第10階層と異常検知
翌朝。
リヒトは目を覚まし、体を動かしてすぐに気づいた。 圧倒的に体が軽い。 かつては重りをつけているようだった自分の肉体が、まるで別物のように作り変えられているのを実感しながら、リヒトは支給されたばかりの真新しいF級のギルドタグを首から下げた。
「準備はいいかしら、リヒト君」
ダンジョン入り口。 白衣姿のクロエは、周囲の探索者たちが奇異の目を向けるのも意に介さず、不敵な笑みを浮かべていた。
「探索者のギルドタグは、討伐した魔物の魔力波長を読み取って自動で貢献ポイント(CP)を記録する仕組みになっているわ」
クロエは、リヒトの胸元で揺れる銀色のプレートを指差して笑みを深めた。
「あのミノタウロスの一撃で、君の前のタグが完全に粉砕されていて運が良かったわ。もし壊れずに討伐記録が残っていたら、私と出会う前にギルド本部に『異常者』として捕まり、モルモットにされていたでしょうからね。でも、今回は違う。この真新しいF級のタグで、第10階層の魔物の波長を連続で記録し続ければ、ギルドの監視システムはすぐにエラーを吐き出す。それが私たちの狙いよ」
「目立つ分、面倒なことにはなりませんか?」
「なるわね。でも、這い上がるための最短ルートでもある。SS級の『戦乙女』に追いつきたいなら、常識的なペースで歩いてる暇はないでしょう?」
昨夜、リヒトは探索者として成り上がりたい理由を全てさらけ出していたリヒトは力強く頷いた。
二人は転送陣に乗り込み、第10階層へと一気に飛んだ。F級が中層の一歩手前である第10階層へ向かう姿に、転送陣の管理人が慌てて制止しようとしたが、クロエが「私がスポンサーよ」と強引に押し切った。
視界が歪み、瞬きをした次の瞬間には、空気が一変していた。 下層の薄暗い石造りの迷宮とは違う。むき出しの岩肌が広がる広大な洞窟エリア。空気には濃厚な魔力が混じり、呼吸をするだけで肺が焼けるような感覚がある。
「グルルルゥ……」
到着して数分と経たないうちに、岩陰から三つの巨体が姿を現した。 第10階層の定番モンスター、『オーク・ソルジャー』。身長は2メートルを超え、手には錆びた大剣やメイスを握っている。筋力とタフネスに秀でており、F級探索者なら一対一でも逃げ出すレベルの相手だ。
「さあ、お手並み拝見といきましょうか。リヒト君、今の君の基礎ステータスがどれほどのものか、確かめてみなさい」
「はいっ!」
オークたちが咆哮を上げ、一斉に襲いかかってくる。 リヒトは愛用の開拓用ハンマーを構え、地を蹴った。 その瞬間——ドンッ!と、足元の岩盤がクレーターのように砕け散った。
「え……?」
リヒト自身が一番驚いていた。 ただ強く踏み込み、ステップを踏んだつもりだった。だが、そこに【筋力38】【敏捷24】という、ミノタウロスから奪い取った異常な基礎スペックが乗った結果、リヒトの体は文字通り砲弾のようにオークの懐へと弾き飛ばされていたのだ。
「グガッ!?」
突然目の前に現れたリヒトに、オークが驚愕の声を上げる。 リヒトは戸惑いを一瞬で振り払い、腰の回転を乗せてハンマーを真横に振り抜いた。 空気を裂く凄まじい風切り音。
——ゴシャァァァッ!!
鈍器が肉を打つ音ではなかった。 オークの構えていた錆びた大剣ごと、その丸太のような胴体が「くの字」にへし折られ、岩壁に向かって吹き飛んでいく。ドス黒い血を吐き出しながら、オークはピクンと痙攣し、そのまま光の粒子となって魔石を残して消滅した。
即死。 一切のスキルを使わず、純粋な物理の暴力による一撃必殺だった。
「す、すごい……俺、こんなに動けるのか」
「バカ言わないで、ハンマーの耐久値がギリギリよ。君の今の出力に、その安物が耐えきれてないの。ほら、残り二匹!」
クロエの檄が飛び、リヒトは我に返る。 仲間の瞬殺に激昂したオーク二体が、左右からメイスを振り下ろしてくる。 だが、リヒトの高まった【感覚】ステータスは、その軌道をスローモーションのように捉えていた。死の淵でミノタウロスの超質量を前にした時に比べれば、止まっているも同然の攻撃だ。
リヒトは最小限の動きで後ろに飛び退き、メイスが空を切った隙を見逃さず、前傾姿勢から一気に距離を詰める。
右のオークの膝をハンマーの柄で強打して体勢を崩させ、その勢いのまま左のオークの顎をかち上げる。連続した破壊音が洞窟に響き渡り、ものの十秒で三体のオークはすべて魔石へと変わっていた。
「……ふぅ」
荒い息を吐くこともなく、リヒトはハンマーを肩に担ぎ直した。 【絶対適応】を発動するまでもない。己のベースラインが、間違いなく中層一歩手前の魔物を凌駕していることを確信した瞬間だった。
「素晴らしいわ。やっぱり私の目に狂いはなかった」
「クロエさん、これなら……いけます。もっと奥の魔物でも、問題なく狩れます」
リヒトの瞳には、かつての卑屈な色は一切なかった。 ただ純粋な、強さへの渇望だけがそこにあった。 二人はそれから数時間、第10階層に出現する魔物を片っ端から蹂躙して回った。
オーク、キラーマンティス、ストーンゴーレム。どれも本来ならパーティーを組んで挑むべき相手を、リヒトは単独で次々と粉砕していく。 首から下げたF級のギルドタグは、規格外のCPと討伐履歴を絶え間なく記録し続け、微かな熱を持ち始めていた。
——同時刻。 地上にある探索者ギルド本部の、中央管制室。 ズラリと並んだモニターを監視していた職員の一人が、血相を変えて立ち上がった。
「支部長!異常検知です!第10階層にて、あり得ない速度で魔物が討伐されています!」
「B級以上の高ランクパーティーでも入ったか? 今日は予定になかったはずだが」
恰幅の良い支部長が顔をしかめながら、職員の席へと歩み寄る。 だが、モニターに表示されたデータを睨みつけていた職員の声は、信じられないものを見るように震えていた。
「ち、違います……!現在、第10階層で討伐を行っているタグの反応は、たった一つ……。しかもこれ、登録されたばかりのF級のタグです!!」
「……なんだと?」
F級が単独で、下層とはいえ……中層手前の、ほぼ中層に相当する強さの魔物を無双している。 そのあり得ない報告に、管制室の空気が凍りついた。
「タグの持ち主の名前は……リヒト。所属クランは……『ステラ・ノヴァ』!?」
「あの倒産寸前のイカれ研究者のところか! すぐに特別査察官を回せ! システムのバグか、あるいは……とんでもない化け物が現れたかだ!」
リヒトとクロエの思惑通り、歯車は一気に回り始めた。 世界の常識が、名もなきF級探索者によって今、大きく覆されようとしていた。




