くぞ」
リヒトが地を蹴った瞬間、足元の石畳が爆発するように砕け散った。 音置き去りにする速度。 一瞬にしてミノタウロスの懐へと潜り込んだリヒトは、アバランチを下から上へと全力でカチ上げた。
「モゴォォッ!?」
ミノタウロスが咄嗟に巨大な戦斧を盾にして防御姿勢をとる。 だが——。
——ガァァァンッ!!!
黒星鉱の超質量と、リヒトの【筋力95】が叩き出した理不尽な運動エネルギーは、魔鋼の戦斧をへし折り、そのままミノタウロスの巨体を宙へとカチ上げた。
「嘘だろ……」
通信機越しに戦況をモニタリングしていたクロエが、思わず息を呑む声が聞こえる。 巨体が宙に浮いたその無防備な一瞬。リヒトはアバランチを頭上で一回転させ、強烈な遠心力を乗せた追撃の構えに入った。
「あの日は世話になったな。——これで、借りは返すッ!」
上段から振り下ろされた漆黒の戦槌が、空中のミノタウロスの胸部装甲に直撃する。 強固な魔鋼の鎧がガラス細工のように粉砕され、衝撃波がボスの背中から円錐状に突き抜けた。 ズドドォォォンッ!!という轟音と共に、階層主の巨体が闘技場の壁に深々とめり込み、クレーターを穿つ。
土煙が晴れた後。 そこには、全身の骨を砕かれ、ピクピクと痙攣しながら光の粒子となって消えていくボスの姿があった。
たったの二撃。 死の淵からの簒奪すら必要としない、圧倒的な暴力によるワンサイドゲーム。 残された巨大な魔石を拾い上げながら、リヒトは微かに震える自分の手を見つめた。
(……勝てた。俺の力で)
初めて自らの意志と力で、強大な壁を打ち破った確かな感触。 だが、リヒトの心はまだ満足していなかった。 SS級——歩く自然災害と呼ばれる本物のバケモノたちがいる領域。アリアの背中を捉えるためには、B級のステータス程度ではまだスタートラインにすら立っていない。
「クロエさん」
『……ええ、見事だったわ。文句なしの完全勝利よ。これでうちの負債も完済どころか、黒字転換ね』
「なら、このまま行きましょう」
リヒトはアバランチを肩に担ぎ、さらに奥へと続く下り階段を見据えた。
「俺は止まりません。次の階層へ進ませてください」
ダンジョンの深淵が、新たなる強者を歓迎するように不気味な冷気を吐き出していた。 リヒトの規格外の歩みは、まだ始まったばかりだった。




