帰還命令
「俺は止まりません。次の階層に進ませてください」
熱を帯びたリヒトの言葉が、静まり返ったボス部屋に響く。 だが、耳元の通信機から返ってきたのは、クロエの冷ややかな、それでいて有無を言わせぬ拒絶だった。
『却下よ、リヒト君。さっさとその特大の魔石を拾って、帰還陣に乗りなさい』
「……クロエさん? 俺の体調なら問題ありません。アバランチの扱いにも完全に慣れました。今のステータスなら、21階層以降でも十分に戦えるはずです」
リヒトは食い下がるが、前方にそびえ立つ第21階層へと続くゲートは、赤黒い魔法陣に固く閉ざされたままだ。
『君の体力が無尽蔵でも、ギルドの規則がそれを許さないのよ。いいこと、リヒト君。C級探索者に与えられている単独探索の権限は、今の第20階層まで。そこから先は、規定を満たさない探索者を物理的に弾くロックがかかっているわ』
クロエはタブレットを操作する音を響かせながら、淡々と現実を突きつけた。
『第21階層以降は、中層の深部——あるいは『深淵への入り口』と呼ばれる危険地帯よ。そこへ進むための条件は二つ。一つは、B級以上のランクを所持していること。そしてもう一つは、原則として複数人による『パーティの結成』が義務付けられていることよ』
「パーティ……」
『そう。21階層からは、個人の物理的な暴力だけではどうにもならない理不尽なギミックや、軍隊のような連携を取る知能を持った魔物群が出現する。どれだけステータスが高くても、背中を預ける仲間がいなければ一瞬の隙を突かれて狩られる。だからこそのルールよ』
リヒトは黙り込んだ。 脳裏に浮かんだのは、猛吹雪の中で巨大な氷竜を単独で両断していたSS級探索者、アリアの姿だ。
「……でも、戦乙女のアリアは、ソロで深層を潜っていました」
『SS級は人間じゃなくて、歩く自然災害よ。ルールの外側にいる神話の住人と、今の自分を一緒にしないことね。君は今、ようやく人間の限界点(B級ステータス)に片足を踏み入れたに過ぎないのよ』
クロエの言葉は厳しいが、確かな理があった。
自分の力は、死の淵に立って初めて敵から適応・簒奪するいびつなものだ。アバランチという規格外の武器を得て、B級相当のステータスを手に入れたとはいえ、無敵になったわけではない。慢心は即ち死に直結する。
「……分かりました。帰還します」
リヒトは戦槌アバランチを背中のホルダーに収め、ミノタウロスが残した巨大な魔石を抱え上げると、ボス部屋の端に設置された青く光る転送陣へと足を踏み入れた。
——数十分後。地上、探索者ギルド本部。
リヒトが転送陣から姿を現すなり、エントランスは異様な喧騒に包まれていた。 周囲の探索者たちが、道を譲るように後ずさり、ひそひそと囁き合っている。
無理もない。昨日F級からC級へと特進したばかりの少年が、たった数時間で第20階層のエリアボスを単独討伐して帰ってきたのだ。不正を疑う声すら、もはや畏怖に塗り潰されていた。
「おかえりなさい、うちの稼ぎ頭。怪我はないようね」
人混みを掻き分けて現れたクロエが、リヒトの抱える特大の魔石を見て、悪役のように口角を吊り上げた。
「素晴らしいわ。これなら、クランの借金を全額返済した上で、新しい防具も新調できる。……さあ、本部で換金を済ませたら、さっさと拠点に戻るわよ。これ以上目立つと、他の大手クランから鬱陶しい引き抜きの声がかかるからね」
「はい」
ギルドの職員たちが震える手で魔石を査定し、信じられない額の報酬が振り込まれたカードを受け取ると、二人は早足で路地裏の雑居ビルへと帰還した。
薄暗い地下室のソファに腰を下ろし、リヒトはようやく深く息を吐き出した。 極度の集中状態から解放され、全身の筋肉が心地よい疲労を訴えている。
「さて、リヒト君」
クロエがコーヒーを二つ淹れ、一つをリヒトに手渡しながら向かいの椅子に座った。
「君の次の目標は明確よ。第21階層への扉を開くための、B級への正式な昇格。そして……君の背中を預けられる『パーティメンバー』を探すこと」
「仲間、ですか」
リヒトはコーヒーの苦味を味わいながら、自分の両手を見つめた。
「俺の戦い方は、死にかけることで相手の能力を奪う、いびつなスタイルです。おまけに、武器は味方ごと巻き込みかねないアバランチ。……正直、まともな探索者が俺と組みたがるとは思えません」
「ええ、その通りね。優等生で常識的な探索者じゃ、君の狂ったインファイトのペースには絶対についてこれない。足手まといになるか、巻き込まれて死ぬかの二択よ」
クロエは丸眼鏡の奥で、楽しそうに目を細めた。
「だから、探すのよ。君の狂気に同調できる、常識外れの『変数』をね。ギルドの底辺でくすぶっている連中の中に、君に匹敵する規格外が隠れていないとも限らないわ」
成り上がりのための第一段階は終わった。 次なる壁は、深淵へ至るための『狂った仲間』探し。リヒトの次なる戦いの舞台は、ダンジョンの外へと移ろうとしていた。




