死神
探索者ギルド本部、地下特別修練場。 リヒトがC級への特例昇級試験を受けたあのドーム状の空間に、再び彼らは立っていた。 ただし今回は一人ではない。傍らには、すっぽりと黒いローブを被り、緊張で肩を震わせるアイラの姿があった。
「B級への昇格試験、並びにパーティ結成の認可申請……間違いありませんね、リヒトさん」
バインダーを手にした特別査察官のジンが、眼鏡の奥から信じられないものを見るような視線を向けてくる。その視線の先は、もちろんアイラだ。
「彼女の経歴と固有スキルはご存知のはずだ。味方を含む周囲のステータスを半減させる『歩く呪い』。……本気ですか? B級試験は、深淵領域である第20階層台から捕獲した中層上位の魔物が相手になります。デバフを受けた状態で生き残れるほど甘いものではありませんよ」
「うん、分かってる。忠告ありがとうございます、ジンさん」
リヒトはふんわりと人畜無害な笑顔を浮かべ、アイラの小さな頭をポンと撫でた。
「でも、大丈夫です。アイラは俺にとって最高のサポーターですから」
「……」
ビクッと肩を揺らしたアイラが、ローブの隙間から不安げにリヒトを見上げる。三十以上のパーティから「疫病神」と罵られ、追放されてきた彼女にとって、誰かに期待され、庇われること自体が初めての経験だった。
観覧席では、白衣姿のクロエが「さあ、見せてみなさい」と言わんばかりにニヤニヤと笑っている。 ジンは深くため息をつき、タブレットを操作した。
「……分かりました。自己責任でお願いします。試験対象は、第22階層で捕獲された『双頭の魔獅子』。B級パーティの三人がかりでようやく抑え込めるレベルの凶悪な個体です」
重厚なゲートが開き、地響きと共に赤黒い体毛に覆われた巨大な双頭の獅子が姿を現した。
二つの口から酸を含んだよだれを垂らし、血走った四つの眼球がリヒトたちを獲物として捉える。観覧席の防弾ガラス越しでも伝わってくる、中層上位特有の濃密な死の気配。
「ひっ……」
アイラが恐怖に身をすくませ、後ずさる。
「アイラ」
その時、普段の温厚な声音とは全く違う、静かで、しかし絶対的な安心感を伴う声が彼女の耳に届いた。 ハッとして隣を見ると、リヒトの瞳から、さきほどまでの人の良さそうな気配が完全に消え去っていた。代わりに宿っているのは、極限の死線を幾度も越えてきた者だけが持つ、氷のように冷たく澄み切った闘志。 背中のホルダーから、自身の背丈ほどもある漆黒の魔導機槌【アバランチ】を軽々と引き抜く。
「俺の後ろから離れないで。そして、思いっきりスキルを解放していいよ」
「で、でも……リヒトさんの力まで……」
「信じて。俺は絶対に倒れないから」
その横顔の頼もしさに、アイラは思わず息を呑んだ。 背中を預けられる。この人は、私の呪いごと全部受け止めてくれる。 アイラはギュッと目を閉じ、胸の前で両手を組んで、これまでずっと抑え込んできた自身の固有スキルを全開にして放った。
『——死神の領域』
ドクンッ、と。 修練場の空気が、文字通り「重く」沈み込んだ。 アイラを中心に半径20メートルの空間が、生命力を奪い取る呪いの領域へと変貌する。
「ガ、ルル……?」
獲物に向けて跳躍しようとしていた双頭の魔獅子が、突如として空中で体勢を崩し、ドスンと無様に地面に落下した。 半減。B級上位に相当する魔獅子の【筋力】も【敏捷】も、領域に触れた瞬間に強制的に半分まで削り落とされたのだ。四肢が鉛のように重くなり、威圧感に満ちていた咆哮が、苦しげな呻き声へと変わる。
一方で、領域の中心にいるリヒトには——何の変化も起きていない。 それどころか、環境の激変を検知した【絶対適応】が常時発動し、彼の筋肉と神経は最高度に最適化された戦闘態勢へと移行していた。
「……そこだ」
ドンッ!と、リヒトの足元の石畳が爆発した。 常人には目で追うことすら不可能な速度。鈍重になった魔獅子が反応するより早く、リヒトは瞬きする間に敵の懐へと潜り込んでいた。
「ガァァッ!?」
「遅いよ」
リヒトは腰の回転を乗せ、超質量の塊であるアバランチを真横に振り抜いた。 空気が悲鳴を上げるような凄まじい風切り音。 デバフによって【耐久】すらも半減していた魔獅子の胴体に、B級領域の筋力で放たれた黒星鉱の一撃が直撃する。
——ゴシャァァァァッ!!!
鈍器が肉を打つ音ではなかった。 双頭の魔獅子の巨体が「くの字」にへし折られ、衝撃波がその背中から円錐状に突き抜ける。 数十トンはある巨体がボールのように吹き飛び、修練場の防護結界に激突して、ドロドロの光の粒子となって魔石に変わった。
「…………え?」
ジンが、手に持っていたタブレットを取り落とした。 観覧席の幹部たちは総立ちになり、信じられないものを見るように目を見開いている。 B級パーティが命がけで討伐するはずの第22階層の魔物が、たったの一撃。それも、全く抵抗できない赤子のようにすり潰されたのだ。
「ふぅ」
リヒトはアバランチを肩に担ぎ直し、スゥッと息を吐いて戦闘態勢を解いた。 張り詰めていた空気がふわりと緩み、いつもの人の良さそうな、少し頼りない青年の顔に戻る。 彼は振り返り、呆然と立ち尽くすアイラに向かって、ひだまりのような優しい笑顔を向けた。
「すごいよ、アイラ!あんなに素早い魔物が、アイラのスキルのおかげで完全に止まって見えた。君のおかげで無傷で勝てたよ」
「わ、私の……おかげ……?」
「うん。これなら、第21階層からの深層でも絶対に通用する。……俺のパーティに入ってくれて、本当にありがとう」
アイラの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。 自分の能力は、味方を傷つけるだけの呪いじゃなかった。この規格外で、底抜けに優しい青年の隣なら、自分は「最強のサポーター」になれる。
「リヒト、さん……っ、う、うわぁぁぁん!」
泣きじゃくりながらローブの袖で目をこするアイラを、リヒトは慌てて「えっ、ご、ごめん! 俺何か変なこと言った!?」とオロオロしながら慰め始める。 その圧倒的なギャップに、修練場の外で見ていたジンは、ただただ頭を抱えるしかなかった。
「……試験、終了。両名とも、B級への昇格……承認します」
疲れ切ったジンの声が、修練場に響き渡る。 こうして、ギルドの常識を根底から破壊する『狂戦士』と『死神』の凶悪なコンビは、正式に深淵への切符を手に入れたのだった。




