第5話:聖女の孤独と教会の深淵
本日2話目
朝の陽光が差し込む豪奢な客室。
輝は姿見の前に立ち、特注の細身の騎士服に袖を通しながら完璧な身支度を整えていた。
(よし、今日も愛と希望に溢れる『完璧な勇者』の顔になっているな)
鏡の中の爽やかな自分に向かって微笑みかけながら、輝の脳内では凄まじい速度で莫大な情報が処理されていた。
視界の隅に表示されたステータス画面と、脳内に直接流れ込んでくる『彼ら』からの報告。
現在、輝の分身体は五十体にまで増殖していた。
初期に放った十体が森で昼夜を問わず魔物を狩り続け、レベルが上がるたびに輝はMPの最大値を増やし、新たな分身体を量産してきたのだ。
分身体個々の戦闘能力は、すでに近衛騎士の精鋭すら凌駕し始めている。
(隣国から来たコネ聖女のイザベラには辟易したが、おかげで良い思いつきができた)
輝は首元のタイを締めながら冷酷に思考を巡らせる。
(敵を知り己を知れば百戦危うからず、だ。まずは身内である自国アーデルハイドの『聖女』という駒の性能を把握しておくとしよう。興味本位に近いが、把握しておいて損はない)
輝は脳波を通じて、王都に潜伏させている分身体たちに新たな指示を飛ばす。
(教会は絶大な権力を持つ伏魔殿だ。真正面からの潜入だけではなく、外側からの情報網も構築しろ。数体の分身体は冒険者ギルドで登録を済ませ、下からの人脈を作り上げろ。金なら収納魔法の中にいくらでもある)
五十体の分身体が、輝の意のままに王都の影で蠢き始める。
表向きは騎士団と共に魔物討伐に励み、少しずつ強くなる健気な勇者を演じつつ、裏ではすでにこの世界の裏側を侵食し始めているのだ。
「勇者様、ご準備はよろしいですか?」
扉の向こうからアリシアの声が響く。
「はい、今行きます!」
輝は快活に返事をし、いつもの完璧な仮面を貼り付けて部屋を出た。
***
その日は、アリシアの案内で王都の視察に出る予定だった。
王家の紋章が刻まれた豪奢な馬車が、活気あふれる王都の大通りをゆっくりと進んでいく。
「勇者様!勇者様だ!」
「ああ、なんて神々しいお姿……!」
沿道には輝を一目見ようと、大勢の民衆が押し寄せていた。
「勇者様、民が貴方を歓迎しておりますわ」
「みんな、温かい人たちですね。僕はこの笑顔を守るために戦うんだと、改めて決意しました」
輝はアリシアに優しく微笑みかけながら、窓の外に向かって爽やかに手を振る。
その純真な言葉に、アリシアはうっとりと頬を染めた。
(チョロい。こうして愛想を振りまくだけで、民衆の支持率が勝手に上がっていく)
輝の目は、歓声を上げる民衆に向けられていながら、同時にそのすべてを【広域鑑定アーカイブ】でスキャンしていた。
誰がどこに住み、どんなスキルを持ち、どれほどの財産を持っているか。
視界に入るすべての人間が、ただの情報データとして輝の脳内に蓄積される中、輝は馬車の中でアリシアと優雅な談笑を交わす。
さらに、並列思考で分身体たちへ矢継ぎ早に指示を飛ばし続けていた。
***
馬車が最初に到着したのは、冒険者ギルドの王都本部だった。
活気と汗の匂い、そして血生臭さが入り混じった無骨な空間に、輝とアリシアが足を踏み入れる。
「ようこそおいでくださいました、勇者様。私がギルドマスターを務めております、ガズと申します」
出迎えたのは、顔に大きな刃物の傷跡を持つ、熊のように巨大な男だった。
輝は即座に【真理の眼(鑑定)】を発動する。
(元Aランク冒険者。レベルも高く、実戦経験はバルバロス団長以上か。性格は実力主義だが、引退した冒険者の再就職先を斡旋するなど、仲間思いで慕われているタイプだな)
輝は瞬時にガズの性格を分析し、最も彼に好まれる対応を選択した。
「初めまして、ガズさん。天道輝です」
輝は王族の付き添いという権威を一切振りかざさず、深々と頭を下げた。
「僕は勇者と呼ばれていますが、実戦ではまだ皆さんの足元にも及びません。ここでは一人の新米冒険者として、先輩方から様々なことを学びたいと思っています。どうか、ご指導をお願いします」
その謙虚な姿勢と、見せかけではない芯の通った声色(前世の剣道で培った丹田からの発声)に、ガズは少し驚いたように目を見張った。
「……なるほど。ただの甘ちゃんじゃないってわけですか。いい目をしてらっしゃる。こちらこそ、微力ながら協力させてもらいますよ」
ガズの硬かった表情が和らぎ、輝への確かな信頼が芽生えた瞬間だった。
(よし、クリアだ。こういう合理的な現場主義者は、媚びるよりも真っ直ぐに教えを乞う方が懐に入りやすい。これで冒険者ギルドも俺の息がかかったな)
***
次に訪れたのは、冒険者ギルドとは打って変わって、豪華絢爛だがどこか成金趣味な装飾が目立つ商業ギルド本部だった。
「おお!これはこれは勇者様!アリシア王女殿下!お会いできて光栄の極みでございます!」
揉み手でお辞儀をしながら現れたのは、高級な絹の服に身を包んだ小太りの男だった。
「商業ギルドマスターのポルクと申します!我がギルドは勇者様の魔王討伐を、金銭面から全力で支援させていただきますぞ!」
輝は爽やかな笑顔を向けながら、彼にも【真理の眼(鑑定)】を向けた。
(……はっ、なるほどな)
輝は内心で冷笑を漏らした。
鑑定ウィンドウに表示されたポルクの備考欄には、『親のコネによる就任』という経歴に加え、【横領】【密輸】【贈賄】【未成年者売買の加担】といった犯罪履歴がびっしりと羅列されていたのだ。
「それは心強いです、ポルクさん。魔物と戦うには、皆さんのような後方支援が不可欠ですからね。頼りにしていますよ」
「ははぁっ!お任せを!何なりとお申し付けください!」
輝に肩を叩かれ、ポルクは有頂天になってへりくだる。
(救いようのないゴミだな。だが、ここまで弱みだらけなら、証拠を突きつければいつでも社会的に抹殺できる。逆に脅迫して、俺の裏金を作るための『資金洗浄用の洗濯機』として使い倒すには最高の逸材だ)
輝は満面の笑みでポルクと固い握手を交わした。
***
そして視察の最後、王都の中央に鎮座する白亜の大聖堂へとやってきた。
教会の敷地内は厳粛な空気に包まれており、神聖な祈りの声がどこからか聞こえてくる。
「勇者様、ようこそ聖教会へ。私は大司教のホフマンと申します。神の導きにより、貴方様をお迎えできたことを感謝いたします」
出迎えたのは、白い法衣を纏った実直そうな老人だった。
「ホフマン大司教。教皇猊下と枢機卿はどうされました?世界を救う勇者様が直々に足を運ばれたというのに、お出迎えがないとはどういうことです?」
アリシアが不満げに抗議の声を上げる。
「も、申し訳ございません、王女殿下。教皇猊下と枢機卿は、現在急な神事のため奥の祈りの間に籠もっておられまして……」
ホフマンは信仰心は厚そうだが、上層部の都合に振り回されているような、申し訳なさそうな態度だった。
(なるほどな。教皇と枢機卿は俺に会う気がないか。まあいい、表の顔合わせなどただの儀式だ。真実は、すでに『俺の影』が探っている)
その時、脳内に分身体たちからの報告が連続して飛び込んできた。
『報告。大聖堂の地下、結界が張られた最深部の隠し部屋に教皇と枢機卿が滞在しているのを確認』
『結界の強度は極めて高く、物理的な侵入は現在不可能』
(勇者である俺を軽視しているのではなく、会えない理由があるのか。何かを隠しているか、俺を利用するために良からぬ準備をしているのか……まあ、後でゆっくり暴いてやる)
さらに、別の分身体からの報告が届く。
『報告。旧館の古びた礼拝堂にて、アーデルハイド王国の聖女を発見』
(おっと、本命にたどり着いたか。ずいぶんとあっさり見つかったな。教会の厳重な警備を考えれば罠の可能性もあるが……どれ、鑑定結果はどうだ?)
脳内に送られてきた聖女の映像と鑑定結果を見て、輝は思わず目を見張った。
映像に映っていたのは、豪奢なイザベラとは真逆の、飾り気のない質素な修道服を着た少女だった。
細く折れそうな体躯だが、祈りを捧げるその瞳だけは、透き通るような純粋な輝きを放っている。
【名前:クラリス】
【職業:アーデルハイド王国聖女】
【備考:貧民街の孤児。12歳で神託を受け、教会に回収される。本物の治癒・浄化能力を持つが、後ろ盾がないため貴族派からは冷遇されている】
(……なるほど。平民出身の『本物の聖女』か。権力闘争の道具として使われ、教会内部でも孤立しているわけだ。ボロボロになるまで魔力を酷使させられているのが分かる)
輝の脳内で、冷酷なシナリオが完璧な形で組み上がっていく。
(権力を持たない孤独な本物の聖女。最高じゃないか。罠どころか、絶好の獲物だ。誰も味方のいない彼女に、俺が優しく手を差し伸べる『唯一の救世主』になってやればいい)
輝の瞳の奥で、昏い欲望の炎が揺らめく。
(彼女を恩義と依存で完全に縛り付ければ、教会の民衆支持は根こそぎ俺のものになる。イザベラのような我の強い女より、こういう純粋で孤独な女の方が、操り人形としては最高級の性能を発揮するからな)
「勇者様?どうされましたか?」
アリシアが不思議そうに覗き込んでくる。
「いえ、なんでもありません。ホフマン大司教、お忙しいところありがとうございました。神事の邪魔をしてはいけませんので、今日はこれで失礼します」
輝は一切の不快感を見せず、深く頭を下げて大聖堂を後にした。
***
夕暮れ時。
視察を終え、王城へと戻る馬車の中。
「今日は一日、色々な場所を回れて楽しかったです。アリシア様、案内してくれてありがとうございました」
「こちらこそ!勇者様が我が国のことを知ってくださって、本当に嬉しいですわ」
夕陽に照らされた輝の美しい微笑みに、アリシアは完全に心を奪われたような表情を浮かべている。
(ああ、今日も最高の一日だった)
輝はアリシアに優しく微笑みかけながら、脳内では五十体の分身体から送られてくる情報を元に、巨大な権力地図を組み上げていた。
(聖女クラリスの圧倒的な孤独。商業ギルドのポルクの腐敗。冒険者ギルドのガズの実直さ。そして、教会の深淵に隠された秘密)
盤上に、すべての駒が揃いつつある。
オレンジ色に染まる馬車の中で、偽りの勇者は誰にも気づかれることなく、絶対的な支配者としての狂気じみた笑みを深めていた。




