時計屋フランビル #3(前)
パン屋のお姉さんは、レガリアの行方について、
「私もちょいと手を回してみるよ――なぁに、友達ならこの国の誰よりも多いさ」
と心強いことを言ってくれた。
まあ、ついでにその後。
彼女は旦那のパイソンと、
「ああ! そうだ、思い出した――パイソン、だから私は今日はもう休みたいんだってぇ。いーいーでーしょー」
「『思い出した』っておまえ、それ本気で言っていたのか……その話してたの三時間は前だろう」
「わーすーれーてーたーの!」
「ずっと忘れていろ」
と、じゃれあっていた。
さっきまで『姉御』な感じだったお姉さんだが、今度は誕生日に高価な物をねだる末っ子のようだった。
良くも悪くも緊張感に欠ける性格だが――彼女と話したお陰か、それともあの『メロンパン』を食べたお陰なのか、私は幾分か落ち着きを取り戻すことができていた。
感情としては、今は焦るべき時、という気持ちだが。
焦るべき時に素直に焦る必要なんてないのだ。
焦って良いことなんて、ない。
焦るというのは、思考をひっちゃかめっちゃかに掻き乱して、掻き乱して掻き乱して、ぐるぐるにして、子どもの落書きのように無意味に高速に線を引きまくって、「急いで自分が物事を考えて行動しているんだ」と、自分自身に誤認識させることにほかならない。
もしかすると、焦らず落ち着いてやったことで、失敗をすることがあるかもしれない。
けれどそれは、そういう結果でしかない。
もっと焦っていればうまくいった――ということには、決してならないのだから。
だから、一度足を止め。
冷静になって思考する。
考える。
そもそも、この遺書が残されてから、今どれくらいの時間が経過しているのか。
レガリアは、彼女の祖父が生前に使っていた、納屋に住まっている。
そこはロールスイスの本家から――そして町からも少し外れた、内陸側の森に少し入った場所だ。植物学者だった彼女の祖父が森に実地調査や研究の一環で入るときに必要な道具や装備、簡易的なデスクと仮眠用の藁のベッドがあり、一応寝泊まりする事は可能である。
可能である。
生活力のある人物ならば、そこは人間がひとり暮らして行くには十分な設備だ、と言うかもしれない。
しかし、可能であるというのは、必ずしも誰にでもできるという意味ではない。
必ずできるという意味ではない。
誰にもできるという意味ではない。
およそ成功する可能性を内包している――という、それだけの意味だ。
成功する可能性のないものは、不可能と――そう呼ばれる。
だからそれは――その納屋で生活する事は、そういう意味で言えば決して不可能なことではない。
もし自分がその場所での生活を強いられていたとしても、もともと名家の世話係、もとい使用人というだけあって、生活していくための能力には長けているという自負があるし、だから不可能ではないというより、積極的に可能だと断言できるが。
……しかしそれがレガリアならば話は別だ。
彼女は世話をされる側の人間だった。
幼少から、成人に至るまで、ずっとそういう生活に身をおいていたのだ。
その習慣は、おそらく私が想像しているものよりもずっと根深いものだったのだろう。
彼女には、夜寝るときに納屋の鍵を閉めるという発想がなかったし、貴族としての生活をしていたときは、一日に十回を越えて着替えることもあったというのに、ドレスの着方も知らなかった。
箱入り娘……とは、それはまた違った。
買い物はできるし、様々な分野の知識もあり、植物学者の祖父を慕って、フィールドワークにもよく同行していたから、自然の生き物にも物怖じはあまりしない。
ただ彼女は「ひとりで生活する」という能力に関しては、大事小事に問わず、虫食いの葉のように穴だらけに欠落していた。
貴族でなくなった彼女が当然にしてやるべきことが、貴族だった彼女にとっては「やるべきこと」ではなかったのだから。突然別の大陸の文化で生活しろと言われても、なにもかも何をどうするべきかわからないように、仕方のないことだったのかもしれない。
生活能力がないのは仕方がない。
だから仕方なくのたれ死ね――とは言えようはずもない。
私という人間の忠義の心は、主が名を――家の名を失ったくらいで霧消してしまうほど品性の低いものではないのだ。
立場や階級、仕事を失おうとも、自分の心の品格まで下げるような格好の悪い真似はできない。
流石に数年もすれば、元貴族といえど、生活する力はなんとなく身についてくるものだが。
だから、レガリアがひとりで森の納屋に暮らすようになってからも、私が仕事としての使用人でなくなってからも、足繁く、毎日欠かさず、彼女の様子を見るために、日に最低でも一度は彼女の住処を訪ねていた。
そして昨日も、時計屋としての――時計の販売を生業としているのではなく、あくまでも時計工場での制作という――仕事を終え、市場で食品を買って彼女の納屋に行った。
通い妻、改め、通い元使用人。
関係は一層複雑な感を想起させる言葉だったが……、彼女は放っておくと、まともに調理して食事をすることが――技術的にも経済的にも環境的にも――できないので、定期的に体力の付きそうな食事を作ることも、私の習慣になっている。
本当なら昨日の内に彼女の様子の変化を読みとってしかるべきだった。
そのくらい、自分なら気づけるはずだった。
ただ、それも「可能であった」というだけの話で。
実際には、実現しなかった可能性でしかない。
何せ彼女は。
もとからずっと、今にも死んでしまいそうに生きていたのだから。
だから、彼女が今日をちゃんと生きているか――それを確認するために、私は毎日彼女の納屋を訪ねていたと言っても、遜色ないのだから。
彼女が死んでしまいそう、と言うことに、昨日も、昨日以前も、変化はなかったのだ。
そして、今考えるべき重要なことはそれではない。
彼女が死のうとしていることに気づけた可能性ではなく。
彼女が今もまだ、ちゃんと生命を存続させている可能性は、果たしてどの程度あるのか。
「……っく」
と、嫌な仮説を想像し。
地団駄を踏むように、路面の小石を踵で踏み抜いた。
小石は角が欠け、周囲を歩くヒトは、私の突然の行動に少々驚いたようだが、あまり気に止めず歩き去る。




