第3話 《黒狼災害》
森の空気が、死んでいた。
カインは街道脇で足を止めたまま、奥の暗闇を見つめる。
風が吹かない。
虫の音もしない。
まるで森そのものが呼吸を止めているようだった。
「……何だ、これ」
胸の奥がざわつく。
本能が警鐘を鳴らしていた。
帰った方がいい。
近づくな。
そう叫んでいる。
だが次の瞬間。
――グルルルルル……。
地鳴りのような低い唸り声が響いた。
木々が揺れる。
その奥から、巨大な影が現れる。
漆黒の体毛。
赤黒く燃える瞳。
四足の巨体は、家屋ほどもある。
そして全身から漏れ出る魔力が、周囲の木々を軋ませていた。
「っ……!」
カインの喉が詰まる。
知識がなくても分かった。
ヤバい。
圧倒的に。
存在してはいけない何かだ。
魔獣はゆっくりと顔を上げる。
その瞬間。
ドゴォッ!!
周囲の木々がまとめて吹き飛んだ。
ただ殺気を向けただけで。
地面が割れ、岩が浮き、空気が震える。
カインは反射的に後退した。
心臓が激しく脈打つ。
――同じ頃。
アルディアの街では鐘が鳴り響いていた。
「緊急事態だ!!」
「魔獣災害発生!!」
「黒狼フェンリル確認!!」
冒険者ギルドは怒号で埋まっていた。
受付嬢たちが走り回り、神官が青ざめた顔で報告を飛ばしている。
フィアも蒼白だった。
「黒狼フェンリル……!? そんな、なんでこんな辺境に……!」
Aランク災害級魔獣。
本来なら王都騎士団案件。
地方都市で対処できる存在ではない。
ギルド長が怒鳴る。
「城門閉鎖! 住民避難を急げ!」
「上級冒険者を集めろ!」
しかし。
「む、無理だ!」
「相手が悪すぎる!」
「死ぬぞ!!」
冒険者たちは恐慌状態だった。
中には逃げ出そうとする者までいる。
そんな中、ガルドが剣を掴んだ。
「行くぞ」
ミリアが顔を上げる。
「ガルド、本気なの……!?」
「逃げたら街が終わる」
低い声だった。
他のメンバーも顔を強張らせながら続く。
恐怖は全員同じ。
それでも行かなければならない。
冒険者だからだ。
一方。
森では。
黒狼フェンリルがゆっくりとカインへ近づいていた。
一歩踏み出すたびに地面が沈む。
赤い眼光が、獲物を値踏みするように細められる。
「くっ……」
カインは腰の剣を抜いた。
安物の鉄剣。
雑用用に持っているだけの武器だ。
手が震える。
逃げたい。
だが足が動かない。
フェンリルが口を開く。
灼熱の魔力が収束する。
空気が歪む。
直感で分かった。
次の一撃で、自分は死ぬ。
恐怖が頭を真っ白にした。
だから。
カインは剣を振った。
ただ、生き残りたくて。
無我夢中で。
一閃。
その瞬間。
世界が止まった。
――――――――。
音が消える。
風も。
揺れる木々も。
フェンリルの咆哮も。
全部。
次の瞬間。
空が割れた。
遥か上空の雲が一直線に裂ける。
森を越え。
山脈を越え。
地平線の彼方まで。
白い断裂が世界を横断した。
そして。
フェンリルが消えた。
跡形もなく。
存在そのものを削除されたみたいに。
その後ろにあった山も。
まとめて。
ズルリ、と。
巨大な断面を晒して崩れ落ちる。
数秒。
完全な無音。
誰も理解できない。
そして遅れて。
――ゴォォォォォォォォォォッッッ!!!!!!
衝撃波。
大気が爆発する。
森が吹き飛ぶ。
木々が根こそぎ宙を舞う。
地面がめくれ上がる。
街の城壁まで激震が走った。
ガルドたちは思わず伏せる。
「な、何だぁぁぁっ!?」
ミリアが悲鳴を上げる。
誰も立っていられない。
やがて轟音が止み。
舞い上がった土煙がゆっくり晴れていく。
そこには。
一直線に消滅した森と。
真っ二つになった山脈。
そして。
呆然と立ち尽くすカインだけがいた。
彼自身も理解していなかった。
手にした剣を見る。
刃が半分溶けて消えていた。
「……え?」
その場にいた全員が。
冒険者も。
ギルド職員も。
城壁の兵士も。
ただ、同じ顔をしていた。
「…………は?」




