二つ名(エイリアス)
第一大陸探索者ギルド本部、最上階の特別会議室。 防音設備が完備された重厚な空間に、ギルド会長であるヴォルフガングの低く、威圧感のある声が響き渡った。
「……皆まで言うな。事態の深刻さは、俺も痛いほど理解している」
円卓を囲むギルドの重役たちの顔には、一様に滝のような冷や汗が浮かんでいる。
その中には、SS級探索者アリア・ヴァイスや、S級のエリーゼ、さらには特例として招かれた『ステラ・ノヴァ』のマスターであるクロエとアイラの姿もあった。
「決断の時だ。このまま放置すれば、第一大陸の威信に関わる問題に発展しかねん」
ヴォルフガングが、眉間に深く皺を刻みながら腕を組む。 それに呼応するように、一人の重役が立ち上がり、ホワイトボードにデカデカと書かれた本日の『最重要議題』を指差した。
そこには、こう書かれていた。
【議題:A級昇格者リヒトの『二つ名』をどうするか問題について】
「……あの、ギルド会長。そんな大層な雰囲気で話し合うことですか、これ」
クロエが呆れたように丸眼鏡を押し上げるが、ヴォルフガングは真剣そのものの顔で首を振った。
「馬鹿を言え。A級以上の探索者には、ギルドから正式な『二つ名』が授与される。
これは市民へのプロパガンダであり、探索者の権威を示す重要なブランドだ。……例えば、俺が【剣帝】と呼ばれ、アリアが【極光の剣姫】と呼ばれているようにな」
「確かに、二つ名は探索者の顔とも言えます」と、エリーゼが知的な眼鏡をクイッと押し上げて同意する。
「ちなみに私の二つ名は【氷晶の断頭台】。S級重騎士ヴァルガスは【不動の城塞】、A級魔弓士エララは【風花の瞬き】。……どれも、その者の戦闘スタイルと品格を端的に表した素晴らしい名です」
「エリーゼさん、あなたの二つ名だけ処刑器具みたいでメチャクチャ怖いんですけど」
クロエがツッコミを入れた後、ふうっとコーヒーをすすって肩をすくめた。
「A級以上の特権ねぇ。C級の私には一生縁のない話だわ。まあ、ギルドのダサいネーミングセンスの被害に遭わなくて清々してるけど」
探索者としての実力はC級でありながら、裏社会にも顔が利く名家の令嬢。それがクロエがこの最高会議に平然と座っていられる理由だった。
「さて、本題に戻りましょう」とエリーゼが咳払いをする。「問題は、リヒト様です。B級からの特例昇格かつ、今回の王都防衛での異常な戦果。彼には第一大陸の英雄として、最高にカッコよく、そして『恐ろしい』二つ名が必要です。重役の皆様、候補は?」
「ハッ!」と重役の一人が鼻息荒く立ち上がった。
「第35階層での報告書、および王都での戦闘記録を確認しました!超質量の戦槌で魔物を物理的にミンチにするその戦いぶり! よって提案します! 彼の二つ名は……【肉挽き器】!!」
「却下よ」
アリアが、絶対零度の声で即答した。 重役がビクッと肩を震わせる。
「リ、リヒト君の戦闘スタイルを的確に表しているかと……」
「肉挽き器なんて名前の探索者、市民がドン引きして逃げ出すわ。もっとこう、彼の清らかな精神性を表すものにするべき」
アリアの鋭い眼光に射抜かれ、別の重役が慌てて手を挙げる。
「で、では、圧倒的な暴力で敵を粉砕する姿から! 【血濡れの破壊神】!」
「却下。彼に血生臭い言葉をつけないで」
「な、ならば! 【狂乱の死神】!」
「アイラのデバフと被っているわ。それに狂乱なんて、彼には似合わない」
重役たちが次々と提案する、厨二病とスプラッタを極めたようなイカつい二つ名の数々。
そのすべてを、アリアが冷徹な一言で氷点下に切り捨てていく。 議論は完全に暗礁に乗り上げていた。
「……会長。私に、提案があります」
ずっと黙って聞いていたアリアが、スッと挙手をした。 円卓の全員の視線が、第一大陸最強の戦乙女へと集まる。
「リヒトの強さは、その恐ろしさにあるのではありません。どんな絶望的な状況でも折れない心と、周囲を安心させるあの笑顔。そして……そう、まるで日向ぼっこをしているような、ふんわりとした温かさです」
アリアの頬が、ほんのわずかに朱に染まる。 SS級探索者のまさかの「乙女モード」に、重役たちが(えっ、あの狂戦士のどこが日向ぼっこ……?)とドン引きする中、アイラだけが「わかるー!」と目を輝かせてウンウンと頷いた。
「つまり、彼に必要なのは威圧感ではなく、親しみやすさ。……提案します。彼の二つ名は——【微笑みの黒鋼熊】」
シンッ……と、会議室が静まり返った。
あの、深層の変異種を単独で殴り殺し、魔神の結界を物理でカチ割った規格外の狂戦士
その彼に、『スマイリー・テディ(微笑むクマのぬいぐるみ)』。 あまりのギャップに、重役たちは開いた口が塞がらない。
「あ、アリアくん……流石にそれは、ギルドの威厳というか、その、ファンシーすぎやしないか……?」
ギルド会長のヴォルフガングが、冷や汗を流しながら言葉を選ぶ。
「会長。……私の提案に、何か不服でも?」
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
アリアの背後に、吹雪の幻影が立ち上った。会議室の温度が急激に低下し、窓ガラスがピキピキと凍りつき始める。 第一大陸最高戦力による、私情を100パーセント交えた理不尽な圧力。
「い、いや! 素晴らしい提案だ!市民からの親しみやすさも抜群!満場一致で【微笑みの黒鋼熊】に決定だ!!」
ヴォルフガング会長の鶴の一声(命乞い)により、木槌が勢いよく鳴らされた。
——数分後。 会議室の外の廊下で待機させられていたリヒトが、ガチャリと扉を開けて入ってきた。
「あの、俺の二つ名、決まりましたか? なんかすごい凍気が漏れてきてたんですけど……」
リヒトがふんわりと笑いながら首を傾げると、ヴォルフガングが真顔で真新しい黒金のギルドカードを差し出した。
「ああ。お前の戦闘スタイルと、人柄を完璧に表した素晴らしい二つ名が授与された。受け取れ、リヒト」
「ありがとうございます!」
リヒトは嬉しそうにカードを受け取り、そこに刻まれた金色の文字を読み上げた。
『A級:【微笑みの黒鋼熊】』
「……スマイリー、テディ……? テディベアの、テディ……?」
リヒトの笑顔が、ピタッと固まった。
「ええ、そうよ。私が考えたの」
アリアが、腕を組んで少し得意げに、しかし耳まで真っ赤にしてそっぽを向いている。
「あなたがいつも、大きな武器を振り回しながらみんなを守ってくれるから。頼りがいがあって、ふんわりしていて……まるでクマのぬいぐるみみたいだなって。……嫌……?」
上目遣いで、少しだけ不安そうに見つめてくる憧れの戦乙女。 その破壊力満点の表情を前にして、「変です」などと言えるはずがなかった。
「い、いえ! すっごく光栄です! 俺、今日から第一大陸のテディベアとして頑張ります!」
「そう。よかったわ」
アリアが嬉しそうに微笑む背後で、エリーゼが「(あの暴力の権化がテディベア……世も末ですね)」と頭を抱え、クロエが「(プククッ)」と肩を震わせて笑いを堪えている。
「よし、茶番はここまでだ!」
ヴォルフガング会長がパンッと手を叩き、会議室の空気を一気に引き締めた。
「新しい二つ名も決まったところで、本題に入るぞテディ。……お前たちには明日から早速、特別任務に就いてもらう」
ギルド会長の背後のモニターに、あの『未踏破領域』の重厚な黒鋼のゲートの映像が映し出された。
「第三大陸の連中が何を企んでいるのか、その思惑を暴くための本格調査隊を編成する。……さあ、準備をしろ。【微笑みの黒鋼熊】と【極光の剣姫】。未知の領域への一番乗りは、お前たちに任せるぞ」
可愛らしい二つ名を背負いながらも、リヒトの瞳には再び、あの頼もしい狂戦士の闘志が灯った。




