第4話:偽りの聖女と鑑定の網
翌朝。
朝食を終えた輝は、再び大図書館の静寂の中にいた。
「勇者様、本日はどのような調べ物でしょうか」
背後から、感情の抜け落ちた声が響く。
専属メイドであるセリアが、主人に影のように寄り添い、その一挙手一投足を監視しているのだ。
(セリアの監視が実に鬱陶しい。彼女を遠ざけたいが、無理に理由をつけて遠ざければ『何か隠し事がある』と王妃に報告されるだけだ。今は『勤勉で無害な勇者』の印象を守りつつ、彼女を無力化する大義名分が必要だな。……これは引き続き要検討だ)
輝は内心で舌打ちをしながらも、振り返って爽やかに微笑んだ。
「昨日は初級魔法しか読めなかったからね。今日はこの世界の歴史や、他国の情勢について知っておきたくて」
「感心な心掛けです。お手伝いできることがあればお申し付けください」
(手伝いなど不要だ。ただそこに突っ立っていればいい)
輝は本棚に向き直ると、指先を滑らせて無数の書物に触れていく。
発動しているのは、対象の知識を一瞬で脳内にダウンロードするチート魔法『記憶の書庫』だ。
(素晴らしい。知識が、世界の理が、俺の脳をどんどん満たしていく)
輝が感じていた万能感は、ただこの図書室にある本から得たものだけではなかった。
現在、王都周辺の森には、昨夜放った十体の分身体が潜伏している。
彼らは魔物を狩るだけでなく、森の奥深くで朽ち果てた冒険者の手記や、古代の石碑などを発見しては、次々と『メモリー・アーカイブ』で吸収していた。
分身体が得たその膨大な情報は、リアルタイムで本体である輝の脳内へと流れ込んでいるのだ。
(王宮の書物だけでは得られない、生々しい実践的な知識。俺の情報量は今や、この王城の賢者たちすら凌駕しつつある)
輝は優越感に浸りながら、さらに新たな魔法を脳内で構築していく。
(情報収集の次は、対象の『真実』を丸裸にする力、そして物理的な『略奪』の手段だ)
『創造魔法承認――オリジナル魔法【真理の眼(鑑定)】の構築を完了しました』
『創造魔法承認――オリジナル魔法【虚空の檻(収納)】の構築を完了しました』
(よし、これで準備は整った。あとは動作確認だな)
***
昼食前、輝は「少し失礼」とセリアを廊下で待たせ、王城の豪華な個室トイレへと入った。
城の内部において、ここが唯一、誰の目も届かない完全な死角である。
輝は手洗い場に置かれていた、高価な香料が使われた石鹸を手に取った。
【虚空の檻(収納)】
脳内で呟くと、手のひらにあった石鹸が、音もなく、光も発さずに一瞬で虚空へ消え去った。
(完璧だ。魔法発動の予備動作も魔力光もない。これなら衆人環視の中でも、証拠を残さずに何でも略奪できる)
さらに、輝は虚空に手を突っ込むような動作をした。
引き抜いた手の中には、先ほどの石鹸ではなく、血の匂いが微かに漂う小石のようなものが握られている。
(分身体が森で倒したゴブリンの魔石か。なるほど、俺の収納空間と分身体たちの収納空間は、四次元ポケットのように完全に共有されているというわけか)
これならば、分身体が世界の果てで手に入れた宝物であっても、輝は一瞬で手元に引き出すことができる。
満足して魔石を収納に戻すと、次は【真理の眼(鑑定)】の検証だ。
手鏡に映る自身の姿を見つめ、魔法を発動する。
視界に半透明のウィンドウが浮かび上がった。
そこには『天道輝』『レベル12』『全属性魔法適性S』といった本来のステータスが表示されている。
(やはり、鑑定魔法の精度は申し分ない。……だが、裏を返せば、この世界の高位の鑑定士や、強力な魔道具を使われれば、俺や分身体の異常なステータスがバレるリスクがあるということだ)
輝の口角が冷酷に吊り上がる。
(当然、その対策はすでに済ませてあるがな)
輝は【隠蔽】のスキルを操作し、自身と十体の分身体すべての表示ステータスを偽装した。
仮に今、高位の鑑定士が輝たちを視たとしても、そこには『平凡な村人』や『少し腕の立つ傭兵』程度の、取るに足らない偽のステータスしか表示されない。
これで、分身体たちが世界中で暗躍したとしても、輝へと辿り着く足取りは完全に絶たれた。
「……さて、そろそろ出るか」
輝は個室を出て、待機していたセリアに爽やかな笑顔を向け、食堂へと向かった。
***
午後は中庭の訓練場で、近衛騎士団の稽古に参加した。
「勇者様、剣の振りは鋭いですが、まだ下半身の粘りが足りませんぞ!」
騎士団長バルバロスが、巨大な木剣を軽々と振り回しながら直接指導にあたっている。
輝は息を切らすフリをしながら、密かにバルバロスに【真理の眼(鑑定)】を発動した。
(レベル65。筋力も敏捷も、現在の俺をトリプルスコアで凌駕しているな。おまけに『歴戦の勘』なんていう厄介なパッシブスキルまで持っている)
輝は瞬時に自身の立ち位置と取るべき行動を計算した。
(まだ近接戦闘のみで正面切って戦うには、このおっさんの方が上か。今は『底知れないポテンシャルを持ちつつも、経験不足で団長を心から尊敬している若者』というポジションを維持すべきだな)
バルバロスの鋭い横薙ぎの一撃が迫る。
輝は完全に躱せるタイミングだったが、わざと数ミリ反応を遅らせ、「紙一重で防げなかった」というように木剣を弾き飛ばされて尻餅をついた。
「くっ……!やはり団長には敵いませんね。動きが全く見えませんでした」
「はっはっは!勇者様といえど、実戦の勘は一朝一夕には身につきませぬからな!しかし、その筋の良さは本物だ。私が鍛え上げて進ぜよう!」
「ありがとうございます!さすが団長です。僕なんてまだまだですね」
輝が尊敬の眼差しを向けて謙虚に頭を下げると、バルバロスは自尊心を大いに満たされ、豪快に笑い声を上げた。
(単純な男で助かる。適度に持ち上げて、謙虚に鍛錬している姿を見せておけば、俺の計画の邪魔にはならないだろう)
***
夕方。
汗を流して着替えた輝は、アリシアに連れられて豪華な応接室へと向かっていた。
「勇者様、本日は隣国から親善訪問中の、聖女様をご紹介いたします」
応接室の扉が開くと、そこには黄金の縦ロールヘアを揺らし、これ見よがしな宝石を散りばめた煌びやかな純白の聖衣を纏った少女が座っていた。
「お初にお目にかかります。私が神の声を代弁する者、聖女イザベラと申します。伝説の勇者様とお会いできて、光栄の極みですわ」
扇子で口元を隠しながら優雅に微笑むが、その釣り上がった目からは、隠しきれない傲慢さと計算高さが透けて見えている。
輝は即座に【真理の眼(鑑定)】を発動した。
(レベルはたったの4。魔法適性は『治癒魔法(偽)』。そして相手を心酔させるパッシブスキル『魅了』持ちか。……おまけに備考欄には『実父が教皇へ多額の寄付をした事により聖女に選出』だと書いてある)
輝は内心で深くため息をついた。
(ひどいコネ聖女だな。どう見ても権力欲と承認欲求の塊だ。だが、教会の持つ権威と実家の圧倒的な財力は無視できない。ここも『聖女の神々しさに圧倒される純朴な勇者』を演じて、上手く取り込むのが最善か)
輝が「お美しい……」とわざとらしく頬を染めて見せると、イザベラは満足げに目を細めた。
「ふふっ、勇者様は素直で可愛らしい方ですのね。よろしければ、この私が勇者様を直々に導いて差し上げましょうか?」
イザベラが輝の手を取ろうとした瞬間、横からスッとアリシアが割って入った。
「聖女様、お気遣い感謝いたします。ですが、勇者様は我がアーデルハイド王国の客人。お世話は私どもが責任を持って行いますわ」
アリシアの笑顔は完璧だったが、その声には絶対零度の冷気が混じっていた。
「あら、アリシア王女殿下。勇者様は神の使徒。ならば、神の代理人であるこの聖女イザベラが教え導くのが、この世界の道理というものではなくて?」
イザベラも負けじと、扇子の奥で好戦的な笑みを浮かべる。
「当国には当国のやり方がありますの。聖女様は遠路はるばるお越しで、お疲れでしょう?無理はなさらないでくださいな」
「ご心配なく。神の愛に疲労などありませんわ。ねえ、勇者様?」
両者の一歩も譲らない、笑顔の下でのバチバチとした火花の散るような牽制合い。
表面的には優雅な茶会だが、その実態は最高権力者の娘たちによる『勇者』という絶大なブランドの奪い合いであった。
(やれやれ、女の戦いか。面倒極まりないが、両方から求められているこの状況は俺の価値を跳ね上げる。悪くない)
輝は困惑したような愛想笑いを浮かべながら、巧みに両者の顔を立てて躱し続けた。
***
夜。
イザベラを歓迎する、昨日以上の大規模な晩餐会が開かれた。
輝はアリシアとイザベラの間に座らされ、両耳から延々と続く二人のマウント合戦と自慢話に、完璧な笑顔を貼り付けたまま耳を傾けていた。
だが、輝の意識の半分は、全く別の作戦へと向けられていた。
(さて、この絶好の機会に、城のネズミどもを炙り出させてもらうとしよう)
輝は【真理の眼(鑑定)】にアーカイブ機能を付与したオリジナル魔法【広域鑑定アーカイブ】を密かに実行した。
視界に入るすべての人間――着飾った招待客、客の歓待準備を取り仕切る執事、料理人、配膳やルームメイクなどの実務を担当する使用人、さらには聖女が連れてきた専属メイドに至るまで、片っ端から自動スキャンし、裏の素性をログに残していく。
和やかな歓談の裏で、数分間に数百人の個人情報が輝の脳内に蓄積されていく。
(……ん?)
ワイングラスを傾けていた輝の思考が、一瞬だけ止まった。
脳内に流れてきたアーカイブ情報の中に、見逃せない決定的な一文を見つけたのだ。
(イザベラの専属メイドの一人と、城の配膳係の二名……ステータスの備考欄に【他国の密偵】と記載されているな。なるほど、帝国かどこかの工作員が入り込んでいるわけか)
輝の内心は、小躍りしたいほどの歓喜に包まれた。
(大収穫だ。まさかこんなに早く、極上の『駒』が見つかるとはな)
輝は晩餐会の喧騒と、ヒロインたちの言い争いに紛れ、テーブルの下の自身の影から、音もなく分身体を一体放った。
(あのスパイどもの影に分身体を潜ませろ。彼らが密会し、機密文書を奪取する決定的な瞬間を記録するんだ)
輝の脳内では、すでに次の恐るべき陰謀が策定されていた。
(スパイどもを操るなら、『精神操作魔法』で洗脳するのが一番手っ取り早いが……あれはダメだ。分身体に盗賊を操らせてみたが、操られている人間の目が死んで、挙動が機械的で不自然になってしまうというデメリットがあった。鋭い奴に見られれば、異常に気付かれてしまう)
輝はグラスの赤ワインを見つめながら、冷酷に思考を回す。
(だから、洗脳はしない。他人に変装させた分身体を使って、スパイどもの決定的な証拠を突きつけ、完膚なきまでに脅迫するんだ。命と尊厳を握り潰し、俺の意のままに偽の情報を祖国に流させる『生きた二重スパイ』に仕立て上げてやる)
優雅な音楽が流れる中、晩餐会は夜遅くまで続いた。
「勇者様、今度は私の国にもぜひいらしてくださいね!」
「勇者様は明日、私と王都の視察に行くお約束ですわよね?」
聖女と王女に腕を引かれ、輝は困ったように「ははは、順番に、ね」と爽やかに笑う。
その純朴な笑顔の仮面の下で、偽りの勇者は嘲笑していた。
(泳がせておけ。スパイも、聖女も、王族も。お前たちはすべて、俺が張り巡らせた蜘蛛の巣にかかった哀れな獲物だ)
闇の中で分身体が静かに動き出し、豪華絢爛な王城の裏側が、着実に天道輝という劇毒の色に染まり始めていた。




