第116話
マサヒデが山を下りられたのは、翌日になってからであった。
へろへろになって、杖をつきながら歩いて来たマサヒデを見て、訓練区域F入口に居た兵は、金網の入口を開けて苦笑したものだ。
「流石のトミヤス殿でもきつかったですか」
はは、とマサヒデは力なく笑い、
「参りましたよ。日輪国と、生えている植物が違うから、口にして良いか分からなくて。そこに気付かずに山に入った私の不覚です」
ははは、と兵が笑って、
「いやあ! それで10日も過ごしたというのは凄いですよ!」
「そうですかね」
「先に調べておかなかったのは不覚ですが」
たはっ! とマサヒデが肩を落とす。
「いや、全くです」
兵がテントを指差して、
「入口の脇に、食い物と水が入った箱があります。ご承知でしょうが、ゆっくりと少しずつ食べて下さい。急に食べると、胃が驚いて戻したり、酷い下痢になったり、倒れる危険もあります。食事の後は、中のベッドでお休み下さい」
「はい」
マサヒデはよろよろとテントに入り、水が入った瓶と、缶詰、さじを取って、長机の前の折り畳みの椅子に座った。
缶詰を見て、渋い顔。
これも酷い味がするのだろうが・・・
それでも、まともな食事と思うと、意外に力が出る。
ぺきっ、と缶詰を開け、さじの先にほんの少しつけて舐める。
「んむうむ」
酷い味なのに、美味しく感じる、変な感じ。
がっつきたくなる所を我慢して、ぺろり、ぺろりと少しづつ・・・
蝋で隙間なくしっかり封を閉じられた水瓶を取り、ぐ! ぐ! と蓋を動かす。
ぱこん! と音がして、瓶が開いた。
瓶の口の周りの蝋を綺麗に払って、口に入れる。
くぴり。
(美味い!)
酷い味の缶詰の後、疲れ切った後、安心して腰を下ろした後。
水が美味い!
ぐ! と一口入れてしまい、慌てて、うっと口から離し、机に置く。
口の中の水を、少しずつ、少しずつ、喉に入れていく。
「んぱあーっ!」
そして、缶詰にさじをいれ、ぺろり、ぺろり。
ちらりとベッドが目に入った。もう安心して寝られるのだ!
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マサヒデは3時間程、訓練区域F前のテントで仮眠をとった後、宿舎に戻り、半日程寝た。起きた時はもう夜中を過ぎていた。
汚れた服のまま寝てしまったので、起き上がろうと固いベッドに手を付いた時、ざらっと乾いた土の感触がした。
(や、これはしまった)
月明かりにも、ばっちり汚れたシーツが見える。
シャワーを浴びて着替えよう、とズタ袋に手を掛けた時、刀に小さな袋が引っ掛けられているのに気付いた。
何だろう。またカオルか? と、袋をつまみ上げると、ちゃり、と音がした。
床に座って、袋を開けてみると、中に銀貨が入っている。
(金か? 何故?)
ちゃらちゃら、と出すと、一緒に結び文が落ちてきた。
銀貨をポケットに突っ込んで、結び文を持って窓に立つ。
す、す、と結び文を開き、月明かりに当てると、クレールからの文であった。
『訓練を共に過ごされた皆様へ』
ポケットから先程の銀貨を1枚取り出し、月明かりに当ててみると、トミヤス家の家紋、三角三ツト。裏を返すと『トミヤス流』と彫が入っている。
(チャレンジコインだったか)
白露帝国の軍人達と立ち会った時、同じような記念の硬貨をもらった。
あれには、おそらく部隊章であろう禍々しい紋様が彫ってあった。
マサヒデは軍人ではないから、家紋を入れてくれたのだ。
ポケットから全部出して、机に並べる。10枚。
もう夜中。明日が訓練の最終日。
それに気付くと、これまでの訓練が急に思い出されてきた。
(めためたにやられてしまったな。しかも最終日まで耐えられなかった)
窓の外の、暗い基地。
ここに居る軍人は、あれ程ではないにしろ、厳しい訓練を受けているのだ。
刀を取って戦えば、殆どに勝てると思う。
だが、マサヒデが耐えられないような訓練を受けている者は多いはず。
やはり軍人は違う。
軍人が背負っているのは何だろう。
マサヒデが背負っているのは何だろう。
(こういうのは、価値の上下とか、そういうのではないのだろうが)
クレールが作ってくれたチャレンジコインを取り、少し傾ける。
月明かりを反射するチャレンジコインは、安っぽく見えた。
トミヤス流。なんと軽いチャレンジコインであろう。
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翌朝。訓練最終日。
マサヒデが食堂に行くと、脱落者が揃っていた。
居ないのは、アルマダと、陸軍兵が1人。デイビス一等陸尉。
(いや、もう山を下りている途中だろうな)
マサヒデがトレイにマッシュポテトを乗せて、騎士4人のテーブルに座る。
「おはようございます」
「ははは! おはようございます!」
皆、にやにや笑っている。
「マサヒデ殿、お弟子さんにやられましたか。ご家臣ですか」
くく、と苦笑して、スプーンをマッシュポテトに突っ込む。
「家臣ですよ」
「ははは!」
「それがですね、聞いて下さい。誰かが追いかけてくるなあ、とは気付いてたんです。で、疲れたふりして休んでたらですよ。音が聞こえてくるんです」
「ほう? イザベル様が?」
「そうなんですよ。でも、何の音だか分からない。ぱたぱた・・・ぱたぱた・・・これは何の音だろう?」
「ぱたぱた?」
「ええ。何か音が聞こえるんですよ。石投げの紐でもないし、一体これは? なんて思ってたら、がばっと背中に突っ込まれて。気付いたらイザベルさんがナイフをここに当てていたんです」
マサヒデは首にスプーンを当てる。
「で、その時、音の正体が分かったんです」
「何の?」
マサヒデが堪えきれず、くす、と笑って、
「イザベルさんがしっぽを振ってた音でした」
「はーはははは!」
「ふふふ。疲れた。疲れましたよ。でも、良い稽古になりました」
騎士達が笑って頷く。
「ええ。アルマダ様の稽古とは全然違いましたな。アルマダ様に絞られておりますから、まあこれも良い経験かな、程度に高を括っておりましたが」
「ふふふ。イザベルさんは、もっと厳しい訓練だったんでしょうね」
うむうむ、と騎士4人が頷く。
「でしょうな・・・それを越えてきた。いやあ、改めて尊敬致します」
「私もです。あちらの皆さんも」
マサヒデが軍人達のテーブルに目をやると、騎士達も頷く。
「そうだった。今のうちに」
ポケットを叩くと、ちゃり、と音がする。
最後、皆で集まって、イザベルから訓示みたいなものはあるだろうが、その後に時間はないかもしれない。全員、特殊部隊とのことだから、あまり表に出ない人達なのかもしれない。もう顔を合わせる事はないかもしれない・・・
マサヒデは椅子を立って、軍人達のテーブルに歩いて行く。
「おはようございます」
「おう! トミヤス君も、ファッテンベルク様にやられたかね? それとも、お弟子のサダマキさんかね」
ははは! と軍人達の明るい笑い声。
「いやあ、イザベルさんに」
マサヒデはポケットから銀貨を出して、テーブルの上に置く。
「これ。こういうの、記念に贈り合うんですよね」
「・・・」
急にテーブルが静まってしまった。
「あれ、何か・・・」
「トミヤス君なあ」
「はい?」
「これはな、最後に。これで解散! 俺達、一緒に頑張った! そこで渡すんだ」
ローレンス一等陸尉が、マサヒデの手を取って、ぐっと握る。
「こうやってな!」
手の平に、固い感触。
握手の手を離され、手の平を見ると、X印に交わったナイフと、真ん中に上を向いた矢の紋章のコイン。
ローレンス一等陸尉はマサヒデのコインを1枚取って、まじまじと見る。
「ほおう! 面白い紋章だな!」
「それはトミヤス家の家紋です。私は軍人ではないですから」
「家紋か! ん! これはありがたくもらっておこう。残りは訓練終了の時に、皆に渡すんだ」
ざ、とローレンス一等陸尉が腕でマサヒデのコインを戻し、苦笑する。
「全く。こういう渡し方は白けるだろう? なあ?」
「ははは! 知らなくても仕方ないだろうに!」
「全くだ!」
軍人達がげらげら笑う。
「や、申し訳ありませんでした。そう言えば、前もらった時も、別れ際に握手でもらいました。あれが礼儀だったのですね」
おや? と軍人達がマサヒデを見る。
「へえー。初めてではないのか。どこから? 言えるなら教えてくれ」
「あ、んん・・・ちょっと。言えない方々から・・・」
米衆軍に、白露帝国の秘密の実験部隊からもらいました、などとは言えない。
「ほおう! ほうほう! 気になるなあ! 国だけでも」
「いや! 駄目です」
「日輪国の部隊は精鋭揃いと聞くが」
「さ! 知らないです! じゃ!」
マサヒデはそそくさとチャレンジコインを集めて、ポケットにねじ込みながら、テーブルを離れて行った。
「ふふふ・・・」
ローレンスがくるりとひっくり返すと『トミヤス流』と書いてある。
「おおっ。皆、これは結構レアかもしれんぞ」
ほうほう、と皆がマサヒデのコインを覗き込む。
「これで俺もトミヤス流かな?」
「何を言うやら。お前も銃弾を避けられるようになってから、トミヤス流を名乗れ」
「そりゃあ無理だ! ははは!」




