死神の領域
翌日、ステラ・ノヴァの地下拠点。 リヒトが日課の筋トレを終えてシャワーから上がると、執務デスクには数十枚の書類が乱雑に広げられていた。
「おはよう、リヒト君。さっそく君の相棒候補をリストアップしておいたわよ」
クロエは冷めたコーヒーをすすりながら、一枚の履歴書を指先で弾いた。
「B級への昇格審査と並行して、第21階層以降に潜るためのパーティメンバーを探す。でも、普通に募集をかけても君の異常な戦闘スタイルについてこれる人間はいないわ。だから、アプローチを変えたの」 「アプローチ、ですか?」 「ええ。ギルドの『ブラックリスト』から探すのよ」
クロエがニヤリと笑い、リヒトにその履歴書を差し出す。 そこに写っていたのは、黒いローブをすっぽりと被り、前髪で顔の半分を隠した小柄な少女だった。ランクはD級。年齢はリヒトよりも少し下に見える。
「彼女の名前はアイラ。支援術師として登録されているけれど、これまでに加入した三十以上のパーティすべてから、わずか一日で追放されているわ」
「三十……。素行不良とか、そういうことですか?」
「違うわ。彼女の固有スキルが、あまりにも『呪われている』からよ」
クロエはタブレットを操作し、アイラのスキル情報を空間に投影した。
【固有スキル:死神の領域】
効果:自身の周囲半径20メートル以内にいるすべての生命体の基礎ステータスを強制的に半減させ、継続的に体力を奪い続ける。
「……味方にも効果が及ぶんですか?」
「そう。敵味方の区別なく、範囲内のすべての存在を無差別に弱体化させる最悪のデバフスキルよ。彼女がパーティにいるだけで、前衛は本来の半分の力しか出せず、あっという間にスタミナを吸い尽くされて魔物に殺されかける。ギルドでは『歩く呪い』なんて呼ばれて、今じゃ誰も彼女に近づこうとしないわ」
だが、クロエの瞳の奥には、研究者特有の狂気めいた好奇心が渦巻いていた。
「でも、考えてみなさい。敵のステータスを無条件で半減させるなんて、単体で見れば破格の凶悪スキルよ。もし、そのデバフを『無効化』できる前衛がいたとしたら……彼女は、深層の魔物すらただの案山子に変える最強の支援術師になる」
「なるほど。そして、その前衛の適任者が……俺ってことですね」
リヒトの固有スキル【絶対適応】。
極限の環境や死の危機に対して、肉体を強制的に最適化させる能力。
もしアイラの放つデバフを「極限の敵対環境」として肉体が適応できれば、リヒトだけはステータス半減の影響を受けず、弱体化した魔物を一方的に蹂躙できる。
「面白そうですね。会いに行きましょう」 「話が早くて助かるわ。彼女、今はギルド本部の酒場にいるはずよ。……まあ、あまり良い状況じゃないみたいだけど」
ギルド本部の併設酒場は、昼間から探索者たちの熱気と喧騒に包まれていた。 だが、その一角だけが、まるでそこだけ温度が数度下がったかのように異様な静寂を保っていた。
「だから、お前みたいな疫病神をウチのクランに入れるわけねえだろ! とっとと失せろ!」
酔った巨漢の探索者が、床に座り込む小柄な少女——アイラに向かってジョッキの酒を浴びせかけていた。 周囲の探索者たちも止めるどころか、嘲笑交じりに遠巻きに眺めている。
「ご、ごめんなさい……でも、私、どうしても深層に行かないと……お金が……」
「知るか! お前が近づくだけで体が鉛みたいに重くなるんだよ! ギルドから追放されないだけありがたく思え!」
巨漢がアイラの胸ぐらを掴み、乱暴に引きずり起こそうとしたその時だった。
「——そこまでにしておけよ。同業者だろ」
リヒトが静かに歩み寄り、巨漢の腕を横から掴んだ。
「あァ? なんだお前、ガキが俺に説教する気か……って、痛ぇ!?」
リヒトが少しだけ指の力を込めると、C級にして【筋力95】という異常なステータスから生み出される万力が、巨漢の腕の骨をミシミシと軋ませた。 巨漢はたまらずアイラを突き飛ばし、逃げるように後ずさる。
「チッ、覚えとけよ!」
捨て台詞と共に巨漢とその仲間たちが立ち去ると、リヒトは床にへたり込むアイラに向かって、そっと手を差し伸べた。
「立てるか?」
「……触らないで!」
アイラは弾かれたように身を引き、リヒトの手を拒絶した。ローブの奥から覗く瞳には、強い恐怖と自嘲の色が浮かんでいる。
「私に近づかないで。……私のスキルは、無意識に漏れ出してるの。あなたも、私のそばにいたら体が重くなって、力が——」
彼女の言葉が終わるより早く、リヒトの体に異変が起きた。 ズンッ、と。 まるで全身に見えない重りを乗せられたかのように、急速に肉体が重くなる。呼吸が浅くなり、指先から熱が奪われていくのが分かった。 これが『死神の領域』。
文字通り、生命力を削り取る呪いの空間。
だが、リヒトは表情を一切変えず、ただ静かに自分の肉体の内側に意識を向けた。
『——極度な生命力の減衰および、異常なデバフ環境を検知』 『【絶対適応】が起動します。対象の領域を「敵対的環境」と認定』 『肉体の生体波長を書き換え、領域内におけるステータス減衰を完全に無効化します』
脳内に響く無機質なシステム音と共に、リヒトの体内を巡る魔力が反転した。 重力のようにのしかかっていたデバフが嘘のように消え去り、奪われていたスタミナが急速に元の水準へと戻っていく。適応は一瞬で完了した。
「……え?」
アイラは目を丸くした。 今まで、彼女に近づいた人間は例外なく膝をつき、顔を青ざめさせて離れていった。だが、目の前に立つ青年は、顔色一つ変えずに彼女の「呪い」の中に平然と立っているのだ。
「なるほど。確かに厄介なスキルだが……俺にはなんともないみたいだ」
リヒトは再び、アイラに向かってまっすぐに手を差し出した。
「俺はリヒト。『ステラ・ノヴァ』の探索者だ。深層に行きたいんだろ? なら、俺と組め」
「で、でも……私の力は、味方にも……」
「関係ない。お前のその呪いで、ダンジョン中の魔物を全部弱らせてくれ。俺がそれを全部、この手でぶっ叩いてやるから」
一切の哀れみも、同情もない。ただ純粋に、彼女の力を「最強の武器」として求めている眼差しだった。 どこにも居場所がなかった呪われた少女は、震える手で、ついにその無骨な手を取り返した。
規格外の狂戦士と、歩く呪い。 決して交わるはずのなかった二つの『変数』が結びついた瞬間、深淵の魔物たちにとっての真の悪夢が産声を上げた。




