昇級の切符
「……ふぅ。これで五十体目っと」
砕け散ったストーンゴーレムの残骸の上に立ち、リヒトは小さく息を吐いた。 手の中にある開拓用ハンマーは、度重なる規格外の出力に耐えきれず、すでに柄がひしゃげ、打撃面には無数の亀裂が走っている。次に本気で振るえば、間違いなく粉々になるだろう。
「ペース落としなさい、リヒト君。ただでさえ異常な討伐速度なのに、これ以上やったらギルドの連中がパニックを起こすわ」
岩陰に腰掛け、タブレット端末をいじっていたクロエが呆れたように声をかけた。
「すみません。体が軽くて、つい……」
「まあいいわ。そろそろ『お迎え』が来る頃合いだしね」
クロエが視線を洞窟の奥へと向けた直後。 ダンジョンの空気を切り裂くような、鋭く素早い足音が近づいてきた。
現れたのは、仕立ての良いスーツの上に軽量の魔石装甲を纏った、細身の男だった。その胸元には、ギルド本部の権威を示す『特別査察官』のエンブレムが輝いている。 男は眼鏡の奥の鋭い双眸で周囲の惨状——数十体に及ぶ中層手前の魔物たちの死骸を一瞥し、そしてリヒトの胸元にある真新しいF級タグへと視線を固定した。
「……システムエラーか、違法な魔道具の不正利用を疑って来てみれば。どうやら、一番厄介な事態のようですね」
男は冷たい声でそう言うと、クロエに向かって軽く顎を引いた。
「お久しぶりです、クロエ・ノヴァ代表。相変わらず、ギルドの頭痛の種を育てるのがお上手なようで」
「あら、ジン査察官じゃない。わざわざ出向いてくれるなんて光栄ね。見ての通り、うちの期待のルーキーが適正な討伐を行っていただけよ。何もやましいことはないわ」
ジンと呼ばれた査察官は、胡乱な目をリヒトに向けた。
「F級が単独で、第10階層の魔物を一撃で粉砕し続ける……これが適正だと?冗談はあなたのクランの経営状態だけにしていただきたい。彼が何か強力な使い捨て魔道具を使用したと考えるのが、最も合理的です」
次の瞬間だった。
ジンの姿がフッとブレたかと思うと、音もなくリヒトの懐へと入り込んでいた。
(速い……!)
だが、見えないわけではなかった。極限の死線で研ぎ澄まされ、さらにミノタウロスから奪い取った【感覚】と【敏捷】のステータスが、元高ランク探索者であるジンの動きをスローモーションのように脳内へ伝達する。 ジンが腰の鞘から抜いた特殊警棒が、リヒトの肩を狙って無慈悲に振り下ろされる。ただの脅しではない。並のF級なら骨ごと叩き割られる本気の一撃。
「——ッ!」
リヒトは後退するのではなく、逆に一歩踏み込んだ。 限界を迎えていたハンマーを捨て、己の肉体のみを武器にする。右腕の筋肉が爆発的に膨張し、迫る警棒の軌道に向かって下から掌底を叩き込んだ。
——ドガンッ!!!
洞窟を揺るがすほどの衝撃音。 激しい風圧が吹き荒れ、クロエの白衣がバタバタと音を立ててはためく。 土煙が晴れた後、そこにあったのは——。
リヒトの掌底に完全に軌道を逸らされ、岩壁に深々とめり込んだジンの特殊警棒と、目を見開き、冷や汗を流して硬直する査察官の姿だった。リヒトの手のひらには、うっすらと赤い筋がついているだけで、傷一つない。ミノタウロス譲りの異常な【耐久】が、査察官の本気の一撃を完全に弾き返したのだ。
「……確認、しました」
数秒の沈黙の後、ジンはゆっくりと警棒を引き抜き、鞘に収めた。その声には先程までの冷徹さはなく、底知れない化け物を見るような警戒が混じっていた。
「魔道具の反応なし。純粋な身体能力による防禦。……信じ難いですが、ギルド本部のエラーは誤検知ではないと認めざるを得ませんね」
「当然でしょう?」
クロエが勝ち誇ったように笑う。
「で、どうするのジン?うちのルーキーを、このままF級で飼い殺しにするつもり?」
ジンは深く息を吐き、リヒトに向かって一枚の漆黒のカードを差し出した。
「……特例措置を申請します。……まあこれだけモンスターを討伐していれば特別も何もないですかね。とにかく明日、午前十時。ギルド本部地下の特別修練場へお越しください」
「これは……?」
リヒトが黒いカードを受け取ると、ジンは眼鏡を押し上げながら答えた。
「特別昇級試験の招待状です。あなたの実力が本物であれば、F級などという階級の底辺に縛り付けておくわけにはいかない。——ギルドが総力を挙げて、あなたの『底』を測らせてもらいますよ、リヒトさん」
その言葉を聞いたリヒトの胸の奥で、再び熱い炎が燃え上がるのを感じた。 あのSS級探索者、『戦乙女』の背中を追うための、最初にして最大のチャンス。這い上がると決めた男の眼差しに、もはや一切の迷いはなかった。




