星屑のクラン
「君、名前は?」
白衣の女性——クロエの唐突な問いかけに、リヒトは咄嗟に声を出せなかった。 足元には、つい数分前まで自分を蹂躙していた階層主クラスの異形の死骸。全身を濡らす返り血。
そして、死の淵から蘇った直後の異常なまでの高揚感。 限界を超えて稼働した脳と肉体が、急速に平熱を取り戻していくのを感じながら、リヒトは荒い息を整えて口を開いた。
「……リヒトです。F級探索者の、リヒト」
「F級? 冗談でしょう」
クロエは呆れたように肩をすくめ、丸眼鏡の奥で面白がるような光を瞬かせた。 彼女は無造作に異形の死骸に近づき、白衣のポケットから取り出したスキャナーのような端末を向ける。ピピ、という無機質な音と共に、端末の画面に赤い警告マークが表示された。
「『ミノタウロス(ボス個体)』。本来なら地下20階層以降にしか出ない化け物よ。
それを、魔法も使えないF級が物理のインファイトで殴り殺すなんて、ギルド本部に報告しても絶対に信じてもらえないわね」
「俺だって信じられませんよ……。ただ、ステータスが急にバグったみたいになって」
リヒトは視線を落とし、両手で固く握りしめていた愛用のハンマーを見つめた。 トレーニングで鍛え抜いてきた基礎体力があったとはいえ、先ほどの動きは明らかに自分のスペックを超えていた。相手の攻撃を受けるたびに、その威力が自分の筋肉と神経に上乗せされていくような、奇妙で暴力的な感覚。
「【絶対適応】。君の固有スキル、ギルドの登録情報ではただの環境耐性扱いになってるけど、本質は違うみたいね」
クロエはリヒトの顔を覗き込むようにして、ニヤリと笑った。
「極限の死の危機。それに直面した時だけ、対象の能力を強制的に自身の肉体に『適応』させ、模倣する。しかも、君の体には致死ダメージを一瞬で修復する異常な回復プロセスまで組み込まれている。……死なない肉体で、敵の最強の一撃を喰らい、その力を奪って殴り勝つ。最高に泥臭くて、最高にイカれた狂戦士の誕生ね」
言い当てられた能力の正体に、リヒトは息を呑んだ。 五十社ものクランから「役に立たない」と鼻で笑われ続けた外れスキル。それが、命と引き換えに発動する規格外のジョーカーだったなんて。
「で、リヒト君。君、今はどこのクランに所属してるの?」
「……どこにも。さっき、五十社目の不採用通知をもらってきたところです」
「素晴らしい!」
クロエはパンッ!と手を叩き、まるで宝の山でも見つけたかのように目を輝かせた。
「なら話は早いわ。私のクラン、『ステラ・ノヴァ』に入りなさい」
「え……?」
「言っておくけど、うちは今、絶賛倒産寸前の超零細クランよ。メンバーはマスターである私一人。資金繰りも最悪で、ギルドの家賃を払うために私財を売り払ってるレベル。でも、君が欲しい。君のその『死なない肉体』と『理不尽な適応力』があれば、未踏破の深層だって切り拓けるかもしれない」
クロエは一歩踏み出し、リヒトの目の前でスッと手を差し出した。 その瞳の奥には、狂気にも似た探求心と、現状をひっくり返してやろうという野心が燃えている。
「私には、どうしても辿り着きたいダンジョンの『底』があるの。でも、研究職上がりの私には戦闘能力がない。だから、私の頭脳とサポートで、君を最強の探索者に育て上げてあげる。悪くない取引でしょう?」
リヒトの脳裏に、交差点のモニターで見たSS級探索者、アリアの姿がフラッシュバックした。
神々しいほどに美しい剣閃。地形ごと敵を消し飛ばす、圧倒的な力。あの人のいる遥か高みへ至るためには、一人で下層をうろついているだけでは絶対に届かない。
「……一つ、聞いていいですか」
「何?」
「俺みたいなどこの馬の骨とも分からないF級を拾って、後悔しませんか。でも………、俺は、這い上がるためなら何だってするつもりです」
「上等よ。優等生のお遊戯会を求めてるわけじゃないわ。私が欲しいのは、世界をぶっ壊せる規格外の変数よ」
クロエの言葉に迷いはなかった。
リヒトはハンマーを腰のホルダーに収め、差し出された白く細い手を、血に汚れた手でしっかりと握り返した。
「分かりました。よろしくお願いします、マスター」
「契約成立ね。それじゃあ、さっそく帰ってシャワーでも浴びなさい。その血まみれの格好でギルドを歩いたら、間違いなく衛兵に捕まるわよ」
クロエの軽口に、リヒトは初めて小さく吹き出した。 絶対の絶望から始まった一日は、こうして最狂のスポンサーとの出会いによって幕を下ろした。 成り上がりのための舞台は、今、ようやく整ったのだ。




