第87話 《空の裂け目》
観測者出現。
その瞬間から。
世界は壊れ始めていた。
最初に異変へ気づいたのは、王都の民衆だった。
「……あれ?」
誰かが空を見上げる。
昼。
晴天。
だが。
太陽の位置がおかしい。
西にあったはずの光が、瞬きをした瞬間には真上へ移動していた。
次の瞬間。
東へ。
空が軋む。
世界中で悲鳴が上がった。
海が浮く。
本来落ちるはずの波が、空中へ逆流する。
大地から石が浮かび上がる。
重力反転。
王都の塔が、上空へ崩れ落ちた。
ゴォォォォォ……
空間が悲鳴を上げる。
神殿内部。
祈りを捧げていた神官たちが絶叫した。
神像が崩壊する。
いや。
“存在がズレた”。
輪郭がノイズ化し、像の形状が崩れていく。
神託回線完全停止。
術式消滅。
結界崩壊。
神殿機能、全停止。
神官が震える。
「神々の声が……聞こえない……!」
世界中で同時に起きていた。
空間反復。
同じ道を永遠に歩く兵士。
昨日を繰り返す村。
夜と昼が重なる空。
そして。
人間の輪郭が崩れ始める。
街角の男の顔が、一瞬だけ別人へ変わった。
子供の影が、遅れて動く。
存在そのものが不安定化していた。
王都。
避難警報。
悲鳴。
混乱。
セリスが王城で指示を飛ばしている。
セリス
「北区画を封鎖!」
「避難を優先して!」
だが。
混乱は止まらない。
兵士が叫ぶ。
「空が――!」
全員が見上げる。
空。
そこへ。
亀裂が走っていた。
巨大。
大陸を横断するほどの裂け目。
空そのものが割れている。
そして。
その奥は。
黒かった。
闇じゃない。
“ノイズ”。
世界に存在してはいけない色。
見ているだけで頭痛がする。
ザザッ……
空間へ異音が走る。
裂け目から。
黒い何かが流れ込んでいた。
煙のようで。
液体みたいで。
情報そのものが壊れている。
それが世界へ落ちるたび。
現実が歪む。
ルナが震えながら呟く。
ルナ
「これ……」
「世界法則が……侵食されてる……?」
AL-0が警報を鳴らし続ける。
AL-0
『未知領域侵食確認』
『現実基盤崩壊進行』
『外界干渉発生』
その言葉に。
神々すら沈黙した。
アストラの銀の瞳が揺れている。
アストラ
運命神。
世界管理存在。
その彼女ですら。
今起きている現象を制御できない。
「……始まってしまった」
震える声。
神々が恐れていたもの。
古代文明を滅ぼしたもの。
それが。
ついに流れ込んできた。
だが。
そんな中で。
ただ一人だけ。
カインは普通だった。
カイン
空を見上げる。
黒いノイズ。
歪む世界。
狂う法則。
全部を見ても。
何も起きない。
周囲の空間だけが安定している。
ゼノが呆れたように笑う。
ゼノ
「本当に何なんだよ、お前……」
その時だった。
空の裂け目。
その奥。
黒いノイズの中で。
“何か”が動いた。
巨大。
輪郭不明。
存在しているのに、認識できない。
だが。
確かに。
こちらを見ていた。
世界中が凍りつく。
そして。
カインだけが。
その視線を真正面から見返していた。




