第20話:生態系ハックと亜神のオーバーフロー
「……全然手応えがないわね」
高梨絵里奈は薄暗い神殿の玉座で苛立ちに爪を噛んでいた。
彼女が寿命の焦りからヤケクソ気味に実行した『スギ花粉テロ』。
それはあのチート後輩が管理する星で原因不明の疫病として大流行し国境を越えた未曾有の大混乱を引き起こしていた。
だが絵里奈にはそれを確認する手段が一切なかったのである。
分身体である王妃エレオノーラとメイドのセリアを撤収させた今あの星の内部状況を正確に把握するモニターは失われていた。
精神干渉で操った動物の視覚を借りることはできるが相手は獣である。
見え聞こえする情報はどうしても断片的で『街中で人間がやたらとくしゃみをしている』程度の認識しか得られなかった。
「くそっ……やっぱり花粉ごときじゃあのチート坊やにはノーダメージなのね」
実際には輝の信者たちを含め世界中がアレルギー地獄で阿鼻叫喚に陥っているというのに絵里奈は完全に状況を見誤っていた。
焦燥に駆られた彼女は次なる狂気のコマンドを叩き込み始めた。
「スギがダメならもっと直接的なやつよ!毒蜘蛛に毒蛇……それから猛毒の植物も限界まで転生させてやる!」
絵里奈は地球の知識を総動員し致死性の高い動植物の魂のデータをあの星の生態系システムへとねじ込んでいく。
さらには地球で厳しく規制されていた幻覚作用のある薬草類まで紛れ込ませた。
「海や川も油断できないわね。ピラニアの群れと人喰いザメも追加してやるわ!」
もはや正気の沙汰ではなかった。
彼女の無差別なデータ入力によりあの星の生態系は完全に破壊されようとしていた。
川で洗濯をする村人をピラニアが襲い森に入った猟師が未知の猛毒を持つ蜘蛛に命を奪われる。
絵里奈の嫌がらせは思いの外絶大な成果を上げ星の住人たちを恐怖のどん底に突き落としていた。
だがやはり彼女自身にはその『成果』が見えていない。
「……ダメだわ。こんな小細工で時間を潰している余裕はないのよ」
玉座に座る絵里奈の肉体は神の力に耐えきれず時折ノイズのようにブレていた。
寿命という名のタイムリミットが文字通り秒読み段階に入っている。
「そろそろ直接乗り込むしかないわね……」
しかしあの星の管理者権限はすでに輝に奪われているため絵里奈が直接あの星の地上へ転移することはシステム上不可能であった。
だが彼女は百年を生きた『亜神』である。
「管理権限の及ぶ範囲の外、星の重力圏外……衛星軌道の外側に転移してそこから物理的に突入すればいいのよ」
隕石をも凌ぐ速度で大気圏を突破し神の力による強行着陸を果たす。
隠蔽魔法を何重にもかければあるいは輝のシステム監査の目をすり抜けられるかもしれない。
「もし警戒されてたら大気圏で迎撃されて即死かもだけど……ここで死を待つよりはマシね」
悩んだ末に絵里奈は立ち上がった。
「よし、とりあえず近くまで行って様子を見てみましょ」
彼女はまるで近所の公園へピクニックにでも行くような気軽さで自身の座標を別の次元へと跳躍させた。
一方その頃。
天道輝は王城の別荘で虚空に展開されたシステムログを前に眉間を揉みほぐしていた。
「何かがおかしい……いや、おかしいなんてもんじゃないぞ」
輝の目の前には世界各地から報告される異常事態のログが滝のように流れている。
連日意味不明な事件や事故が絶えない。
ダンジョンでの犠牲者ではなく森や川といった日常の延長線上での『動植物』による犠牲者が爆発的に増え続けているのだ。
「……動植物?」
輝は思考をフル回転させる。
人間の魂の精査は自動却下マクロで完璧に弾いているはずだ。
まさかと思い輝は動植物の転生ログを開いた。
「バカな……不自然な転生の痕跡は何もないぞ?」
ログは正常だった。
だが現実として生態系が完全に狂っているのは紛れもない事実である。
輝は冷たい汗を流しながら一つの仮説に思い至る。
「……既存の魂のデータを上書きして俺の監視網をすり抜けているのか?」
だとしたらとんでもない手間のハッキングだ。
「この膨大な数を一つ一つ処理しろっていうのか……?」
全知全能の亜神とはいえ世界の全ての動植物をマニュアルで監視するなど不可能に近い。
だがこのまま放置すれば自分が苦労して作った『終わらない攻略ゲーム』の箱庭がただの地獄と化してしまう。
「やるしかない……!」
輝は覚悟を決め自身の分身体を限界まで生成するコマンドを実行した。
『分身体生成:100,000,000体』
一億の輝のAIが一斉に起動し星の生態系データにダイブして動植物の異常な動きを精査し始める。
「がっ……!?」
次の瞬間輝は経験したことのない激痛に襲われその場で頭を抱えて蹲った。
一億の並列思考から流れ込んでくる莫大な情報量が亜神となった輝の脳髄を焼き切ろうとしていた。
「主様ッ!?」
輝が生命創造の魔法で生み出した漆黒のメイドが慌てて駆け寄る。
彼女は主の異変に青ざめその背中を必死にさすった。
「くそっ……情報量が……多すぎる……!」
輝は歯を食いしばりながらその状態を三分ほど耐え抜いた。
そして一億の分身体が持ち帰った断片的なデータから一つの恐るべき確信を得た。
「スギ花粉に猛毒の蜘蛛、アマゾンのピラニアだと……?」
この星の生態系には存在し得ない地球の動植物のデータ。
「間違いない……何者かが動植物を転生という形で俺の星に送り込んでいる!」
そしてこの嫌がらせのラインナップの知識を持っているのは地球人だけだ。
「……俺と同じ、地球からの転生者の仕業か」
ついに輝は見えない敵の正体を掴んだ。
しかし正体がわかったところでこの膨大なハッキング攻撃を止める手段がなければ星は滅ぶ。
「一億の並列処理は……俺の脳が持たない」
輝は荒い息を吐きながらシステムへの対抗策を練る。
個別の魂を監視するのが無理なら種そのものに制限をかければいい。
「動植物の個々の種に対して出生や発芽の『上限数値』を設定するマクロを組む!」
もちろんこの星の生態系に元から存在しない種族のデータは数値ゼロとして全て弾く設定にする。
問題はその膨大な種類の動植物に対して一つ一つ適正な上限数値を割り当てる作業であった。
「一億は無理でも……五千万なら……!」
輝は分身体の数を半分に減らし五千万の並列思考でマクロの構築作業を開始した。
「ぐっ……あぁぁぁ……ッ!」
五千万でも歩くことすらできないほどの負荷が脳にのしかかる。
全知全能の亜神といえども万能ではないという事実を輝はここにきて痛感させられていた。
文字通り命を削るような人海戦術。
輝は漆黒のメイドに抱き抱えられながら血の涙を流して数値を割り当て続けた。
数時間の死闘の末にようやくマクロは完成し生態系の異常な増殖はピタリと止んだ。
「……終わった……これで生態系は落ち着くはずだ……」
輝は意識を失う直前、宇宙空間の彼方からこの星へ向けて急速に接近してくる強大な魔力の気配を感知したような気がした。




