第31話 《セリスの重圧》
王城・執務棟。
深夜。
それでも灯りは消えていなかった。
机の上には山積みの書類。
外交文書。
神殿要求。
貴族抗議。
軍部報告。
その全てに、同じ名前が並んでいる。
カイン・ヴェルクロフト。
セリスは疲れた目で書類を閉じた。
「……またですか」
隣の補佐官が顔を青くする。
「帝国から正式照会です」
「“観測外存在の共同管理を要求”と」
セリスは額を押さえた。
またか。
最近ずっとこれだった。
神託事件以降。
世界中が動き始めている。
帝国は軍事利用を警戒。
教国は神聖存在認定を要求。
一部貴族は暗殺派継続。
神殿は隔離管理を主張。
全部面倒だった。
しかも。
その調整役が、ほぼセリス一人へ集中している。
理由は単純。
カインが彼女へ懐いているから。
「……国家運営ってこんなに胃が痛いんですね」
まだ十七歳だった。
だが。
誰もそれを考慮しない。
王女だから。
有能だから。
全部押し付けられる。
補佐官が小声で言う。
「少し休まれては……」
「無理です」
即答。
休めば破綻する。
実際。
今も神殿側と王族側は険悪だった。
“神々の観測外”。
その存在をどう扱うか。
国論すら割れている。
セリスは窓の外を見た。
夜の王都。
綺麗だった。
でも。
最近その景色を綺麗と思う余裕がない。
その時。
コンコン。
扉がノックされた。
「どうぞ」
返事をすると。
ひょこっとカインが顔を出した。
「……まだ起きてたんですね」
セリスが少し驚く。
「カイン?」
彼はパンの袋を持っていた。
またパンである。
「厨房のおばちゃんが余ったからって」
「食べます?」
完全に普段通りだった。
セリスは一瞬ぽかんとする。
そして。
少しだけ肩の力が抜けた。
「……いただきます」
カインが部屋へ入る。
補佐官たちは微妙な顔をしたが、セリスが手で下がらせた。
二人きりになる。
静かな空間。
カインは机の書類を見て困った顔をした。
「大変そうですね」
「大変です」
セリスは素直に答えた。
もう取り繕う余裕もない。
カインは椅子へ座る。
「俺のせいですか?」
その言葉に。
セリスは少しだけ目を見開いた。
責任を感じている顔だった。
だから彼女は首を振る。
「半分くらい」
「半分なんだ……」
全部ではない。
実際。
王国政治は元々複雑だ。
カインは“きっかけ”に過ぎない。
でも。
世界を変えるきっかけには十分すぎた。
セリスは小さく息を吐く。
「最近ずっと、“王女”としてしか見られていない気がするんです」
ぽつり。
珍しく弱音だった。
カインは黙って聞いている。
セリスは続けた。
「誰もが期待する」
「失敗できない」
「正しい判断を求められる」
「弱い顔を見せられない」
静かな声。
でも。
かなり溜まっていた。
カインは少し考えてから言った。
「でもセリスさん、普通に頑張ってますよね」
あまりにも自然な言葉。
打算も。
政治も。
崇拝もない。
ただの感想。
だから。
逆に胸へ刺さった。
セリスは少し俯く。
「……そんなこと言うの、あなただけですよ」
周囲はみんな、
“王女セリス”を見る。
優秀な王族。
国家の象徴。
交渉役。
でもカインだけは違う。
普通に接する。
無防備なくらい自然に。
カインは首を傾げた。
「セリスさんはセリスさんじゃないですか?」
当然みたいに言う。
その瞬間。
セリスの中で、何かが少しだけ軽くなった。
最近ずっと張っていた糸。
それが緩む感覚。
気づけば。
少し笑っていた。
「……変な人ですね」
「よく言われます」
即答だった。
二人の間に小さな笑いが落ちる。
久しぶりだった。
こんな風に気を抜けたのは。
窓の外。
夜風が静かに吹き抜ける。
セリスはパンを一口食べた。
少し冷めている。
でも。
不思議と温かかった。
そして彼女は思う。
――もう少しだけ頑張れるかもしれない。




