首都奪還(7)
天を両断し、絶望の空に光の道を切り拓いた『巨大な灰色の刃』。 それが空間に溶けるように消え去った直後、上空のゲートから信じられないほどの圧倒的なプレッシャーが地上へと降り注いだ。
「——ずいぶんと、俺の庭を派手に荒らしてくれたじゃねえか、三流が」
その声は決して大きくはなかったが、炎上する王都の喧騒を完全に制圧し、すべての者の鼓膜へ直接響き渡った。
広場を埋め尽くしていた数万の深層魔物たちが、本能的な恐怖に震え上がり、一斉に地面に平伏する。
拘束され、血を吐いていたリヒトが。 折れた剣を握りしめ、死を覚悟していたアリアが。 そして、絶対の優位に立っていたはずのギデオンが、信じられないものを見るように空を仰いだ。
降り注ぐ光の柱を背にして、四つの影が静かに王都の大地へと降り立つ。
「まさか……この速さで第70階層のダンジョンから帰還したというのか……ッ!」
ギデオンの端正な顔が、初めて明確な驚愕と焦燥に歪んだ。 S級以上の探索者は、この広い世界においても数えるほどしか存在しない。
第一大陸に所属するのも、アリアやエリーゼを含めてわずか数名のみ。
だが、その数少ない実力者たちが、最悪のタイミングでこの死地へと舞い戻ってきてくれたのだ。
先陣を切って歩み出たのは、燃えるような赤い髪を揺らす妖艶な美女——S級探索者【爆炎の魔女】イザベラ。
その隣には、紫電を纏う魔鋼の槍を携えた流麗な騎士——S級探索者【紫雷の閃騎士】ガウェイン。
さらにその後方には、アリアと双璧をなす第一大陸のもう一人のSS級探索者【獅子王】レオンハルトが、黄金の闘気を放ちながら腕を組んで立っている。
だが、ギデオンの視線は、その三人の誰にも向けられていなかった。
彼の目が釘付けになっていたのは、彼らのさらに中心を歩く、無精髭を生やした一人の『初老の男』だった。
世界に十人しかいないSS級。そのさらに上。 現在世界に『三人』しか存在しないとされる、アリアたちのさらに先を行く生ける特異点。
「第一大陸ギルド会長にして、SSS級探索者……【剣帝】ヴォルフガング・シュタイナー……!」
ギデオンの声が、微かに震えていた。
「怪我はないか、アリア。……そっちの坊主も、よく耐えたな。あとは俺たち(大人)の仕事だ」
ヴォルフガングが腰に帯びた飾りのない無骨な長剣に手を掛けると、リヒトを縛り上げていたギデオンの黒い鎖が、空気を切るように音もなく消滅した。
「ガハッ……! あ、ありがとうございます……!」
解放されたリヒトが咳き込み、アイラが慌てて駆け寄ってポーションを飲ませる。
「さて、俺の可愛い部下たちを随分と可愛がってくれたようだが……落とし前、どうつける気だ?」
「ふ、ふざけるなッ!い、いかにSSS級といえど、この数万の深層魔物の群れと私を同時に相手にして——」
「イザベラ、ガウェイン。露払いを頼む」
「「御意」」
ヴォルフガングが顎でしゃくった瞬間、S級探索者二人が動いた。 イザベラが指を鳴らすと、王都の空を覆っていた魔物の群れの半数が、一瞬にして極大の爆炎に包まれ、悲鳴を上げる間もなく炭化して消し飛ぶ。 同時にガウェインが槍を一閃すると、紫色の雷光が広場を駆け巡り、残る数千の魔物たちを塵一つ残さず蒸発させた。
「な……ッ」
リヒトは息を呑んだ。
A級の限界を突破したリヒトが苦戦を強いられた物量が、たった二人のS級探索者によって、文字通り「掃除」されてしまったのだ。 数が少ないからこそ、彼ら上位陣の存在は国家そのものに匹敵する戦術兵器なのだと、リヒトは肌で理解した。
「さあ、これで邪魔者はいなくなったな」
ヴォルフガングが一歩、ギデオンへと歩み寄る。
「くそッ! 舐めるなよ老いぼれがッ!!」
完全に理性を失ったギデオンが、SS級の全魔力を解放し、無数の巨大な鎖の槍を全方位からヴォルフガングへと放つ。 空間そのものを削り取る、必殺の絶技。 だが、ヴォルフガングは腰の長剣を抜き、ただ無造作に「振った」だけだった。
——スッ。
一切の音も、魔力の波動もなかった。 ただ、灰色の軌跡が空間に一本の線を引いた直後。 ギデオンの放った無数の鎖が、砂のようにサラサラと崩れ落ちた。それだけではない。ギデオンの背後にあったギルド本部の残骸から、王都を囲む城壁、さらには上空の分厚い雲に至るまで、ヴォルフガングの剣の軌道上にあったすべてのものが、真っ二つに「ズレて」両断されていた。
「……あ、ガ……?」
ギデオンが自身の右腕を見下ろす。 SS級の魔力結界ごと、彼の右腕が肩から綺麗に切断され、ドサリと地面に落ちた。遅れて、激痛と鮮血が噴き出す。
「これが、SSS級……次元が、違いすぎる……ッ!」
ただの一振り。それだけで、SS級のギデオンは自分が「絶対に勝てない」という事実を魂の底まで刻み込まれた。格が違うどころの話ではない。生物としての次元が違うのだ。
「悪いな。俺の剣は、ちょっとばかし加減が効かねえんだ。次は首を貰うぞ」
ヴォルフガングが再び剣を構える。 死の恐怖に完全に支配されたギデオンは、プライドも計画もすべて投げ捨て、無事な左手で懐から黒い水晶を取り出し、それを握り潰した。
「おのれ……!この屈辱、絶対に忘れんぞ!!」
ギデオンの足元に、空間を強制的に捻じ曲げる転移陣が展開される。 「逃がすかよ」とレオンハルトが黄金の闘気を放って飛び出すが、一瞬早く、ギデオンの姿は次元の狭間へと吸い込まれ、完全に消失した。
「……チッ。他大陸の禁制品か。まあいい、右腕を切り落とした。しばらくは悪さはできめえ」
ヴォルフガングが剣を鞘に納めると、王都を覆っていた絶望的なプレッシャーが嘘のように霧散した。 S級探索者たちが周囲の残党を瞬く間に掃討し、炎上していた王都に、ようやく静寂が訪れようとしていた。
「アリア、よく持ち堪えたな。第一大陸の被害を最小限に抑えられたのは、お前のおかげだ」
「……いいえ。私一人では、絶対に守りきれませんでした」
ヴォルフガングの労いの言葉に、アリアはゆっくりと首を振った。 そして、その銀色の瞳は、血だらけになりながらも真っ直ぐに立っている、一人の青年へと向けられていた。
「彼が……リヒトがいなければ、私はここで死んでいました」
「ほう?」
SSS級の鋭い眼光が、B級バッジをつけたリヒトへと向けられる。 世界最強の探索者たちの視線を一身に浴びながら、リヒトは照れくさそうに頭を掻いた。
「……俺はただ、アリアさんの隣に立ちたかっただけですから」
その屈託のない笑顔に、ヴォルフガングは豪快に笑い声を上げた。 王都奪還戦は、最高戦力の帰還によってついに幕を下ろした。だが、規格外の狂戦士として覚醒したリヒトの存在は、ここから世界の真の頂点たちを巻き込み、さらなる激動の嵐を呼ぶことになる。




