第21話:量産される手駒と潜入の先輩勇者
動植物の異常増殖に対する地獄のようなマクロ処理を終えた天道輝は王城の別荘でようやく一息ついていた。
「……マジで脳の血管が何本か切れるかと思ったぞ」
生命創造の魔法で生み出した漆黒のメイドが恭しく差し出した紅茶を一口啜り輝は深くソファに沈み込んだ。
全知全能の亜神のスペックをもってしても五千万の分身体による並列処理は完全なオーバーフローを引き起こしていた。
今もなお世界中に散らばる分身体から無数の報告がシステムログとして絶え間なく送られてきている。
だが現在の輝の視界に展開されたウィンドウは驚くほど静かだった。
異常無しの報告は全て自動で処理されるよう強力なマクロを組んで弾いているからである。
「生態系への干渉は完全にシャットアウトしたはずだ」
輝は疲労の滲む目で虚空のログを見つめた。
スギ花粉や未知の毒虫といった地球由来のバグデータは設定した上限数値によりこれ以上増殖することはない。
事態が順調に沈静化へ向かっていることを確認し輝は次なる一手を考え始めた。
「このまま分身体による人海戦術に頼るのは俺の脳に対するリスクが高すぎる」
自分の意識を分割する分身体は便利だが今回のような広域ハッキング攻撃を受けた際の負荷が尋常ではない。
ならば自身の処理能力を圧迫しない完全な別個体の手駒が必要だった。
「俺の脳を介さない独立したAI……つまりこのメイドのような『分身体ではない部下』を量産するしかないな」
輝は紅茶の空になったカップを置き新たな生命創造のコマンドを静かに構築し始めた。
一方その頃。
高梨絵里奈は王都近郊の平原に音もなく降り立っていた。
「……なんだか拍子抜けね」
彼女は周囲の景色を見渡しながら不満げに唇を尖らせた。
隠蔽魔法を限界まで重ね掛けし大気圏外から隕石をも凌ぐ速度で突入するという決死のダイブであった。
警戒されていれば即座に迎撃されるリスクを覚悟していたが結果として彼女は何の抵抗も受けずに地表への着陸を果たしていた。
あの瞬間輝の脳が五千万の並列処理によるオーバーフローで完全にパンクし防空システムがザルになっていたという奇跡的なタイミングであったことを彼女は知る由もない。
「それにしてもせっかくばら撒いた花粉も毒虫もすっかり大人しくなってるじゃない」
環境が急速に落ち着きを取り戻しつつある事実に絵里奈はギリッと奥歯を噛み締めた。
「こんなことなら変な小細工なんてしないで最初から私が直接突撃するべきだったわね」
百年の寿命の焦りから遠回りをしてしまったことを激しく後悔する。
だが後悔していても事態は好転しない。
「とにかくまずは戦力と情報収集の拠点を確保しなくちゃね」
絵里奈は自身の姿を認識阻害魔法で覆い王都の冒険者ギルドへと足を運んだ。
「はじめまして!田舎から出てきたばかりで右も左もわからないんですけど……冒険者になりたくて!」
ギルドの受付で彼女は百歳を超えた実年齢を微塵も感じさせない可憐な少女の笑顔を作った。
彼女は高度な魅了魔法と認識誘導を言葉の端々に織り交ぜて周囲の好感度を強制的に操作していく。
「お、おう!任せとけって!俺たちのパーティに入りなよ!」
「私が手取り足取り教えてあげるから安心しなさい!」
周囲の冒険者たちはあっという間に彼女の放つ甘い魔力に当てられ争うように彼女を勧誘し始めた。
絵里奈はいい感じに強そうな中堅パーティを選び期待の新人枠としてちゃっかりと加入を果たした。
「よっこいしょ……あ、いけないいけない」
酒場の椅子に座る際につい年寄りくさい掛け声を出してしまい絵里奈は慌てて口元を覆った。
「最近の若い子は歩くのが早くて付いていくのがしんどいわねぇ……って違う違う!」
時折漏れ出る百歳越えの老婆のような発言にパーティメンバーたちは一瞬首を傾げる。
「えっと……今のは田舎のおばあちゃんの口癖が移っちゃってて……えへへ」
「なるほど!おばあちゃん子なんだな!可愛い奴め!」
魅了魔法による強固な好感度補正のおかげでどんな不審な発言も彼らの脳内では都合の良い解釈へと変換されていた。
冒険者の一人がジョッキを傾けながらふと安堵の息を吐いた。
「それにしても最近の『くしゃみ病』と『猛毒虫』の騒ぎは本当に地獄だったな」
「ああ。俺の知り合いも何人か未知の蜘蛛にやられたし街中が鼻水と涙で阿鼻叫喚だったぜ」
その言葉に絵里奈は可憐な笑顔を張り付けたまま内心で激しく動揺した。
(えっ……ちょっと待って。あのヤケクソでばら撒いたスギ花粉と毒虫、ちゃんと絶大な効果を発揮してたの!?)
効果がないと思い込んでいたのは単に絵里奈自身に地上の状況を細かく確認する手段がなかっただけだったのだ。
「でも本当に奇跡みたいに突然ピタリと収まったんだよな」
「ああ。勇者様が俺たちを哀れんで奇跡を起こしてくれたに違いないぜ!」
冒険者たちの屈託のない笑い声を聞きながら絵里奈の背筋を冷たい汗が伝い落ちていく。
(奇跡なわけないじゃない。私が送り込んだ動植物が機能していたならば、異常な数の増殖を……対処したっていうの!?)
それはシステム管理者にとって発狂するほどの途方もないマニュアル作業であるが、管理者ではない絵里奈には分からない問題である。
(それをたった数日で、しかも完全に沈静化させた……?あのチート後輩、一体どうやったのよ!)
絵里奈は輝の神がかったシステム対応力と底知れぬ情報処理のバケモノっぷりに心の底から戦慄した。
「ちょろいと思ってたけど……こんな化け物相手に私一人じゃ到底情報収集すら追いつかないわね」
その日の深夜。
宿屋の一室で一人になった絵里奈はベッドの上で静かに魔力を練り上げていた。
大気圏突入で消耗した魔力はすでに完全に回復している。
「システムの外部から直接物理的に侵入した今の私ならあの忌々しい魂の自動却下マクロに引っかからずに手駒を作れるはずよ」
彼女は自身の膨大な魔力を分割し高度な隠蔽魔法と認識阻害を幾重にも編み込んでいく。
転生システムという正規ルートを通さずこの星の物質と自らの魔力だけで直接『分身体』を生成するのだ。
「あのチート坊やの監査網の目を掻い潜る最高傑作よ」
闇の中から絵里奈と全く同じ姿をした少女たちが次々と音もなく立ち上がっていく。
「さあ行きなさい。あの化け物の弱点となる情報を徹底的に洗い出してくるのよ」
量産された絵里奈の分身体たちは無言で頷き夜の闇へと溶け込むように散っていった。
二人の地球人勇者による見えない手駒の応酬が今静かに幕を開けようとしていた。




