アリア・ヴァイス(2)
豪華絢爛な『戦乙女の剣』のクランハウス。その最上階にある豪奢な執務室で、世界に十人しかいないSS級探索者アリア・ヴァイスは、ソファの上で正座をして小さくなっていた。
「……アリア様。私が常日頃から、他クランとの外交プロトコルについてあれほど口酸っぱく申し上げていたにも関わらず、まさか『首根っこを掴んで物理的に拉致してくる』という蛮行に及ぶとは、私の教育のどこに問題があったのでしょうか」
アリアを見下ろして冷ややかなため息をついているのは、彼女の右腕であり、このクランの副団長を務めるS級探索者、エリーゼだった。
知的な眼鏡の奥の瞳を細め、エリーゼの容赦ない説教が続く。
「大体、相手はB級に上がったばかりの他クランのルーキーですよ?それを深層から無理やり引きずり回し、あまつさえ木剣で叩きのめして『私の下へ来い』だなんて……それは勧誘ではなく、ただの脅迫です。強引すぎます! 少しは一般常識というものを学んでください!」
「……面目ない」
普段は戦場で絶対の指揮を執る戦乙女も、幼い頃から姉のように自分を育ててくれたエリーゼの正論には、一切反論できなかった。 怒られているからではない。アリア自身の胸の中にも、明確な後悔が渦巻いていたからだ。
(私は、彼から大切なものを奪おうとしていた……)
脳裏に蘇るのは、大粒の涙を流して彼を守ろうとした少女アイラと、真っ直ぐな瞳で「自分の足で這い上がる」と宣言したリヒトの姿。 彼がただ強くなればいいと思った。自分の庇護下に置けば、あの底知れない才能を安全に、最速で開花させられると信じていた。
だがそれは、彼が彼自身の足で歩んできた軌跡と、彼を信じる仲間たちの絆を、強者の理屈で踏みにじる行為だったのだ。
アリアは自分の胸元にそっと手を当てた。
リヒトのあの真っ直ぐな言葉を受けた時に感じた、トクン、と鳴ったあの不思議な熱。 それが何なのかはまだ分からない。だが、このままでは彼に嫌われてしまうということだけは、確かな実感として彼女の心をチクチクと刺していた。
「……私が、間違っていたわ。彼の覚悟を、侮辱してしまった」
「反省しているなら結構です。アリア様、どうすべきかはお分かりですね?」
「ええ。……謝罪に、行ってくる」
アリアは静かに立ち上がると、普段の戦闘用防具ではなく、少しだけ落ち着いた私服のコートを羽織り、夜明け前の街へと歩みを出した。
翌朝。 路地裏にある『ステラ・ノヴァ』の地下拠点では、かつてないほどの緊張感が漂っていた。
「リヒト君、服の乱れはないわね?ギルド本部の最上階なんて、私だって行ったことないんだから、下手な真似して消されないように気をつけなさいよ」
「マ、マスターが一番緊張してませんか……? 俺、手土産のクッキーとか焼いていった方がいいですかね」
今日はいよいよ、国の頂点であるギルド幹部たちからの直接出頭命令の日だ。リヒトも流石に落ち着かない様子で、アイラが不安そうにその背中にしがみついている。 その時だった。
コンコン、と。 地下室の重厚な鉄扉が、控えめにノックされた。
「……こんな朝早くに誰よ。借金取りなら全額返したはずだけど」
クロエがいぶかしげにモニターを確認し、直後、「ブフゥッ!?」と淹れたてのコーヒーを盛大に噴き出した。 慌ててリヒトが扉を開けると、そこには私服姿のアリアが、一人で静かに佇んでいた。
「ア、アリアさん!?」
「突然の訪問、申し訳ない」
アリアはそう言うと、リヒト、クロエ、そしてリヒトの背中に隠れるアイラの前で、深く、静かに頭を下げた。
「昨日は、私の勝手なエゴであなたたちを振り回し、大切な絆を侮辱するような真似をしてしまった。……本当に、ごめんなさい」
「えっ、あ、頭を上げてください!SS級のあなたがそんな……!」
リヒトが慌てて両手を振るが、アリアは真摯な瞳でリヒトたちを見つめ返した。
「特に、アイラさん。あなたの彼を想う叫びで、私は自分の傲慢さに気づかされたわ。力ずくで彼を奪おうとしたこと、謝罪します」
「……っ。リヒトを、盗らないって、約束してくれるなら……許します」
アイラが恐る恐るローブの隙間から答えると、アリアは少しだけ柔らかく目を細め、「ええ、約束するわ」と頷いた。 そして、アリアは改めてリヒトの正面に立ち、コホンと一つ咳払いをした。
「リヒト。あなたが自分の足で私の隣を目指すというのなら、私はそれを尊重する。……でも、昨日の打ち合いで分かったはずよ。あなたの技術は、まだ荒削りすぎる」
「はい……手も足も出ませんでした」
「だから」
アリアは少しだけ視線を逸らし、ほんのわずかに頬を朱に染めながら、言葉を紡いだ。
「クランに入る必要はないわ。その代わり……私が定期的に、あなたに稽古をつける。強くなりたいのなら、私を『利用』しなさい」
その提案に、リヒトはパチリと瞬きをした。 クランの移籍という縛りなしに、世界最強の戦乙女が直々に専属の師匠になってくれるというのだ。そんな破格の条件、断る理由などどこにもなかった。
「……っ、ありがとうございます! アリアさん!」
リヒトがパァッと花が咲いたようなふんわりとした笑顔を見せると、アリアの胸の奥でまた「トクン」と小さな音が跳ねた。彼女は慌てて表情を冷徹なものに取り繕い、誤魔化すように扉の外を指差した。
「……それと。今日、ギルド本部の最上階に呼び出されているのよね。迷惑をかけた責任の一部として、私もあなたの後ろ盾として同席するわ」
「え? アリアさんが一緒に来てくれるんですか?」
「ええ。深層で変異種を単独で殴り殺すような規格外を、ギルドの上層部がただで返すはずがない。……でも、私が隣にいれば、連中も無理難題は押し付けられないはずよ」
アリアのその言葉に、リヒトとクロエは顔を見合わせた。 『戦乙女の剣』のマスターが後ろ盾になる。これ以上ないほど心強い味方を得て、リヒトは力強く頷いた。
「よろしくお願いします、アリアさん!」
交わるはずのなかった最強の戦乙女と、底辺から這い上がった狂戦士。 奇妙な師弟関係を結んだ二人は、いよいよこの世界の真の深淵——ギルドの頂点が待つ本部最上階へと足を踏み入れる。




