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船乗りロット #2




「私は密航者だろうが」

 無言を徹する彼女にあれこれ質問したり、無言になったり、また質問したりを何度か繰り返すこと数時間。もはや何でもいいからとにかく話しかけてやれ、という気任せな態度だったから、彼女がそう言い返す前に自分がなんと言ったか一瞬忘れて、ぼけーっとしてしまったが――思い出してみれば何のことはない、しっかりと初めの話題に帰還したのだ。まあ、本当ならこれだけずっと(俺だけは)喋りっぱなしだったわけだし、帰還というか、そろそろ議論は帰結してほしいというのが本音なのだけど……彼女が口を開く気になったと言うならば、そこは押して黙ろう。

 ともかく「いったいキミは何だって言うんだ」というほとんど無意識とも言える出任せの俺の言葉から、数時間ぶりに会話が継続状態であるという事実が証明された。

「密航者って、それは昔の話って言うか……」

「あんた、なんで私が密航なんてしなくちゃいけなかったと思う」

「そりゃあ、海に出たかったからじゃないのかい」

「そんなわけあるかよ。あんたの頭はクソだな」

「これでも俺は結構頭いいって言われる方なんだぞ」

「別に悪いとは言ってないだろ」

 クソなだけで。

 そう言うと、また彼女が黙ってしまいそうな気がしたので、俺は振り返った。

 何度見ても、目を奪う真っ黒の髪。

 俺は長く旅する間も、彼女以外にこれほど美しい黒い髪を持つ民族にまだ逢ったことがなかった。今は亡き『タンデンストッカー号』の船長は、彼女の出自について何か知っているようでもあったけれど、今となってはそれを語る口がない。

 彼女は肌に白い薄布を巻き付け、その上に、一枚の布から切り出したような、彼女の髪同様真っ黒で金の刺繍が施された服を、腰紐こしひも――彼女は『オビ』と呼ぶ――で留めて着ている。旅の道程で足元の布が膝のあたりから千切れ、脚が露出してしまっているが――まあ、脚を紛失している俺に比べれば、文字通り痛くも痒くもないだろう。

 彼女の目を見て、

「じゃあ、どこに行きたかったんだい」

 と訊いた。

 訊いてから、なんとなく的外れな事を訊いている気がした。いや、船に乗ったのだから、どこかに向かうという意志は――意志というほど強い感情じゃないにしても――あったはずだ。だから全くの的外れとも思えないのだけど、しかし彼女は「どこかに行きたかったわけじゃない」という。

「目的地があったわけでもないんだよ。もちろん海に出たかったわけでもないけど――強いて言うなら、私は国を出たかった」

 そんだけだ。

 と言う。

 黙る。

 どこかに行きたかった、のではなく――ここに居たくなかった。ということか?

 思えば、彼女とは十年以上の付き合いになるというのに、俺は彼女の背景についてほとんどの事を知らない気がした。人間関係は時間じゃないなんて言う人間もいるし――まあ、レガリアの使用人あたりは、時間が作る人間関係もあるなんて言うんだろうけど――だから、短い時間で強く結ばれる事もあれば、長い時間を掛けても、他人より一歩内側程度の関係性もあるって事なんだろう。というか、多分この場合、お互いの付き合い方や相性、性格がどうこうって言うより、ただ単に俺に余裕がなかっただけなのかもしれない。

 他人を知る余裕とか。

 知って慮る余裕とか。

 慮って助ける余裕とか。

 つまりは自分の心労をこれ以上増やす度量がなかったっていう理由で、俺と彼女は無関係を装うような、無関心に連れだってここまで来てしまったのだ。

 船の事故。仲間の死。与えられていた任務。全身の怪我の治療に、失った左脚。

 そしてレガリアとの再会の約束。

 自分の事に手一杯で、あと一人分。ここまで付き添ってくれた同行人の過去と身上を知る余裕すらなかった。

 なんだそれ、ダサいなぁ俺。

 こんなダサくちゃ、誰にも顔を合わせられない。みっともない。仲間もものも責務も、自分の体さえも失って、俺はまだ……また、心の中にある、ほんの小さな湯源までも失いかけている。

 そこには温かい感情がいつだって湧き出ていなければいけないのに。

 それも失うのか?

 枯れてしまうのか?

 このまま行けばそうなのだろう。

 今俺に残っているのは、仲間でもものでも責務でも体でもない。

 たった一架の額縁に収まり、記号化された『レガリアとの再会の約束』という概念でしかない。

 改めて考えてみればみるほど。

 ……やっぱり俺はダサいな。

 そう思う。

 けれど、そう思えばこそ。だ。

 ダサい自分を思えばこそ、俺は今訊くべきなのかもしれない。

 反省すればこそ、踏み込むべきなのかもしれない。

 反省するって事は、自己嫌悪とは意味が違うのだから、俺が行動を変えなければ反省と言うより、ただ失敗を反復するだけだ。

 失敗の反復練習だ。

 そんなの意味が分からないな。

 だから俺は問うた。

「なあ、黒髪の女。そろそろ俺たちも『初めまして』をしようじゃないか――俺の名前はロットと言う。船乗りのロットだ。君のことは何と呼べばいい?」




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