第14話管理者(SE)の孤独とエルフの再生
薄暗い魔王城の玉座の間。
ルシフェリアは頭痛に耐えるように、ほっそりとした指で額を押さえていた。
最近の魔族領は、明らかに異常だった。
側近や兵士たちが、理由なき凶暴性に支配され、些細な諍いから同族同士で殺し合う事態が頻発しているのだ。
ルシフェリアは当初、これを「人族との終わりの見えない戦争のストレス」なのだと考えていた。
だが、違った。
彼女自身の内側からも、時折、すべてを破壊し尽くしたいというドス黒い衝動が湧き上がってくるのだ。
恐怖だった。
自分が自分でなくなっていくような、魂が泥に沈んでいくようなおぞましい感覚。
そんな折、バレンシアに潜入させていたカスティールから信じがたい報告が入ったのは、つい先日のことだ。
勇者が突然、カスティールの寝室に出現したという。
しかも、勇者は人族に敵対意思がないことを初めから見抜いており、自身の来訪に合わせて過激派の魔族を退避させるよう提案してきたのだ。
ルシフェリアは、彼が勇者本人か、あるいはその近しい関係者だと断定した。
そして、一つの賭けに出た。
命令を無視する過激派の魔族だけを街に残し、勇者がどう動くか反応を見ることにしたのだ。
結果は、彼女の予想を遥かに超えるものだった。
勇者はルシフェリアの意図を正確に理解したかのように、過激派だけを的確かつ無慈悲に処理し、あろうことかカスティールから褒賞を受け取って見せたのだ。
そのあまりの合理性と手際の良さに、ルシフェリアは震えた。
その後、カスティールを通じて映像での会談を求めた。
「勇者殿」と呼びかけてみたものの、彼は全く意に介する様子もなく、淡々と世界の異常について問い質してきた。
邪神の呪いによる記憶改竄。
想定外の恐ろしい情報に、彼女は魔王としての威厳を忘れて驚愕した。
さらに驚かされたのは、その直後だった。
自身の側近を調べ、記憶の改竄を確信した彼女の元へ、突然、勇者から『直接通信』が繋がったのだ。
カスティールの魔道具すら介さない、強制的な空間接続。
本当に、心臓が止まるかと思うほどびっくりした。
画面越しに見る彼は、ひどく青ざめて汗を流していたが、その瞳は強い意志に満ちていた。
困り果て、狂気に沈みかけていた私に、唯一の希望を見せてくれた人物。
紳士的で、不敵で、どこか恐ろしくも好ましい男性に見えた。
だが、そんな勇者が今、単身で魔王城の門前に現れたというのだから、事態は穏やかではない。
「魔王様!あのような小賢しい人族、城に入れるべきではありません!」
筋骨隆々の四本腕を持つ魔将ゾルザルが、怒りで顔を真っ赤にして吠えた。
力こそが正義と信じる彼は、勇者の首を即刻刎ねるべきだと主張して譲らない。
「その通りです。勇者の来訪など、人族の権謀術数に決まっております。罠を警戒するべきかと」
痩身で狡猾な魔導相ギレンが、蛇のように目を細めて同調する。
「ルシフェリア様……私が、私が奴の首を落としてまいりましょうか……フフフ……」
常に付き従う侍女長フェリスすら、目を血走らせ、狂気に満ちた笑みを浮かべていた。
最近のフェリスは極めて情緒不安定で、主であるルシフェリアに対しても、ふとした瞬間に刃を向けかねない危うさを見せている。
側近たちの狂気じみた殺気に、ルシフェリアは深く息を吐いた。
「黙れ」
絶対的な魔王の覇気で、側近たちの殺気を力ずくで抑え込む。
「勇者が言っていた邪神の呪いは、恐らく真実だ。このままでは、我ら種族は自滅する」
ルシフェリアの直感は、輝との対話こそが唯一の生存ルートだと告げていた。
彼女は覚悟を決め、城門を開かせた。
そして、勇者の「避難勧告」に従い、城を空け渡した後。
凄まじい衝撃波が大地を揺らし、城の地下からおぞましい気配が一瞬にして霧散した。
ルシフェリアは、自分の城の地下に「何か」がいたことすら知らなかった。
それがあっさりと消え去り、戻ってきた勇者の背後に、彼女は神々しいまでの「何か」を感じた。
圧倒的な存在感に、思わず膝をつきそうになる。
「仕上げです。【広域ディスペル】」
輝の放った光を浴びた瞬間、ルシフェリアは肉体を縛っていた重い鎖が弾け飛ぶような感覚に襲われた。
呪いが解けたのだ。
側近が差し出した手鏡に映っていたのは、漆黒の角を失い、透き通るような金髪と長い耳を持つ「ハイエルフ」に変わった自分自身の姿だった。
周囲の側近たちも同様に、醜い異形から美しい長命種の姿へと変貌している。
「我らが……エルフ……」
自分たちは「魔族」ではなく、邪神に書き換えられた「エルフ」だった。
その事実に、側近たちは錯乱し、言葉を失った。
ルシフェリア自身も、「魔王」として生きてきた数百年の歴史と誇りがすべて嘘だったことに、立っていられないほどの虚脱感に襲われた。
アイデンティティの完全な崩壊。
だが、立ち止まっている暇はない。
「……思い出した。かつて存在した伝説の地、我らの本当の故郷。エルフの王国『アルヴヘイム』」
ルシフェリアは震える声で紡いだ。
解呪のショックで、目の前にいる側近たちの顔と名前が一致しないほどの混乱の中、彼女は必死に思考をまとめようとした。
「ゾルザル、ギレン、フェリス……で、間違いないな?」
「は、はい……ルシフェリア様。姿は変われど、我らの忠誠は変わりませぬ……」
戸惑いながらも跪く側近たちと協議し、一つの結論を導き出す。
これからはエルフとして、人族と共存の道を模索すべきだ。
感謝と親善の意を込め、アーデルハイド王都へ公式な使者を送ることを決意した。
***
輝の客室。
彼は豪華なベッドに横たわりながら、文字通り白目を剥きそうになっていた。
「終わらない……」
毎秒数億件に上る生命誕生の「手動」承認作業。
物理的に不可能極まりないこの業務をこなすため、輝は「管理者権限」を駆使してシステムの効率化に着手していた。
まずは、ホワイトリストによる自動処理だ。
植物の種、昆虫、単純な動物など、世界の因果律に大きな影響を与えない「白案件」を自動処理化するようにシステムを改変した。
これにより、全案件の9割以上が自動化され、輝はようやく一息つくことができた。
だが、問題は残りの1割未満。
「人間」という名のイレギュラーだった。
人間の転生申請は複雑だ。
前世の因果、魔力の適性、将来の災厄の可能性……それらが複雑に絡み合う「グレー案件」が、人間の申請全体の2割も存在し、それが毎秒90件ものペースで溜まっていくのだ。
一件あたりの精査に、おおよそ一時間はかかる。
輝は、無限のMPを利用して30万体の分身体を並列起動し、この処理に当たらせていた。
分身体の維持は可能だ。
だが、30万体分の「他人の人生の精査」という膨大な記憶と体験が、本体である輝の脳に直接フィードバックされる。
「他人の人生を、永遠に検品し続ける……ッ!」
魂がヤスリで削られるような、凄まじい精神的疲弊。
いっそこの精査も自動化してしまいたいが、セキュリティリスクがそれを許さない。
邪神以上の存在、あるいは別次元の侵略者などが、人間の魂に紛れ込んで転生してくる可能性を排除できないのだ。
だから、簡略化は不可能。
さらに面倒な事実がある。
出生率が2割減れば、文明は数百年で崩壊の危機に瀕し、結果的に管理コストが跳ね上がってしまう。
だから、安易にすべてを却下することもできない。
精査して、安全なものを承認する必要があるのだ。
「……人間は面倒だ。いっそ出生率が減って文明が崩壊した方が、管理コストは下がるんじゃないか?」
輝の脳裏に、「とりあえず却下」の誘惑がよぎる。
だが、その時、逆転の発想が閃いた。
「待てよ。全体の出生率を底上げして、精査が必要な面倒な2割を『とりあえず全部却下』しても、トータルの出生数が維持されるように調整できないか?」
つまり、手作業をゼロにするための数字合わせだ。
輝は早速、実験を開始することにした。
「とりあえず、人間の出生率を二割上げてみよう」
輝はシステムを操作し、出生率のパラメータを弄った。
【人間の転生申請】
540件/秒
自動承認されるホワイト案件は、全体の8割前後を推移していて変化はない。
540件の8割ということは、432件。
元の申請数である450件に届いていない。
これでは、面倒な手動精査分をすべて却下した場合、毎秒18件ずつ人口が減ってしまう。
「足りないな。……ならば、出生率を25%増で設定してみるか」
輝はさらに数値を弄った。
【全体の出生率】
25%増
【人間の転生申請】
562.5件/秒
【自動承認(8割)】
450件/秒
【手動精査分(2割)】
112.5件/秒
「よし。これなら、手動精査分の112.5件をすべて『自動切り捨て(却下)』に設定しても、自動承認される450件だけで、元の人口増加率は維持できる」
理論上は、これで人口は維持され、かつ輝の手動精査の負担はゼロになるはずだ。
切り捨てられた魂がどうなるかは知ったことではない。
輝はすぐさまシステムを書き換え、手動精査を全破棄する自動化マクロを組み込んだ。
30万体の分身体を消去し、輝はようやく、真の自由と平穏を取り戻した。
「はぁ……。ようやく、ブラック企業のSEルームから抜け出せた気分だ」
輝はベッドから起き上がり、窓の外の王都を見下ろした。
衛星軌道まで管理下に置いた彼にとって、この星にもう未知の領域はない。
世界は完全に、彼の箱庭となった。
だが、平穏を手に入れた彼の思考は、すぐに次なる盤面の構築へと向かっていた。
魔王という共通の敵が消え、エルフとの和平が進めばどうなるか。
強すぎる力を持つ「勇者」は、いずれ平和な世界の邪魔者として疎まれることになるだろう。
それは、輝の望む「裏で甘い汁を吸う支配者」の立ち位置ではない。
「やはり、新しい『魔王』を作るしかないか……」
平和を維持するために、敵が必要だなんて、皮肉な話だ。
輝は冷酷な笑みを深めながら、窓ガラスに映る自分を見つめた。
「最高に恐ろしくて、最高に都合のいい『敵』を、俺がデザインしてやる」
神の管理業務の合間に、偽りの勇者は次なる自作自演の構想を練り始めていた。
消えた王妃エレオノーラの謎を心の片隅に置き去りにしたまま、輝の狂気はさらなる高みへと昇ろうとしていた。




