首都奪還(4)
暗闇と土煙が立ち込める地下拠点。 焦げた配線の臭いと、むせ返るような埃の只中で、リヒトの心臓は早鐘のように打ち鳴らされていた。
「マスター……っ!!」
リヒトは弾かれたように駆け出し、白衣の女性を押し潰している巨大なコンクリートの瓦礫へと手を掛ける。
力のすべてを振り絞り、数トンはある岩の塊を強引に持ち上げて横へと放り投げた。
床一面に広がる、赤黒い血だまり。ぴくりとも動かないクロエの体に、アイラが悲鳴を上げてすがりつく。
「やだ、マスター……起きて、マスターぁぁぁっ!!」
アイラの大粒の涙が、血に染まった白衣にポタポタと落ちる。 リヒトは手の震えを必死に抑え込みながら、クロエの首筋にそっと指を当てた。
「……え?」
その瞬間、リヒトはパチリと瞬きをした。 指先から伝わってくるのは、ひどく弱々しいが、確かにトクン、トクンと打ち続ける命の律動。
そして、床に広がる「血だまり」から漂ってくるのは鉄の匂いではなく、甘ったるい薬草の匂いだった。
「マスター……生きてる!アイラ、泣き止んで! マスターは生きてるぞ!」
「えっ……ほ、ほんと……?」
リヒトがクロエの体を慎重に仰向けにすると、彼女の額には確かに切り傷があったが、致命傷には程遠いものだった。
床一面を染め上げていた赤い液体の正体は、崩落の衝撃で棚から落ちて粉々に割れた『特級回復ポーション(赤色)』だったのだ。それが額から流れたわずかな血と混ざり合い、凄惨な血だまりのように見えていただけである。
さらに、彼女の命を繋ぎ止めた最大の要因は、彼女の頭上の僅か数センチのところで止まっていた巨大な鉄骨だった。 普段、クロエが「失敗作のガラクタ」と呼んで部屋のど真ん中に放置していた超合金製の試作型魔力炉。
それが、崩落してきた天井のメインピラーを、計算し尽くされたかのような奇跡的な角度でつっかえ棒のように支えきっていたのだ。
偶然倒れた位置、失敗作の残骸、そして割れたポーション。 いくつもの奇跡と偶然が重なり合い、彼女はあの絶望的な崩落から、文字通り「奇跡的」に生き延びていた。
「……んぅ……うるさい、わね……」
微かなうめき声と共に、クロエがゆっくりと目を開ける。 土埃にまみれ、ヒビの入った丸眼鏡の奥で、彼女は目の前で顔をぐしゃぐしゃにして泣いている二人の姿を不思議そうに見つめた。
「ちょっと、少しは静かにノックしなさいよ……。人の部屋のドアを、物理的に吹き飛ばす馬鹿がどこに……」
「マスターぁぁぁぁっ!!」
アイラがクロエの胸に飛び込み、わあわあと子供のように泣きじゃくる。
「いっ、痛い痛い! ちょっと、アイラ、重いってば!」と文句を言いながらも、クロエはその小さな背中を震える手で優しく撫でた。
リヒトもまた、極度の緊張の糸が切れ、その場にへたり込んで深く、深く安堵の息を吐き出した。 もし彼女を失っていれば、リヒトの心は今度こそ狂戦士の闇に呑まれ、二度と戻ってこられなかったかもしれない。
「……まったく。あなたたち、ギルドよシェルターに避難したはずでしょ。なんでこんな地上のどん底まで戻ってきてるのよ」
クロエはアイラに抱きつかれたまま体を起こし、呆れたようにリヒトを睨みつけた。
外からは未だに魔物の咆哮と、地鳴りが響き続けている。彼女自身、最後に特級救難信号を打ち上げた後は、半ば死を覚悟していたのだ。
「助けに来るに決まってるじゃないですか」
リヒトはふんわりとした、いつもの青年の笑顔を取り戻していた。
「マスターが俺たちを拾ってくれなかったら、今の俺たちはいない。……それに、アリアさんが、俺をここまで行かせてくれたんです」
その言葉に、クロエは目を丸くした。 あの氷のように冷酷で、合理的な判断しかしないはずの戦乙女が。わざわざ絶対安全なシェルターを開け放ち、一人の少年を恩人のもとへ向かわせるために、自ら魔物の群れの中へ飛び込んだというのか。
「……そう。あのお姫様、随分と人間らしくなったじゃない」
クロエはフッと口角を上げると、白衣のポケットから無傷で残っていた予備の丸眼鏡を取り出し、カチャリと掛け直した。
そして、瓦礫に埋もれかけていた金属製のケースを引っ張り出し、中から真新しい、禍々しいほどの魔力を放つ『黒い手袋』を取り出してリヒトへと放り投げた。
「マスター、これは?」
「君のバカみたいな筋力に耐えきれるように調整した、特製のショックアブソーバーよ。……アバランチの全力を出しても、これで腕の骨が砕けることはないわ」
クロエは壁に寄りかかって立ち上がり、リヒトに向かって不敵に笑いかけた。
「さあ、行きなさい。私の心配は無用よ、ここは地下の奥深くで逆に安全だわ。……あなたにはまだ、果たさなきゃいけない『約束』があるんでしょう?」
「……はいっ!」
リヒトは黒い手袋を両手にはめ、力強く拳を握りしめた。 アイラも力強く頷き、クロエに「絶対に、また後でね!」と手を振る。
地下拠点を飛び出したリヒトとアイラが振り返った先。
王都の中心、ギルド本部の前庭がある方向では、雷雲を切り裂くような『紫電』と、空を極彩色に染め上げる『極光』が、激しく、そして痛ましいほどに命を削り合って交錯していた。
(待っていてください、アリアさん)
どん底から救い出してくれた恩人の命は、無事に繋ぎ止めた。 ならば次は、自分が彼女を絶望から救う番だ。
「行こう、アイラ!俺たちの王都を、取り戻す!」
「うんっ!!」
2人は炎上する王都の最前線へと再びその身を投じた。




