首都奪還(5)
王都の中心、ギルド本部前広場。 そこは今、雷雲と猛吹雪が吹き荒れる、この世の終わりような惨状と化していた。
「——ヴァルガス、右翼の魔物を抑えなさい。上空は私が落とす」
空を覆い尽くす『雷霆の黒竜王』と、無数に降り注ぐ深層の魔物たち。 その絶望的な物量の中央で、アリア・ヴァイスは一人、微動だにせず細剣を構えていた。
「ギ、ルォォォォォォォォッ!!」
黒竜王が、耳をつんざくような咆哮を上げる。
ただの威嚇ではない。それは第33階層でアリアの動きを封じたのと同じ、強烈な不可視の精神干渉の呪いだった。 後方にいたヴァルガスたち精鋭が、脳を直接殴られたような激痛に顔を歪め、膝をつく。
だが、その呪いの中心にいるはずのアリアは、涼しい顔で銀色の髪を揺らしていた。
「……第33階層で私を一瞬縛ったあの呪い。やっぱり、ただの精神干渉じゃないわね」
アリアは冷徹な銀色の瞳で、見上げるほど巨大な黒竜王を睨み据えた。
「氷、風、炎。相反する多属性の魔法を同時制御する、私の脳の特殊な演算領域をピンポイントで狂わせる特殊な呪詛……。第三大陸のSS級が、私を想定して仕込んでおいた特注のウイルスってところ?」
前回、彼女が一瞬不覚を取ったのは、不意打ちであったことと、背後にいたA級探索者たちを守るための広域防御魔法の演算にリソースを割いていたからだ。
極限まで精密な脳内処理を要求される『極光の剣姫』の弱点を、的確に突いたギデオンの罠。
「でも、種が分かれば、ただのノイズ」
アリアが細剣の柄を指で弾いた瞬間。 彼女の頭部を覆うように、極薄の『氷の被膜』が展開された。それは物理的な防御ではなく、脳波と魔力回路の波長を強制的に冷却し、外部からの呪詛の干渉を完全にシャットアウトする神業だった。
「同じ手品に二度も引っかかるほど、SS級の領域は安くないわ」
アリアの姿が、フッと掻き消えた。
「ガ……!?」
黒竜王が反応するより早く、その巨大な顎の下に銀色の閃光が走る。 『烈風』による超加速。そして、斬撃の瞬間にのみ『爆炎』を叩き込む理外の剣技。
「——『極光絶華・第一剣』」
ズバァァァァァァァァンッ!!!
戦術級の魔法でも傷一つ付かなかった黒竜王の硬質な黒鱗が、いとも容易く切り裂かれ、内部から爆発を引き起こす。 悲鳴を上げて仰け反る竜王。
だが、アリアの追撃は止まらない。
彼女は空中で足場のない空間を凍らせて踏み台にし、縦横無尽に空を駆けながら、巨大な竜の全身に致命的な斬撃を刻み込んでいく。
圧倒的。 これが、世界最高峰の戦力。第一大陸の守護者とも呼ばれる戦乙女の真の姿だった。
「す、凄え……あんな化け物を、一人で圧倒してる……!」
満身創痍のヴァルガスが、盾に寄りかかりながら呆然と呟く。
だが、相手は深層の最奥で生きてきた変異種。 全身から血を流し、追い詰められた黒竜王の瞳に、生物としての『死への恐怖』と、それ故の『狂化』の光が宿った。
「——グルルォォォォォォォォォッ!!!」
竜王の全身の鱗が赤熱し、周囲の空間から根こそぎ魔素を吸い上げ始める。
広場どころか、王都の半分を灰燼に帰す気だ。自らの命と引き換えに放つ、自爆にも等しい極大の紫電ブレス。
(……これを相殺するには、私が全魔力を防御に回すしかない。でも、それではトドメを刺しきれない……!)
アリアが唇を噛み、防御態勢に入ろうとした、まさにその刹那だった。
——ドゴォォォォォォォォンッ!!!!
空から、黒い流星が降ってきた。 いや、違う。スラム街の方向から、建物の屋上を蹴り砕きながら一直線に跳躍してきた一人の青年だ。
「——させない」
氷のように冷たく、圧倒的な殺意を孕んだ声。
神速で戦場に舞い戻ったリヒトが、黒竜王の頭上に陣取っていた。 その両手には、クロエから託された特製のショックアブソーバー——黒い手袋がはめられている。
「全力でいくぞ、相棒ッ!!」
リヒトは、【筋力155】のすべてを一切の躊躇なく解放し、超質量の漆黒の戦槌を、今まさに放たれようとしていた紫電のブレスの『発射口』に向かって、上から下へとフルスイングで叩きつけた。
空間が、文字通り「歪んだ」
黒星鉱の超質量が、黒竜王の上顎を粉砕し、下顎と激突させる。放たれるはずだった極大のブレスは行き場を失い、竜の口内で暴発した。
「ギ、ギガァァァァァァッ!?」
脳天から雷撃の暴発を喰らった黒竜王が、大地に叩きつけられ、王都を揺るがす地響きを上げる。
もうもうと立ち込める白煙の中。 黒い手袋からチリチリと白煙を上げながら、無傷で戦槌を肩に担ぎ直すリヒトが、ゆっくりと立ち上がった。 そして、振り返り、目を見開いているアリアに向けて、ふんわりとしたいつもの笑顔を向ける。
「お待たせしました、アリアさん。マスター、無事でしたよ」
「……本当に間に合ってよかった」
アリアはふいと視線を逸らしながらも、その口元には隠しきれない安堵と、心からの喜びの笑みが浮かんでいた。 彼女の胸の奥で、再びあの「トクン」という大きな音が鳴る。
「アイラ様も無事か! よかった……!」
「うんっ! ヴァルガスさんたちも、お疲れ様!」
リヒトの背中から飛び降りたアイラが、すぐに『死神の領域』を展開し、虫の息となった黒竜王にダメ押しのデバフを叩き込む。
リヒトはアバランチを構え直し、アリアのすぐ隣へと歩み寄った。 もう、憧れて見上げているだけの背中ではない。 同じ目線で、同じ空気を吸い、同じ敵を見据える。
「俺があいつの鱗を全部ぶち壊します。トドメは……お願いしますね、アリアさん」
「ええ。任せなさい」
アリアが細剣を構え直す。 最強の戦乙女と、規格外の狂戦士。交わるはずのなかった二つの軌跡が今、炎上する王都の中心で完全に重なり合った。
「行くぞッ!!」
リヒトが地を蹴り、アバランチの連撃で黒竜王の残された防御を紙くずのように粉砕していく。 その開かれた致命的な隙へ、アリアの『極光』が放たれた。
「——消えなさい」
心臓を正確に貫いた細剣から、絶対零度の冷気が竜の巨体を内側から一瞬にして氷の彫像へと変える。 直後、リヒトの戦槌がその氷像を叩き割り、数万の破片となって空に舞い散った。
「……終わった」
リヒトが大きく息を吐き出し、アリアもまた細剣を鞘に収める。
王都を脅かした最大の脅威は去った。 あとは空のゲートを塞ぎ、残党を掃討するだけ——誰もがそう安堵しかけた、その時だった。
『——素晴らしい。見事な連携だ、死なない坊やと戦乙女』
粉々に砕け散ったはずの黒竜王の魔石の破片。 それが宙に浮き上がり、空に開いた十数個のゲートと魔力の線を結び、王都全体を覆い尽くすほどの超巨大な『魔法陣』を描き始めたのだ。
「ギデオンの声……!? アイラ、下がって!」
リヒトがアイラを庇い、アリアが空を睨みつける。 魔法陣の中心から響く狂気を含んだ男の声は、底知れない絶望の続きを告げていた。
『言ったはずだよ。私の蒔いた破滅の種は、すでに地上にあると。……さあ、目覚めの時間だ。私の最高傑作よ』
王都の地下深く。リヒトたちが先ほどまでいたシェルターよりもさらに深い地殻の底から、星そのものが悲鳴を上げるような、悍ましい鼓動が響き始めた。




