首都奪還(8)
絶望の雲が切り裂かれ、第一大陸の王都に朝陽が差し込んでいた。
SSS級探索者ヴォルフガングの一太刀によって、人工魔神の巨大な魔力核もろとも空のゲートは消滅し、残存していた魔物たちもS級探索者たちの手によって完全に掃討された。
「……終わった、のか」
瓦礫の山となった広場の中央で、リヒトはゆっくりと天を仰いだ。 極度の緊張と、【絶対適応】による細胞の異常な活動が、急速に平熱へと戻っていく。限界をとうに超えていた肉体が、役割を終えたことを悟ったようにガクンと膝から崩れ落ちた。
「おっと」
地面に叩きつけられる寸前。 微かな花の香りと共に、銀色の髪をなびかせたアリアが、リヒトの体をそっと抱きとめた。
「アリア、さん……」
「無茶ばかりするのだから。……でも、よくやった」
泥と血にまみれたリヒトの顔を、アリアは汚れることも気にせず、その白く細い手で優しく撫でた。普段の氷のような冷酷さはなく、そこにあるのは、共に死線を潜り抜けた相棒に向ける、心からの労いの微笑みだった。
「マスターとアイラは……」
「二人とも無事よ。クロエさんは医療班が保護したし、アイラ様も……ほら」
アリアが視線を向けた先では、魔力枯渇で倒れ込んだアイラが、S級のエリーゼの膝枕でスースーと安らかな寝息を立てていた。 それを確認したリヒトは、ふにゃりといつもの人の良い笑顔を浮かべた。
「よかった……。じゃあ俺も、少しだけ……寝ます……」
糸が切れたように、リヒトはアリアの温もりの中で完全に意識を手放した。 遠くで、生き残った市民たちと探索者たちの、地鳴りのような歓喜の叫びが王都の朝焼けに響き渡っていた。
リヒトが再び目を覚ましたのは、それから丸三日が経過した後のことだった。
「ん……」
ふかふかの高級なマットレスの感触。 目を開けると、そこは『戦乙女の剣』のクランハウス内にある特別医療室だった。
「——起きたわね、寝坊助」
ベッドの傍らで、タブレットを操作していた白衣の女性——クロエが、ヒビの入った丸眼鏡を押し上げながらニヤリと笑った。その額にはまだ包帯が巻かれているが、持ち前の図太い生命力でピンピンしている。
「マスター!よかった、本当に無事で……」
「君が助けに来てくれなかったら、今頃潰れたトマトになってたかもね。……本当に、馬鹿な狂戦士なんだから」
クロエは呆れたように言いながらも、その声には確かな感謝が滲んでいた。ベッドの反対側では、アイラがリヒトの右手を両手でぎゅっと握りしめたまま、丸くなって眠っている。リヒトは起こさないように、そっとその頭を撫でた。
ガチャリ、と病室の扉が開いた。
「おや、ようやくお目覚めか。ずいぶんとタフな坊主だな」
豪快な笑い声と共に現れたのは、第一大陸ギルド総長にしてSSS級探索者、ヴォルフガングだった。その後ろには、私服姿のアリアが静かに付き従っている。
「そ、会長!?」
「寝たままでいい。王都を救った英雄を、無理やり立たせるほど俺も野暮じゃねえよ」
ヴォルフガングはベッドの脇にどかと座り込むと、懐から一枚のカードを取り出し、リヒトの胸の上に放り投げた。 それは、ギルドが発行する探索者の身分証。 だが、以前の銀色のB級カードではない。重厚な黒鉄のベースに、金の意匠が施された、見慣れないカードだった。
「これは……?」
「A級探索者の証だ。深層の変異種単独討伐と、今回の王都防衛の絶大な功績。ギルドのボードメンバーも満場一致で昇格を承認した。……もっとも、お前のそれはただのA級じゃねえがな」
ヴォルフガングがニヤリと笑う。
「『黒金の証』。S級に最も近いA級の中のさらに上澄みのみ与えられる特権階級だ。ギデオンの野郎が暴走させたあの未知の領域の本格調査権限も、お前に付与してある」
「未踏破領域の調査……」
「ああ」とヴォルフガングは鋭い鷹の目を細めた。
「あの人工魔神の残骸と、未踏ルートの奥には、第三大陸(連中)が企てている計画の核心があるはずだ。今は俺が入り口を封鎖しているが、遠からず調査隊を編成して深淵へと潜る。……お前も、来い。」
「はい。……行きます」
リヒトの迷いのない即答に、ヴォルフガングは満足そうに頷き、病室を出て行った。
残されたアリアは、ベッドの脇まで歩み寄ると、少しだけツンと澄ました顔でリヒトを見下ろした。
「A級昇格…おめでとう。これでようやく、私の隣に立つための『最低条件』はクリアした」
「あはは。でも、まだまだアリアさんには届きそうにないです」
リヒトが苦笑すると、アリアはふっと表情を和らげ、リヒトの頬を指先でツンと突いた。
「当然、でも……あなたの背中は、とても頼もしかったわ。私の専属の弟子としては合格点を与えてあげる」
「本当ですか!じゃあ、退院したらまた稽古をつけてもらえますか?」
「ええ。骨の髄まで、SS級の戦いを叩き込んであげる」
かつての憧れは、共に背中を預け合う確かな絆へと変わっていた。
その頃。 第一大陸から遠く離れた、年中厚い雲に覆われている第三大陸の巨大な尖塔の最上階。
「……ッ、アァァァァァァッ!!!」
薄暗い研究室で、ギデオンは自身の切断された右肩を抑えながら、怒りと屈辱に顔を歪めていた。 治癒魔法をかけても、SSS級の剣によって「概念ごと」斬り落とされた腕は、二度と再生することはない。
「ヴォルフガング・シュタイナー……!第一大陸の旧時代の遺物どもめ……!!」
ギデオンは血走った目で、空中に投影された第一大陸の戦闘データを睨みつけた。 そこに映し出されていたのは、ヴォルフガングでもアリアでもない。 極大の魔力を受け込み、腕を粉砕されながらも、瞬時に肉体を作り変えて限界を突破していくリヒトの姿だった。
「だが、収穫はあった……。あの死なない坊やの肉体。あれはただの治癒能力ではない。環境と死の負荷に対する『適応』だ」
ギデオンの狂気に満ちた瞳に、歪んだ歓喜の色が浮かび上がる。
「あの肉体の秘密を解き明かせば、私は神話(SSS)すら超えられる。……待っていろ、リヒト。お前は必ず、私の最高の実験台にしてやる」
王都奪還の熱狂の裏で、次なる絶望が冷たく胎動を始めていた。




