黒髪のあやめ #2
床を出て、今まで見ていた現実がただの夢だと知ったとき。
虚無感を覚えて。
そのことに絶望感を覚える。
虚無感を覚えてしまった事実に対して、私は絶望するのだ。
目が覚めるまで見ていた世界観が、現実ではなかったという理由だけで、どうして何かを失ったような気になってしまうのだろう。
それではまるで、自分が現実にしか価値を見ていないみたいだ。
「……あやめ。母は私をそう呼んでいたよ」
私は船乗りの男にそう答えた。
答えすぎた、という感じもする。が、彼は「アヤメ?」と私に聞き返した。音としてはあっているけど、そんなカクカクしたニュアンスではない。
訂正を求めるようにひとこと。
「あやめだ」
と言った。
「……? アヤメダ?」
「まじかよ。そんな古典的な聞き間違えするのかあんた」
「なんだよ、やっぱりアヤメなのかい」
「違う、あやめ」
「アヤメ」
「あやめ」
「――アヤメ!」
「気安くヒトの名前連呼するなクソ」
「あってるのかよ!」
「あってはねえよ」
しかし、正しさを追求していたら埒が明かない。だからニュアンスについては見逃す事にした。ま、密航を見逃された私としては、貰いすぎた釣り銭を返したくらいの気持ちだ。
船乗りのロットは、密航者あやめにとって、ただの命の恩人。
私は義を通さんが為に、こうして片足分遅い旅に付き合っている。
それだけの事だ。それしかない。
しかし、私は不快な違和感の存在に気づいていた。
彼と私が船の食料庫で邂逅してしまった時から、十年、十五年は経っているというのに。
それだけ同じ時間を共にしているというのに。
私の名すら知らなかったという――その可能性に、私はまった気がつかなかった。
詰まるところ、ずっと船乗りの男が私の『あやめ』という名を知っている。という思いこみをしていたのだ。
思いこみ。
それは妄想とか、虚実とも言うかもしれない。
私の認識していたこれまでの旅程は、現実――事実とは少しずれていた。
なぜだ。
なぜだ?
私は心中で繰り返す。
昔は、夢から覚めた後に、虚無感を覚えることはあっても、そのことに対して絶望したりはしなかった。
それまで現実として認識していた全てが、一瞬で無意味になって、記憶にとどめる程の事でもなくなって、忘れてしまうことに、特大の抵抗感を感じたりはしなかった。
だけど、さっき。
私が自分の勘違いに。
思いこみに気づいたとき。
私の見ていた現実が実は事実じゃなかったと気づいたとき。
私はこの旅の記憶が――思いこみに脚色された記憶が、無意味だと感じてしまう事を、脊髄反射のようにこの心は拒否した。
私は熱湯が手にかかったとき、どうして考えるより早く手が回避行動を取るのかわからない。
それは「そういうものだから」としか言えない。
私の不快な違和感はそれだ。
この十数年の旅が、私の思いこみをしていたという事実に気が付いただけで、なかったことになるはずなんてない。そんなことはわかっている。当たり前だ。けれど、自分自身が何かをきっかけで、考えを変えることは、多分珍しい事ではない。
私が、自分の記憶をちょっとしたきっかけで「無意味だ」と判断してしまう可能性はなくはないのだ。それこそ、簡単に夢を忘れてしまえるように、綺麗さっぱり忘れるかもしれない。
だからこそ、気持ちが悪い。「どうして私は反射的に、頭がその判断を下すことに抵抗したのだろう」という疑問の答えに、察しが付いてしまうから、気持ちが悪い。
こんな自分は気持ちが悪い。
忘れたくない?
そんなことがあるのか。
私は、この男と旅した思い出の価値を失いたくはないと思っているのだろうか。




