第6話 《戦姫アイリス》
静まり返った神殿大広間。
その空気を支配したのは、たった一人の女だった。
王国騎士団第一騎士団長。
《戦姫》アイリス・ヴァルハルト。
彼女が前へ進むたび、騒然としていた群衆が自然に道を開ける。
銀の鎧が揺れる。
鋭い蒼眼が広間を見渡した。
それだけで、先ほどまで喚いていた冒険者たちが黙り込んだ。
圧。
言葉ではない。
積み重ねた実力だけが生む威圧感。
アイリスは神官長へ視線を向ける。
「報告を」
短い一言。
だが逆らえる者はいない。
神官長が額の汗を拭いながら事情を説明する。
測定不能。
山脈消失。
神殿機能停止。
話を聞き終えたアイリスは、静かにカインを見た。
黒髪の少年。
細い体。
どこにでもいそうな顔。
しかし――。
(……何だ、これは)
アイリスの眉がわずかに動く。
気配がない。
正確には、“存在感”が抜け落ちている。
戦士は気配を読む。
呼吸。
重心。
視線。
殺気。
魔力。
それらを感覚で捉える。
だが目の前の少年だけは違った。
見えている。
そこに立っている。
なのに。
戦士としての本能が、“何も認識できない”。
空白。
まるで世界から切り離された存在。
アイリスは初めて、背筋に薄い寒気を覚えた。
「お前がカイン・ヴェルクロフトか」
「……はい」
返事は普通だった。
声も。
表情も。
どこにでもいる少年そのもの。
それが逆に不気味だった。
アイリスは問いかける。
「黒狼フェンリルを討伐したのはお前か」
「たぶん……」
「たぶん?」
「よく分からなくて」
広間がざわつく。
アイリスは目を細めた。
嘘をついているようには見えない。
だが理解不能だ。
「山を消した」
「……みたいです」
「神殿を停止させた」
「わざとじゃないです」
淡々と返ってくる。
開き直りもない。
誇示もない。
まるで本当に、自分が何をしたのか理解していないようだった。
(異常だ)
アイリスは確信した。
強者なら何人も見てきた。
英雄も。
怪物も。
だがこの少年は違う。
測れない。
底が見えない以前に、“基準そのもの”が存在しない。
その時だった。
外から悲鳴が響いた。
「ま、魔獣だぁぁぁ!!」
全員が振り返る。
兵士が血相を変えて飛び込んできた。
「北門付近で魔獣群発生! 数、およそ三十以上!」
神官長が叫ぶ。
「なぜこんな街中に!?」
アイリスは即座に踵を返した。
「騎士団、出るぞ」
「はっ!」
騎士たちが一斉に動き出す。
広場へ出た瞬間、怒号と悲鳴が飛び込んできた。
大型魔獣。
牙猪。
毒狼。
甲殻蜥蜴。
通常なら中級冒険者が数人がかりで倒す相手。
それが群れで暴走している。
「ぎゃあああ!」
商店が吹き飛ぶ。
兵士が弾き飛ばされる。
住民が逃げ惑う。
アイリスは剣を抜いた。
銀光。
一閃で大型魔獣の首が飛ぶ。
「前衛展開! 住民を下がらせろ!」
騎士団が動き出す。
だが数が多い。
街中では範囲攻撃も制限される。
魔獣が一体、子供へ向かって突進した。
「っ!」
近くの兵士では間に合わない。
その瞬間。
カインが動いていた。
考えたわけじゃない。
ただ、危ないと思った。
気づけば魔獣の前へ出ていた。
「え?」
子供が目を見開く。
巨大な牙が迫る。
カインは反射的に手を振った。
――ズバン。
空気が揺れる。
次の瞬間。
周囲の魔獣がまとめて崩れ落ちた。
十。
二十。
三十。
全部。
断面すら見えないほど滑らかに切断されている。
時間差で、建物の後ろにあった石壁まで斜めに裂けた。
沈黙。
誰も動けない。
カイン自身が一番驚いていた。
「……あれ?」
静寂の中。
魔獣の死体だけが次々倒れていく。
騎士団も。
冒険者も。
住民も。
言葉を失っていた。
そして。
アイリスだけが、カインを見ていた。
蒼い瞳が、初めて明確に揺れる。
王国最強騎士。
数々の戦場を越えてきた彼女が。
初めて。
理解不能なものへの“動揺”を覚えていた。




