外れスキルと覚醒
「不合格だ。君のスキルでは、ウチの役には立たない」
薄暗い雑居ビルの一室。パイプ椅子に座る初老の男は、一枚の履歴書を机に放り投げた。 これが、記念すべき五十社目の不採用通知だった。
「あの、ですが体力には自信があります。荷物持ちでも、マッピングの雑用でも何でもこなせます!」
「そういう問題じゃないんだよ、リヒト君。君の固有スキルは【絶対適応】だろう? 聞こえはいいが、要は『暑さや寒さに少しだけ慣れやすくなる』程度の外れ判定じゃないか。うちは零細クランだ。戦闘スキルを持たないF級探索者を養う余裕はないんだよ」
男の言葉には、明確な諦めと軽蔑が混じっていた。 深く頭を下げて部屋を出たリヒトは、喧騒に包まれた都市の大通りを歩きながら、小さく息を吐いた。
「ステータス」
声に出すと、眼前の空間に半透明のプレートが浮かび上がる。
【名前】リヒト
【ランク】F級
【所持CP】0 / 100
【筋力】12
【耐久】14
【敏捷】11
【魔力】10
【感覚】15
【固有スキル】絶対適応
一般成人の平均値がオール10であるこの世界で、リヒトの数値はF級としては悪くない。
毎日欠かすことなく泥臭いトレーニングを限界までこなし、どうにか引き上げた血と汗の結晶だ。だが、探索者としての決定的な「武器」が彼には欠けていた。
ふと、大通りの交差点に設置された巨大モニターに映像が映し出され、人々の足が止まる。
第一大陸のダンジョン中層。吹き荒れる猛吹雪の中、たった一人で巨大な氷竜と対峙する少女の姿があった。 透き通るような銀糸の髪をなびかせ、彼女が剣を一閃した瞬間——地形そのものを両断するような規格外の斬撃が、氷竜ごと階層の壁を吹き飛ばした。
世界に十人しか存在しないSS級探索者、『戦乙女の剣』マスター・アリア。 画面越しの彼女の横顔は、神々しいほどに美しく、そして途方もなく遠かった。
「……少しでも、あの人のいる領域に近づきたい」
リヒトの胸の奥で、決して消えない熱が燻る。 成り上がりたい理由が初恋ではだめですか? 誰に問うでもなく心の中で呟いたリヒトは、顔を上げ、手作りの開拓用ハンマーを握り直して第一大陸の巨大ダンジョンへと足を向けた。
クランに入れないのなら、ソロで潜って実績を作るしかない。地道に下層で素材を集め、ギルドに報告して貢献ポイント(CP)を稼ぐのだ。
ダンジョン第一階層。 そこは、本来であればスライムや小鬼が時折姿を見せる程度の、初心者向けの安全地帯であるはずだった。
——ズズンッ!!
突如として、迷宮の壁が爆発するように砕け散った。 巻き上がる土煙の中から現れたのは、見上げるほどの巨体を持つ四腕の異形。
鋼鉄のような筋肉に覆われた赤黒い皮膚。深層に生息するはずの階層主クラスの魔物だった。 絶対に現れるはずのない『イレギュラー』の出現。
「な、なんだこいつ……!?」
「逃げろ!!1階に出るような魔物じゃな——」
近くにいた初心者のパーティが悲鳴を上げる間もなく、異形の豪腕が彼らを紙くずのように吹き飛ばした。 圧倒的な死の気配。 逃げなければ。
そう頭で理解していても、常人を凌駕するリヒトの【感覚】ステータスが、敵の圧倒的な殺意と速度を正確に読み取り、体が完全に硬直してしまっていた。
異形の巨眼が、ただ一人立ち尽くすリヒトを捉える。 次の瞬間、丸太のような腕が音置き去りに迫り、リヒトの胴体を真横から薙ぎ払った。
「ガ、ぁ……ッ!?」
全身の骨が砕ける嫌な音が響き、視界がぐるぐると回転して石壁に激突する。 肺が潰れ、口から大量の鮮血が吐き出された。痛覚すら麻痺するほどの致命傷。意識が急速に泥のような闇へと沈んでいく。 死ぬ。間違いなく、ここで死ぬ。
その時だった。 リヒトの眼前に展開されたままだったステータスプレートが、突如として激しくノイズを放ち、バグり始めた。
『システムエラーを検知』 『生命活動の著しい低下を確認』 『——隠蔽領域を解除します』
枠外の遥か下方、黒く塗りつぶされていた領域が激しい光を放ち、長すぎる文字列が展開される。
【致命傷に至らないあらゆる物理および魔法的損傷に対する超高速の細胞分裂と魔力循環を用いた完全自動修復】
直後、バグった文字列が強引に収束し、四文字のスキルへと変貌した。 【超回復】。
ゴキ、ボキボキボキッ!! 不気味な破砕音が全身から響き渡る。砕けた肋骨が勝手に繋がり、破裂した内臓が瞬く間に再生していく。死の淵にあったはずの肉体が、一瞬にして全快されたのだ。
「……は? なんだ、これ……」
息を吹き返したリヒトがよろよろと立ち上がると、獲物を仕留めたと思っていた異形が忌々しげに咆哮を上げ、再び超質量の拳を振り下ろしてきた。 だが、今度はリヒトの体が動いた。
『——死の危険を察知したことにより、【絶対適応】が真の力を解放します』
リヒトの脳内に、異形が放つ拳の「速度」、込められた「筋力」、そして破壊の「技術」が、急激な勢いで流れ込んでくる。
ただ環境に慣れるだけの外れスキルではない。受けた攻撃の威力そのものを、自身の肉体とステータスに強制的に「適応」させる規格外の能力。
【対象のステータスの一部を自身に適応中……筋力・敏捷が一時的に爆発的上昇】
「見える……!」
リヒトは極限まで高まった【感覚】と、敵から簒奪した【敏捷】を連動させ、ミリ単位のステップで死角へと滑り込んだ。 すかさず、敵の巨躯が自重で体勢を崩したその隙を突き、愛用の手斧とハンマーを両手に構える。 派手な魔法など使えない。なら、泥臭くいくまでだ。
「ウォォォォオオオッ!!」
異形の【筋力】を上乗せされたリヒトのハンマーが、魔物の脆い膝関節の裏にピンポイントで叩き込まれる。 硬質な破壊音と共に、巨体が大きくバランスを崩した。 そこからは、一切の反撃を許さない無限のインファイトだった。潰されても、殴られても、即死さえしなければ一瞬で【超回復】が発動する。恐怖はない。ただひたすらに、あの高みへ至るための執念だけがリヒトのハンマーを振るわせ続けた。
——数分後。 動かなくなった肉塊と化したボスの骸の上で、リヒトは荒い息を吐きながら膝をついた。 返り血で真っ赤に染まった己の手を見つめ、信じられない思いでステータスを確認する。そこには確かに、倒した敵から得た莫大な経験の余韻が刻まれていた。
「……よくやったわね、少年」
不意に、静寂に包まれた迷宮の通路から、場違いな拍手の音が響いた。 ハッとして振り向くと、そこには白衣を羽織り、丸眼鏡をかけた妙に気怠げな雰囲気の女性が立っていた。
「こんな下層でイレギュラーの気配がしたから来てみれば、面白いものを見せてもらったわ。死なない肉体と、その適応力……最高にイカれた変数ね」
女性——零細クラン『ステラ・ノヴァ』マスターであるクロエは、倒産寸前の自身のギルドを救う最高の手札を見つけたと言わんばかりに、唇の端を歪めて笑った。
「君、名前は?」
どこにも選ばれなかった少年が、世界を覆す最強の探索者へと成り上がる物語は、ここから始まる。




