A級昇格試験
「……アリアさん!稽古ありがとうございました!また明日もお願いします!」
『戦乙女の剣』のクランハウス。
早朝の過酷な稽古を終えたリヒトは、汗だくになりながらも、太陽のように屈託のない笑顔をアリアに向けていた。 ボロボロになりながらも、純粋に強くなれることを喜んでいる少年の顔。
その眩しすぎる笑顔を真正面から浴びたアリア・ヴァイスは、無表情を取り繕いながら小さく頷いて彼を見送った後——自室のソファに顔を埋め、バタバタと足をジタバタさせていた。
「……アリア様。威厳が崩壊しておりますが」
「エリーゼ……私、どうにかなりそう」
呆れ顔で紅茶を運んできた副団長のS級探索者エリーゼを見上げ、アリアは少しだけ潤んだ銀色の瞳でぽつりと呟いた。
「彼が真っ直ぐすぎて、眩しい。……私に追いつくって言ってくれた彼を試練に送り出さなきゃいけないのに、どうしようもなく……私が彼を守りたいって、思ってしまうの」
最強の戦乙女らしからぬ、あまりにも年相応の乙女な発言。 エリーゼは小さくため息をつき、クイッと知的な眼鏡を押し上げた。
まったく、恋は盲目とはよく言ったものです。とエリーゼが小さく呟く。
「ですがアリア様、彼が受けるのはA級への特別昇格試験。あなたが直接手助けに入れば、ギルドの規定違反で彼の努力がすべて水の泡になりますよ」
「分かってる。だからエリーゼ」
アリアはソファから勢いよく身を起こし、エリーゼの両手をガシッと握りしめた。
「あなた、『試験監査官』として彼らに同行してちょうだい。表向きは試験の不正防止と記録係。でも……もし彼に理不尽な危険が迫ったら、ギルドの規約を曲げてでも彼を助けてあげて」
「はぁ……。我が主の命令とあらば、泥を被るのも副団長の務めですね。承知いたしました」
——数時間後。第一大陸ダンジョン・第34階層。
「というわけで、アリア様の勅命により、本日は私が試験の監査を務めます。モンスターへの攻撃は一切行いませんので、お二人の昇格条件に抵触することはありません」
リヒトとアイラの後ろを歩きながら、エリーゼは淡々と告げた。
「アリアさんがそこまで気にかけてくれるなんて……嬉しいな」とリヒトはニコニコ笑っているが、アイラはS級探索者の放つ静かなプレッシャーにビクビクと身をすくませている。
第35階層の『嘆きの谷』まであと少しという境界エリア。 その時、水晶の岩陰から複数の人影が音もなく現れ、リヒトたちの行く手を塞いだ。
「よう、特例の坊や。随分と可愛いお目付け役を連れてるじゃねえか」
現れたのは、重武装に身を包んだ十名ほどの探索者たちだった。その胸元には、中堅クランのバッジが光っている。昨日の合同ミッションで、リヒトに「ただのポーター」と悪態をついていたA級探索者たちの姿もあった。
「あなたたちは……昨日の」
「ギルドのトップをたぶらかして、ポーターから一気にA級へ特進だと?ふざけるな。俺たちが何年泥水をすすってきたと思ってんだ」
リーダー格の男が、歪んだ笑みを浮かべて武器を構える。
「安心しろよ。お前らが魔物に食い殺されて試験失敗したってことにすれば、ギルドも納得する。……おい、まずはあの疫病神の女から狙え!!」
男の合図と共に、数人の魔術師がアイラに向けて一斉に魔法を放った。
「アイラ!」
リヒトは瞬時に前に飛び出し、自身の背中で魔法の直撃を受ける。爆炎が上がり、リヒトの服が焦げるが、B級領域の【耐久105】を持つ彼の肉体は致命傷には至らない。
だが、リヒトが背中の【アバランチ】を引き抜こうとした瞬間、足元から無数の茨が生え、彼の両足を絡め取った。
「捕まえたぜ!魔物相手には無双できても、対人戦(PvP)の経験はゼロのヒヨッコが!」
対魔物とは全く違う、人間の悪意に満ちた連携と絡め手。 リヒトは力任せに茨を引きちぎろうとするが、次々と飛んでくる目眩ましの閃光魔法と煙幕に視界を奪われ、完全に後手に回ってしまった。
(殴れば、こいつらを殺してしまう……!)
極限の死線を越え、魔物をすり潰すことに特化してきたリヒトの狂化。それは裏を返せば、手加減ができないということだ。アバランチで本気で殴れば、人間の肉体など簡単にミンチになってしまう。その「躊躇い」が、リヒトの動きを致命的に鈍らせていた。
「ハッ、ビビって手が震えてやがる!そのまま死ねェ!」
男の刃が、無防備なリヒトの首筋へと迫る。 アイラが悲鳴を上げた、その時だった。
「——本当に、見苦しいですね」
冷ややかな声と共に、銀色の軌跡が空間を走った。 男の剣が根元から真っ二つにへし折られ、次いで鳩尾に容赦ない前蹴りが叩き込まれる。
「ガ、ゴァッ!?」
男はカエルを潰したような悲鳴を上げて岩壁に激突し、白目を剥いて気絶した。
煙幕が晴れた後、そこには知的な眼鏡のブリッジを中指で押し上げる、エリーゼの姿があった。
「エ、エリーゼさん……!?でも、試験の監査が手を出したら……」
「問題ありません」
エリーゼは手にした細剣についた血糊を払い、冷徹な視線で残りの襲撃者たちを睨みつけた。
「ギルド規約第十二条『特別昇格試験中の対象者に対する、第三者からの故意の妨害行為は、これを重罪とみなし、監査官の権限による実力排除を許可する』。……私は試験の監査として、ゴミ掃除をしているだけです」
「S級……『戦乙女の剣』の副団長だと!?クソッ、聞いてねえぞ!」
「撤退だ! 逃げ——」
「逃がすと思いますか?」
エリーゼの姿がブレた。 A級探索者たちですら目で追えない神速。悲鳴を上げる間もなく、次々と襲撃者たちの意識が刈り取られ、数秒後には全員が地面に転がっていた。
「……ふぅ。これで邪魔者はいなくなりましたね」
エリーゼは優雅に息を吐き、呆然としているリヒトに向き直った。
「リヒト様。魔物は素直ですが、人間は悪意を隠し持ちます。対人戦の経験不足は、いずれアリア様がみっちりと仕込まれるでしょう。ですが、今は」
エリーゼは、禍々しい瘴気が立ち込める第35階層の入り口——『嘆きの谷』へと視線を向けた。
「あの扉の向こうにいるのは、あなたが得意な『素直な魔物』だけです。試験の本番に、人間のゴミの相手で体力を消耗する必要はありません」
「……はい。ありがとうございます、エリーゼさん」
リヒトは立ち上がり、己の顔をパンッと両手で叩いた。 人間の悪意に当てられた迷いと躊躇いを完全に捨て去り、再びその瞳に、氷のように冷たい狂戦士の闘志を宿す。
「行こう、アイラ。俺たちのA級は、すぐそこだ」
頼もしい仲間と、戦乙女が遣わした最強の監査官。 準備はすべて整った。リヒトは漆黒の戦槌を握りしめ、かつてない規模の魔力溜まりが渦巻く深淵の門へと、迷いなく足を踏み入れた。




