首都奪還(2)
重厚な隔壁が耳障りな金属音を立てて開いていく。
真っ白だった無機質な空間に、分厚い扉の向こう側から、血と硝煙、そして魔物の放つ濃密な瘴気が雪崩れ込んできた。
「アリア様! エリーゼ副団長!」
開かれた扉の先、シェルターの広大な外郭防衛ブロック。
そこに展開し、地上から地下へと押し寄せてこようとする魔物の群れを水際で食い止めていたのは、『戦乙女の剣』が誇る精鋭部隊だった。
ダンジョンからアリアと共に帰還し、シェルターへの避難誘導と外周防衛を任されていた彼らもまた、満身創痍でありながら決して戦意を失っていなかった。
「状況は、ヴァルガス」
アリアが凛とした声で問うと、部隊の先頭で巨大な魔鋼の盾を構えていた巨漢——S級探索者である重騎士ヴァルガスが、安堵の息を吐きながら敬礼した。
「ハッ。外郭通路に侵入した下級の群れは、エララ班が粗方片付けました。ですが、地上へと続くメインシャフトはすでに深層級の魔物で完全に埋め尽くされています。……アリア様。我々は、ここを死守するしか——」
ヴァルガスの言葉が途切れた。 彼の視線が、アリアの隣に立つ一人の青年に釘付けになったからだ。
全身血まみれで、本来なら立つことすら不可能なはずの重傷を負っていたはずの少年。だが、彼が肩に担いだ漆黒の戦槌【アバランチ】から放たれるプレッシャーは、S級であるヴァルガスですら肌が粟立つほどに底知れない。
「死守はしないわ。ここから地上へ打って出る」
アリアの宣言に、後方で弓に魔力矢をつがえていたA級探索者の魔弓士エララが、信じられないというように声を上げた。
「ほ、本気ですか!? 上は文字通りの地獄です!我々精鋭十名が束になっても、メインシャフトを抜ける前に魔力切れで圧殺されます!」
「ええ。だから、私とリヒトが『道』を切り拓く。あなたたちはその背中についてきなさい」
アリアが細剣を抜き放ち、リヒトと視線を交わす。 互いに言葉はいらなかった。リヒトが静かに頷き、その背後に立つアイラが胸の前で両手を組んだ。
「いきます——『死神の領域』!!」
ドクンッ!
空間が大きく脈打ち、黒い波紋が外郭ブロックからメインシャフトへと一気に広がっていく。
「ギ、ギャンッ!?」
地上から地下へとなだれ込もうとしていた数百体の深淵の猟犬や、巨大な水晶蜘蛛たちが、目に見えてその動きを鈍らせた。D級の少女が放つ、敵味方問わず全ステータスを半減させる理不尽な呪い。
「な、なんだこのデバフは……体が、鉛のように……ッ」
ヴァルガスやエララたち精鋭部隊が、突然の重圧に膝をつきかける。
「心配いりません。あなたたちの前を塞ぐ敵は、俺が全部ぶっ叩きますから」
ふんわりと笑う青年の声が響いた直後。 ドンッ!!という爆発音と共に、リヒトの姿が消失した。
『死神の領域』のデバフを【絶対適応】によって無効化し、A級(戦術級)の限界を突破した【敏捷148】と【筋力155】
リヒトはメインシャフトの壁を蹴り上がり、重力すら無視した挙動で、密集する魔物の群れの中央へと特攻した。
「どけッ!!」
超質量の戦槌が、空気を圧縮して真横に薙ぎ払われる。
ゴシャァァァァァァンッ!!!
重武装のヴァルガスですら防ぎきれない変異種の外殻が、まるで濡れた紙のように弾け飛んだ。
衝撃波が狭いシャフト内を乱反射し、数十体の魔物がミンチとなって上空へと吹き飛んでいく。 デバフによって鈍りきった魔物たちにとって、リヒトの暴威は回避不能の災害そのものだった。
「す、すげえ……なんだあのルーキーは……!」
「驚いている暇はないわよ!遅れないで!」
アリアが地を蹴った。彼女の戦闘スタイルは、あらゆる属性を高次元で剣技を織り交ぜる魔法剣士としての絶技だ。
その戦闘スタイルから周りは彼女をこう呼ぶ。
『白銀の魔剣】と。
「——『烈風』」
アリアの細剣に翠緑の風が纏いつく。
リヒトが巨大な質量で陣形を粉砕した直後の隙間を縫うように、アリアは風の魔力で自らを加速させ、神速の刺突と斬撃を放った。
空を裂くような剣鳴。風の刃が魔物の急所を正確に切断し、続く一撃には『爆炎』の魔力が乗せられ、密集する敵をまとめて灰燼に帰していく。
「見とれるな!アリア様とリヒト殿の背中を守れ!撃てぇッ!」
我に返ったヴァルガスの号令で、エララの放つ魔力矢や精鋭部隊の魔法が一斉に後方から援護射撃として放たれる。 エリーゼも細剣を振るい、アイラの安全を確保しながら部隊の指揮を執った。
本来なら数十時間はかかるはずの、魔物で埋め尽くされた大階段の突破。 だが、最凶のデバフを撒き散らすアイラ、超質量で空間ごと敵をすり潰すリヒト、そして神速の魔法剣で戦場を支配するアリア。
この三人の連携は、圧倒的な蹂躙劇となって部隊を地上へと押し上げていった。
「これで、最後だッ!」
頭上を塞ぐように立ちはだかったA級上位の魔物『巨岩のゴーレム』を、リヒトがアバランチのフルスイングで木端微塵に粉砕する。
砕け散る岩石の雨を抜け、彼らはついに、ギルド本部の地上エントランスへと飛び出した。
「——っ」
そこに広がっていた光景に、部隊の全員が息を呑み、絶句した。
空が、燃えていた。 王都の美しい白亜の街並みは、至る所で黒煙を上げ、無数の建物の残骸へと変わり果てている。 空を赤黒く染める巨大な亀裂からは、未だに途切れることなく魔物が降り注ぎ、街のあちこちで局地的な爆発の閃光が明滅していた。
これが、人類の敗北。 映画のワンシーンのように壮大で、そしてあまりにも残酷な、王都陥落の現実だった。
「マスター……」
アイラが震える声で呟き、崩壊した街並みの彼方——路地裏の裏通りがある方向を絶望的な瞳で見つめた。
その時である。
ピュルルルルッ——パンッ!
遠く離れたスラム街の空に、一筋の赤い光が打ち上がり、鮮やかに弾けた。
それは、探索者ギルドで規定されている『特級救難信号』。
それも、ただの探索者ではない。
ステラ・ノヴァのマスターであるクロエが、万が一の時のために特別に改造していた、特殊な魔力波長を放つ発煙筒の光。
「マスターだ!リヒト、マスターがまだ生きてる!」
アイラの悲鳴のような声に、リヒトはアバランチを強く握り直し、躊躇うことなく赤い煙が上がる方向へと駆け出そうとした。
だが、その行く手を遮るように、上空から巨大な影が舞い降りた。
ズドォォォォォンッ!!!
ギルド本部の前の広場の石畳が粉砕され、地響きと共に現れたのは、第33階層で遭遇した『暴虐の黒竜』の変異種——しかも、それよりもさらに一回り巨大で、全身から禍々しい雷光を放つ『雷霆の黒竜王』だった。
「ギルド本部の前庭に、ネームドクラスの変異種だと……!?」
ヴァルガスが巨大な盾を構えながら、絶望に顔を引き攣らせる。
黒龍王は、虫ケラたちを見下ろすようにゆっくりと首をもたげた。
その口の奥で、街の区画一つを容易く消し飛ばす極大の雷撃が収束していく。
「リヒト!」
「分かってます!」
赤い発煙筒の煙は、刻一刻と風に流されて消えようとしている。
焦燥と殺意が交差する炎上する王都のど真ん中で、少年と戦乙女は並び立ち、空を覆う巨大な絶望へと同時に踏み込んだ。




