第16話:偽造された絶望と世界規模の箱庭
魔王の宣戦布告。
その衝撃的な宣言と共に、アーデルハイド王国の近海に突如として巨大な島が浮上した。
天を衝くほどの禍々しい黒雲を纏い、島の中央には頂すら見えない巨大な塔が聳え立っている。
人々は恐怖と共に、その島を『絶望の島アビス』と呼んだ。
だが、世界が恐怖に震える中、その元凶たる「神」は、絶海の秘境に設えられた別荘——いかなる魔法や神の眼すら届かない、輝だけの絶対的な秘密の場所——のソファで、優雅に脚を組んでいた。
「ふむ……少し、波の音が大きすぎたかな。まあ、臨場感があって良いか」
天道輝(本体)は、自身の『魔法創造』によって新たに作った魔法『生命創造』で生み出した、漆黒のメイド服を纏う無機質なほどに美しい配下から、香り高い紅茶を受け取った。
彼の視界の片隅には、現実の風景とは別に、半透明のウィンドウが浮かんでいる。
そこに映し出されているのは、今まさに『絶望の島アビス』へ上陸を果たした、自らの分身体の視覚情報であった。
魔王の宣戦布告も、突然現れた島も、すべては自らの希少価値を維持するために創造した「超特大のテーマパーク」に過ぎない。
輝は一口だけ紅茶を含み、薄く嗜虐的な笑みを浮かべた。
「さて、接待プレイの始まりだ。怪我をしないように、死ぬ気で遊んでくれよ」
***
ザパーン、と重々しい波音が絶望の島の外縁部に響き渡る。
アーデルハイド王国の誇る精鋭騎士団と、彼らを率いる勇者パーティ——その先頭に立つのは、輝の分身体であった。
島に足を踏み入れた瞬間から、波打ち際には輝がデザインしたおぞましい異形の魔物たちが、次々と這い出してきていた。
「グガァァァッ!」
「怯むな! 陣形を維持しろ! 盾を前に出せ!」
バルバロス騎士団長の怒号が飛ぶ。
しかし、未知の魔物が放つ威圧感に、兵士たちの足は震えていた。
その時、一筋の閃光が魔物の群れを切り裂いた。
勇者たる輝の剣撃である。
「皆様、ここは僕が食い止めます! どうか、陣形を立て直してください!」
輝(分身体)は悲壮感に満ちた声を張り上げ、兵士たちを庇うように最前線へ躍り出た。
その際、わざと魔物の鋭い爪を左腕にかすらせ、鮮血を散らす。
「勇者殿ぉぉぉっ!!」
バルバロスが血を流す輝を見て、悲痛な叫びを上げた。
その姿を見た騎士たちの目に、恐怖を上回る狂熱と忠誠の炎が宿る。
——ああ、なんという慈愛。
我らのために、あのように身を挺してくださるとは!
(……っと、危ない。騎士団の連中、予想より被弾が多いな。HP係数が削れすぎている)
苦痛に顔を歪める演技をしている輝の分身体を眺めながら、輝の本体は冷徹に状況を分析し、システムに干渉していた。
即座に、周囲の魔物たちの攻撃力と防御力に下方修正のデバフをかける。
騎士団が「ギリギリの死闘の末に勝利できる」という、完璧に調整された難易度へとリアルタイムで変更を加えたのだ。
「皆様、恐れることはありません! 奴らの動きは単調です、必ず勝てます!」
輝の鼓舞を受け、デバフのかかった魔物たちを相手に騎士団は徐々に押し返し始めた。
激戦の末、海岸線の魔物をあらかた一掃したところで、輝は息で肩を上下させながらバルバロスを振り返った。
「バルバロス団長……海岸の確保、お見事でした。ここは皆様にお任せしてもよろしいでしょうか。僕は、少数の仲間と共に、あの中央の塔を目指します」
「承知いたしました! 勇者殿が切り開いてくださったこの橋頭堡、我ら騎士団が命に代えても死守いたします! どうか、ご武運を!」
涙ぐむバルバロスに見送られ、輝(分身体)は、鬱蒼と生い茂る森林エリアへと足を踏み入れた。
森の中に潜む魔物は海岸のそれよりも強力だったが、神の領域に達した分身体にとっては文字通り「そよ風」程度の誤差でしかない。
しかし輝は、分身体で構成された勇者パーティで唯一の人間である聖女クラリスの目を誤魔化すため、木々に背を預けて荒い息を吐き、時には膝をつきながら、満身創痍の演技を完遂した。
やがて、黒曜石のように鈍く光る『大魔塔』の巨大な扉の前に辿り着く。
重厚な扉を押し開けると、そこには……ただただ広大で、静寂に包まれた円形の空間が広がっていた。
魔物の姿はおろか、罠の一つもない。
あるのは冷たい石畳だけである。
「これは……どういうことだ?」
勇者パーティのメンバー(分身体)が、震える声で呟いた。
「魔王の拠点の入り口に、一切の防衛機構が存在しない……。罠か? いや、これは勇者様を疑心暗鬼に陥れるための、高度な心理戦に違いない!」
「……ええ、そうかもしれません。何もない空間こそが、最も恐ろしい罠ということもあり得ます。皆様、決して油断なきよう」
(セーブポイント兼、寝袋を敷いて野営するための安全地帯だが、深読みさせて恐怖する展開を見るのは楽しそうだな)
その後、輝(分身体)は警戒する一行を1階に留め、単身で2階へと続く階段を上った。
扉の先に広がっていたのは、塔の内部とは到底思えない、見渡す限りの広大な草原であった。
しかし、その空気には触れるだけで生命力を削り取る猛毒の瘴気が満ちている。
特殊な魔法やスキルによる防護がなければ、数歩歩いただけで衰弱死する環境ダメージエリア。
「……なるほど。これ以上の進軍は無謀ですね。引き返しましょう」
輝は的確な絶望を持ち帰り、島からの撤退を宣言した。
***
数日後、王都の裏路地にひっそりと佇む高級サロンの奥室。
表向きは貴族女性の美を司る新興商会『エリス・ビューティー』の幹部会議の場に、商業ギルド長ポルクの脂汗をかいた姿があった。
「お、お待ちください! いくらなんでも、現在市場に流通している治癒ポーションの原料である『月見草』を、すべて買い占めるなど……!」
「ポルク様。これは決定事項です」
精悍な顔立ちをした青年カイルが、威圧的な沈黙を破って低く告げた。
「先日の勇者様のご報告によれば、あの島は内部が異空間に歪んだ『ダンジョン』と呼ばれる未知の領域だそうです。今後、王国は総力を挙げてあそこを探索することになる。当然、ポーションの需要は爆発的に跳ね上がる」
「そ、それはそうですが……」
「加えて、ダンジョン内部からは、未知の鉱石や強力な魔力を帯びた『魔石』が産出される可能性が高い」
そう言って、眼鏡の奥の目を光らせたのは交渉術に長けたエリックである。
「我々エリス商会は、冒険者ギルド長ガズ殿と既に話をつけています。ダンジョン由来の資源は、すべて我々が独占的に買い上げ、流通を管理します。貴方はただ、商業ギルドの書類に判を押し、表向きの帳尻を合わせればいい。……違いますか?」
「ひ、ひぃっ……!」
傍らで知的な美貌を持つ秘書リアが、ポルクの過去の汚職や裏帳簿が詳細に記録された分厚いファイルを、冷徹な所作で机に置いた。
カイル、エリック、リア。
――すべて、輝が生み出した分身体である。
「理解できましたか? これは提案ではなく、命令です。ダンジョン経済圏の利益は、すべて我々が一手で掌握する。逆らえば、貴方の首が物理的に飛ぶだけのこと」
恐怖に震えながら退出するポルクを見送り、分身体たちは冷たく嗤った。
勇者が表で希望を与え、裏ではすべての富と資源を吸い上げる。
完璧な循環システムが、静かに稼働し始めていた。
***
王城への帰還後、謁見の間に重苦しい空気が漂っていた。
輝は国王リチャードやアリシア王女、居並ぶ重鎮たちを前に、沈痛な面持ちで報告を行った。
「陛下。あの島、そして塔の内部は、空間そのものが歪んだ『ダンジョン』と呼ばれる迷宮でした。魔王の魔力が満ちており、二階から先は、不用意に足を踏み入れれば一瞬で命を落とす死地です」
その報告に、謁見の間は絶望の沈黙に包まれた。
「勇者殿がいなければ、我らは入り口で全滅していたということか……。なんという恐ろしき魔王の力だ」
リチャード王が玉座で頭を抱える。
その夜。
絶海の別荘のソファに深く腰掛けた輝(本体)は、夜空を見上げながら優雅にワイングラスを傾けていた。
「さて。我がアーデルハイド王国だけがダンジョンという『特大の脅威であり資源の宝庫』を抱え込むと、他国がちょっかいを出してきて面倒なことになる。……暇を持て余した他国には、自国内の処理で手一杯になってもらおうか」
輝は、空いた片手を虚空に掲げた。
亜神としての権限、そして圧倒的なシステムハッキング能力を行使する。
狙うのは、帝国、聖国、そして大陸に点在するあらゆる国家の領土。
「さあ、世界中に『拡張パック』の無料配布だ。せいぜい命を賭けて、俺の作った箱庭で踊ってくれよ」
輝の指先が弾かれた瞬間、世界中の大地が鳴動した。
ある国では広大な砂漠の真ん中に、ある国では雪山の山頂に、またある国では王都のすぐ側近に——突如として、地下へと続く奈落の穴『ダンジョン』がポップしたのである。
翌日、世界各地から届く「未知の迷宮出現」の悲報を聞き、アーデルハイド王城はさらなる混乱の渦に飲み込まれた。
輝は、青ざめて震えるアリシア王女の前に跪き、その手を力強く握りしめた。
「アリシア様……。僕の力が及ばず、魔王の瘴気が世界中に広がるのを止められなかった……! 申し訳ありません!」
輝の目から、一筋の美しい涙が零れ落ちる。
それは、誰が見ても心を打たれる、世界を憂う聖者の涙であった。
「輝様は悪くありません! 輝様は、誰よりも私たちを守るために戦ってくださっているではありませんか!」
アリシアは泣き崩れながら、輝の首にすがりつき、その胸に顔を埋めた。
(いいぞ、その調子だ。もっと俺に依存しろ。もっと俺を必要と崇めろ)
震える王女の背中を優しく撫でながら、輝は誰にも見えない角度で、三日月のように口角を吊り上げた。
世界をパニックに陥れ、資源の独占を謀り、すべての人類に攻略を強要する巨大なゲームマスター。
偽りの絶望を振り撒く救世主の箱庭遊戯は、いよいよ世界を舞台にして幕を開けたのである。




