第十五話 羽村結弦
大学時代。
タモリことレオナルド本木は、モルックに取り憑かれていた。
朝。
投げる。
昼。
投げる。
夜。
投げる。
雨でも。
雪でも。
一人で。
公園。
河川敷。
空き地。
どこでも投げた。
木の棒。
回転。
距離感。
指先。
重心。
フィギュアスケートで失ったものを、
タモリはモルックで取り戻そうとしていた。
そして。
強かった。
異常に。
元トップアスリート。
集中力。
体幹。
修正能力。
全部そのまま使えた。
国内大会。
優勝。
また優勝。
世界大会。
出場。
気づけば。
タモリは本当に世界へ行っていた。
そして。
ある年。
イタリア。
ミラノ空港。
世界大会帰り。
タモリはバーガーキングの前で止まった。
向こうから歩いてくる人影。
帽子。
マスク。
でも。
すぐわかった。
羽村結弦
タモリ。
停止。
羽村も止まる。
数秒。
そして。
「……あれ?」
「本木君?」
本木。
「あ……」
「羽村さん」
羽村が笑う。
「元気?」
「はい……元気っす」
緊張。
心拍数。
限界。
タモリは恐る恐る聞いた。
「……覚えててくれたんすか?」
羽生。
少し驚いた顔。
「当然じゃない」
「ライバルだよ」
世界停止。
タモリ。
「……えっ」
人生で一番嬉しかった。
本当に。
人生で。
羽村結弦は続ける。
「本木君、いま何してるの?」
本木。
焦る。
モルック。
説明しづらい。
なんか木投げるやつ。
微妙。
恥ずかしい。
でも。
言うしかない。
「え、えっと……」
「モ、モルックです……」
沈黙。
終わったと思った。
だが。
羽村は目を輝かせた。
「すごいじゃん!」
「世界大会?」
「ライバルとして誇らしいよ!」
タモリ。
停止。
脳内。
(嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい)
限界だった。
赤面しながら言う。
「お、俺もいつもテレビで応援してます!」
「あとサインください」
羽村。
笑う。
「いいよ」
空港の隅。
I♡Milano Tシャツにサイン。
握手。
タモリは震えていた。
その日から。
タモリは、さらに狂ったように練習した。
投げる。
投げる。
投げる。
そして。
決意する。
フィンランド短期留学。
本場へ行く。
世界の頂点へ。
羽村結弦と並ぶ。
もう一度。
世界一になる。
タモリは北欧へ飛んだ。
フィンランド。
雪。
湖。
サウナ。
モルック。
夢。
全部あった。
しかし、
留学二日目。
事件は起きた。
現地のモルック仲間。
笑顔。
「Japanese Leonardo!」
「Today special!!」
缶詰。
開封。
次の瞬間。
世界が終わった。
シュールストレミング
世界一臭い食べ物と言われる、発酵させた魚の缶詰。
臭い。
いや。
暴力。
腐敗。
地獄。
概念崩壊。
タモリ。
「………………」
涙。
鼻。
脳。
全部死ぬ。
仲間たちは笑っている。
「HAHAHAHA!!」
タモリ。
「無理」
翌日。
さらに追撃。
サウナ後にまた開封。
無理。
完全に無理。
そこから。
全部崩れた。
練習も行かなくなる。
言語も嫌になる。
北欧も嫌になる。
モルックも嫌になる。
夢も嫌になる。
あまりに臭すぎた。
フィンランド短期留学から帰ったタモリは、人が変わったようになった。
髪を七三に分け、サングラスをかけた。
それからタバコを覚えた。
洋楽に中途半端にハマり、
ギブソンのギターを買って、Fコード押さえられなくて挫折した。
あとはバイト、単位、バイト、単位。
結局。
なんとか教員免許は取得して、大学は卒業した。
そして、紆余曲折あり、
英語教師になった。
もう、世界一とかオリンピックとか、
そういう人生の季節は終わった。
夢は終わった。
はずだった。




