第9話:聖女救出と仕組まれた狂言
天道輝がこの異世界に召喚されてから、一ヶ月の月日が流れた。
王城の豪華な自室で、輝は宙に浮かぶ半透明なステータス画面を眺め、満足げに目を細めた。
【天道輝:ステータス】
レベル:135
HP:1520
MP:1840
ATK:1480
DEF:1320
AGI:1650
INT:1980
影分身:212体
(一ヶ月でこれか。もはや、この世界の「神」を名乗っても罰は当たらない数値だな)
分身体たちは今や王都の全域、さらには近隣の村々にまで浸透している。
彼らが絶え間なく魔物を狩り、情報を収集し、商売を回すことで、輝のレベルと資産は指数関数的に膨れ上がっていた。
もはや、バルバロス団長のような「最強」を自称する騎士ですら、輝からすれば羽虫と変わらない存在となっていた。
(さて、今日は記念すべき日だ。……俺のコレクションに、最高の「聖女」を加える日が来た)
輝は優雅に椅子から立ち上がると、窓の外に広がる大聖堂を眺めた。
そこでは今、彼が丹念に仕込んだ「三文芝居」が幕を開けようとしていて、王都の中心、白亜の大聖堂の前には、異様な熱気と殺気が渦巻いていた。
「この魔女め!前教皇様たちを呪い殺し、教会を乗っ取ろうとした報いを受けろ!」
「そうだ!聖女のふりをした悪魔だったんだろう!」
怒号の渦の中心にいたのは、ボロボロに破れた修道服を纏い、地面に膝をつく少女、クラリスだった。
彼女の瞳は絶望に染まり、頬には投げられた石が掠めたのか、一筋の赤い血が流れている。
(ああ……どうして、こんなことに……)
ホフマンが大司教から教皇に就任し、ようやく教会の腐敗が正されると信じていたクラリスは、震える手で地面を掴んでいた。
ホフマンが不在の隙を突いて、反対派のゲオルグ司祭たちが暴動を煽動したのだ。
「皆の者、聞け!このクラリスという娘こそが、我が聖教会を内部から腐らせた根源である!」
ゲオルグ司祭——肥満体で欲深い瞳をしたその男は、民衆を指差して声を張り上げた。
実際には、このゲオルグも、野次を飛ばしている一部の民衆も、すべては輝の分身体なのだが、極限状態のクラリスにはそれを知る由もない。
「殺せ!魔女を処刑しろ!」
民衆の怒りが沸点に達し、一人の男が振り上げた拳が、クラリスの細い肩に振り下ろされようとした、その時。
「——そこまでに、しておきましょうか」
澄み渡るような、しかし有無を言わせぬ威圧感を孕んだ声が響き渡った。
群衆が割れる。
そこに現れたのは、銀の装飾が施された白の外套を翻す、天道輝だった。
彼は一切の迷いなくクラリスの前に立ち、彼女を庇うようにしてゲオルグ司祭を見据えた。
「な、何事だ!勇者殿、これは教会の内部問題だ。俗世の者が介入することではない!」
ゲオルグ司祭(分身体)が、台本通りに狼狽した演技を見せる。
輝は冷笑を浮かべ、よく通る声で問いかけた。
「内部問題、ですか。ではお尋ねしますが、この教会の最高責任者であるホフマン教皇猊下は今、どこに? なぜ、彼を通さずにこのような私刑が行われているのですか?」
「教皇様は不在だ!だからこそ、我々志ある者が浄化を行っているのだ!」
ゲオルグの叫びに合わせ、輝が仕込んだサクラの民衆が再び騒ぎ出す。
しかし、輝は動じない。
「不在、ですか。奇遇ですね。僕の仲間に、高位の『鑑定』スキルを持つ者がいます。……彼女を鑑定すれば、聖女なのか魔女なのか、一瞬で分かりますが? ゲオルグ司祭、許可をいただけますか?」
「な、何だと……! 聖女を俗人が鑑定するなど、神への冒涜だ! 控えよ!」
ゲオルグの過剰なまでの拒絶。
その不自然な焦りに、それまで熱狂していた本物の民衆たちの間に、微かな違和感が芽生え始めた。
野次が止み、人々が輝の言葉に耳を傾け始める。
「では、許可をいただけないのなら、そこの野次を飛ばしている彼らを鑑定しましょうか」
輝は鋭い視線をサクラの男たちに向けた。
「彼らがどこの誰から金をもらい、誰の差し金でここに集まっているのか……隠し通せると思っているのですか?」
「くっ……教皇を、いや、教会を疑うというのか!」
ゲオルグ司祭は冷や汗を流しながら、必死に声を荒げる。
輝はゆっくりと、勝利を確信した歩みで彼に詰め寄った。
「前教皇と枢機卿の幼児虐待や殺害、そして第一王子に脅されていたヴァレンティン司教……。これだけの膿が出たばかりの教会で、信頼できるホフマン教皇の不在を狙い、一方的に少女を糾弾する。……その主張に、一体何の客観的根拠があるのですか?」
静まり返る広場。
輝の声だけが、冷徹に事実を刻んでいく。
「この場は、勇者である僕が預かります。不服があるなら、王城へ。僕が陛下の前で、彼女の潔白を証明してみせましょう」
輝は地面にへたり込むクラリスに手を差し伸べた。
怯える彼女の肩を優しく抱き寄せると、最後に群衆を振り返り、決定的な「爆弾」を投下した。
「皆さんはご存知ですか? 他国の聖女様方は皆、高位貴族の令嬢であり、強力な後ろ盾を持っています。……しかし、このクラリス様だけは、身寄りのない孤児であり、清貧を貫き、政治的な派閥を持たなかった。だからこそ、腐敗した者たちにとって『都合の良い生贄』にされやすかったのだということを」
その言葉に、民衆の表情が一変した。
「……孤児、だったのか」
「そういえば、あの司祭様、さっきから目が泳いでいないか?」
疑惑の矛先がゲオルグに向けられ、同時に、クラリスを守り抜いた輝への称賛の声が沸き起こる。
「……勇者、様……」
クラリスが、縋るような瞳で輝を見上げた。
輝は、彼女に慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、王城へと連れ出した。
王城、謁見の間。
国王リチャードの見守る中、王家秘伝の鑑定器具を用いた儀式が行われた。
結果は、言うまでもない。
クラリスは間違いなく神託によって選ばれた聖女であり、何の犯罪も犯していないことが公的に証明されたのだ。
そこへ、血相を変えたホフマン教皇が駆け込んできた。
「陛下! 勇者殿! 申し訳ございません……!」
ホフマンはクラリスの前に跪き、地面に頭を擦り付ける勢いで謝罪した。
「聖女様への冷遇は把握しておりましたが、教皇就任後の混乱で手が回らず……まさかゲオルグが、あのような暴挙に出るとは……。件のゲオルグですが、他国の密偵と通じていたことが判明しました。現在は、すでに国外へ逃亡したようです……」
すべては、輝が仕組んだ筋書き通りだ。
「ゲオルグ(分身体)」は、他国の密偵との繋がりを偽造し、ホフマンが調査のために教会を離れるよう誘導され、その隙に暴動を起こした——という「物語」が完成していた。
「教皇として……どう責任を取れば良いか……。敵の策に踊らされていたと認めざるを得ない……。神の使いたる聖女様を傷つけてしまった……」
自責の念に駆られるホフマン。
その肩に、輝が優しく手を置いた。
「教皇様、自分を責めないでください。貴方は一人でこの腐敗した巨大組織を立て直そうとしていた。……陛下、こう発表してはいかがでしょう」
輝は国王に向き直り、澄ました顔で提案した。
「最初から僕と教皇様は裏で手を結んでおり、教会の膿を完全に炙り出すために、あえて隙を見せる作戦だった……と。そうすれば、教皇様の威信は保たれ、民衆も納得するはずです」
国王リチャードはゆっくりと目を閉じ、深く頷いた。
「……勇者殿の慈悲、痛み入る。その提案を採用しよう。ホフマン教皇、そなたは今後、より一層勇者殿と協力し、国の安定に努めよ」
「は、ははっ! ありがたき幸せにございます!」
ホフマンは輝に絶対的な恩義と、言葉にできない底知れぬ「借り」を感じ、深く頭を下げた。
(当然だ。ホフマンも、教会も、これで俺の所有物になったわけだからな)
王城の回廊を、輝はクラリスを労わりながら歩いていた。
「もう大丈夫ですよ、クラリスさん。これからは僕のパーティとして、僕が責任を持って貴女を守ります」
「はい……はい……! ありがとうございます、勇者様……私、一生貴方についていきます……!」
クラリスの目には、救世主としての輝への盲目的な崇拝が宿っていた。
その時、前方から足早に近づいてくる影があった。
「——輝様!」
アリシア王女だった。
彼女は輝の腕に抱きつくように寄り添うクラリスを見て、一瞬、その美しい微笑みを凍りつかせた。
「アリシア様。聖女様の件、無事に解決しましたよ」
「ええ……聞き及んでいますわ。……ですが、聖女様。勇者様は大変お忙しい身。いつまでもそうして甘えていては、勇者様のお邪魔になってしまいますわよ?」
アリシアの声は優しかったが、その瞳の奥には隠しきれない独占欲と、冷たい拒絶の光が宿っていた。
クラリスもまた、輝の腕を掴む手に力を込め、一歩も引かない構えを見せる。
「いいえ。勇者様は私を必要としてくださっています。……王女様こそ、公務にお戻りにならなくてよろしいのですか?」
目に見えない火花が散り、二人の美女の間で不穏な沈黙が流れる。
輝はその光景を、極上のシャンパンでも味わうかのような愉悦とともに眺めていた。
(王女と聖女……どちらも俺の掌の上で踊る、美しい人形だ)
輝は、誰にも見られない角度で、どこまでも暗く、甘美な笑みを深めた。
彼の蜘蛛の巣は、今やこの国の運命そのものを完全に捕らえていた。




