第9話
夕刻になったが、まだロストエンジェル市を抜けられない。町が大きすぎるのだ。
(くそ、まだ先か)
マサヒデがじりじりしながら馬を進める。早く出たいが、町中で馬を飛ばしては捕まってしまう・・・馬にも伝わっているのか、今にも駆け出しそうな気配だ。
カオルが察したのか、マサヒデの後ろから馬を並べてきて、
「この速さなら、あと1刻(2時間)程です」
「ううむ」
「ご主人様、大丈夫です。この町は夜も明るいですから」
「いや、カオルさん、それって逆に危険なのでは」
「・・・」
「気を付けましょう。あの明るさ、ぼんやりした明るさ。屋根の上。細い路地の暗闇。全く見えませんよ。まだ町の外の暗闇の方が良い」
「は・・・」
「急ぎましょう」
「は!」
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マサヒデ達が真剣な顔で馬を進めている時、馬車の中では―――
ごりごりごり・・・
「あっ! シズクさん! 何か食べてますね!」
「うん」
ごりごりごり・・・
「摘み食いはいけませんよ!」
シズクが手を止め、
「いや、これは誰も食べないと思うな。絶対」
ばき! と大きなパンの塊をシズクが指で折り、クレールに差し出して、
「ほら、クレール様も食べてみなよ」
「むん!」
ぱし! と奪うように受け取り、口に運んだが・・・
「え、う、うむむ」
ぎ! ぎ! と歯を立てるが、食い込みもしない。削れた表面は味もほとんどしない。見た目はパンだが、茶色っぽく、小麦ではない。これは一体なんだ!?
「ういぎぎぎ・・・」
尖った所をばり、ばり、と小さく砕き、何とか口に入れる。
「ばあー・・・」
ぱりぱりに口の中が乾く。これは酷い・・・
シズクが手を出して、
「ほら。これ舐めて、唾出して。舐めるんだよ。口に入れちゃ駄目だよ」
クレールが手を出すと、ころりと氷砂糖が落とされた。
「らい」
ぺろぺろぺろ・・・
口の湿り気がまだまだ足りない。
魔術を使い、ぽ、と水球を出して、口を尖らせて、ずーっと啜る。
「ぶへー・・・何ですかこれは!?」
「乾パン」
「食べられた物ではありません! 本当に食べ物なんですか!?」
シズクがにやにや笑い、
「そうだよ。固いでしょー。服のボタンが取れちゃったら、これを使うんだぞ」
「ええっ!?」
「凄い食べ物でしょ? ボタン代わりになるんだ! 便利だよねー。あははは!」
「ええー・・・」
ぐいぐい。割れない。
隣のラディが手を出して、
「クレール様、私にも味見をさせてもらえませんか」
「うえー! するんですか!?」
「試しに」
「じゃあ、どうぞ」
ラディが受け取って、しげしげと眺め、ぐいぐいと手で曲げてみるが、曲がりもしない。まるで板。
「ううん、見た目はパンですが、これは固いです」
かり。かり・・・
「げふっ!?」
粉っぽさで口が一瞬で乾き、喉に粉が張り付いて、思い切りむせる。
「ごほっ、ごほっ」
クレールが水球を出すと、目に涙を浮かべながら、ラディが口を突っ込む。
「はー・・・助かりました」
クレールが顔をしかめて、
「シズクさん、これ、どうやって食べるんですか?」
「私はかじれるからそのまま食べちゃう。騎士さん達に聞いてみたら?」
まじまじと乾パンを見つめて、首を傾げる。
しばらく考えて、ぽん、と手を叩き、
「ああ! こうすれば」
乾パンを水球に突っ込む。
「わあっ!?」「ああっ!」
クレールとラディが驚いて目を丸くする。
ぶぶぶ、と細かな泡がわき、凄い勢いで水が吸われていく!
「わあ! 凄いですよこれ!」
取り出してみると、しんなりして、水の重さがある。ぱくり・・・ごくん。
「ううん・・・ねちゃねちゃしますけど、食べられますね。スープに浸けたら・・・ううん? でも、このパン自体が美味しくないですし・・・どうでしょうか」
眼鏡を拭いていたラディがはっとして、
「あっ! クレール様、良い事を思い付きました。ちょっと立っていただけますか」
声を上げ、クレールが立ち上がると、座っていた長椅子の蓋を開ける。
中には湿気対策に炒った米を入れてあるのだが、それを指差し、
「これです。この代わりになりませんでしょうか。雨など降った後は湿気もこもります。ここに足したら良いかも」
「おおー! ラディさん、それは良さそうですよ!」
「物凄い勢いで水を吸っていました。きっと使えます」
シズクが喜ぶ2人を見ながら苦笑して、また「ごり!」と乾パンを齧る。
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夜も更けて、やっと町を離れられた。既に子の刻(0時)は過ぎている。
マサヒデは後ろを振り返り、
「もう少し離れた方が良いでしょうか」
アルマダが首を傾げ、
「いや、そろそろ良いでしょう。これ以上は明日に差し支えますよ」
「そうですね」
マサヒデが馬を止めると、馬車も止まり、カオルとイザベルが寄ってきた。
「ここらで街道を外れて野営しましょう。もう少し離れたいですが、明日に差し支えます。1日、馬を進めるのですから」
カオルが頷き、
「私達はともかく、クレール様とラディさんが持ちません。良いご判断かと」
マサヒデが頷いて、馬車のトモヤに向き、
「よし。街道を外れろ。野営だ」
野営と聞いて、がっくりとトモヤが肩を落とし、
「やっとかあ! ああ、疲れた! 疲れたのう!」
「早くしろ」
「おおう」
がらがらと馬車が街道を外れ、闇の中に消えていく。
マサヒデは周りを見渡し、
「これは参りましたね。見える明かりはロストエンジェルの町の明かりと、私達の松明だけだ。ここに居ますよって教えているようなものです」
アルマダも渋い顔で頷く。
「ええ・・・クレール様に、壁を作って囲って頂きましょうか。弓鉄砲で狙い放題です」
「それが良いでしょうね。ふう。米衆連合って大変ですね」
「全くですよ・・・勇者祭も、野盗、山賊も来放題です。明かりに蛾が寄ってくるようなものでしょう。まだ町が見える範囲ですから、大丈夫でしょうが。と、思いたいですがね」
「あと、意外と夜は寒いですね」
マサヒデは途中で鞍袋から引っ張り出した蓑を着て、上に薄っぺらい皮のローブも被っている。アルマダは全身鎧を着ているので、意外と平気そうだ。
「ええ。雪こそ降っていませが、気温は低そうです。火がないと・・・」
イザベルが近付いて来て、鼻を鳴らし、
「マサヒデ様、ハワード様、動物もおります。それほど危険な物はおりませんが、虫がおります。蠍か蛇か、毒らしき臭いがぷんぷんと。この寒さでは動きはしないでしょうが、火の周りにおると動き出すやもしれませぬ」
「ううむ、米衆は野営も大変ですね・・・」
はあ、と3人が溜め息をつく。
これから毎日、こんな野営が続くのだ。
マサヒデがゆっくり馬を進め出すと、皆もとぼとぼと後について来た。




