第105話
訓練区域Fの山中。
マサヒデ達が山に入り、10日が経った。残りはもう4日である。
イザベルはテント内の名簿を取り、ふんふん、と頷いて、
「カオル殿、これは驚きました。脱落者がたったの3人」
「おや? これは意外。皆様、頑張っておられますね」
「サクマ殿、リー殿」
ぴく、とイザベルの眉が動く。
「ローレンス・・・一等陸尉」
何だ? どうしたのだ?
カオルがイザベルを見ていると、ばさ! と名簿を机に投げる。
「ちっ! 二等陸尉も参加しておりますに、此奴、何をしておるやら・・・上官であろうが」
カオルが苦笑して、まあまあ、とイザベルを抑えるように両手を出す。
「イザベル様、時の運もございます。マサヒデ様やハワード様と鉢合わせた、などかもしれませぬし」
「まあ・・・はい」
「それに・・・こういう場合、職ではなく、個の力が試されるもの。尉官ともなりますと、個の力よりも指揮能力を重視されるのでは」
「はい・・・まあ、そうですが」
むっすりとイザベルが拗ねているが、カオルは笑った。
「さて、我々もそろそろ参りましょう」
カオルの手に、くるん、と見事に艶消しされたカランビットナイフが回る。
マサヒデの愛刀、雲切丸を手掛けた名研師、イマイが手掛けた一品。
「私はこのナイフで」
イザベルは机の上の鞭を取った。
「では私めはこれで」
ぷ! とカオルが吹き出した。
「おお怖い! 鬼軍曹は山にも現れますか! あれや天狗と思われるやも」
「ふふふ。天狗はカオル殿では。さて! どこから参りましょうか!」
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山の入口、と言っても明確な道というものはないが、そろそろ傾斜が、木が、といった所で、イザベルが足を止めた。
「カオル殿、はや10日が経っております。我らは元気一杯。私達が組みますと、皆、歯も立ちますまい。流石にマサヒデ様、ハワード様も仕留められましょう」
「おやおや! これは大きく出られました!」
笑いながらも、カオルも同じ事を考えていたようで、にやにやしながら頷く。
イザベルは右手の鞭を右に向け、
「と言ったわけで、私はこちら側を見て参ります」
「はい。では私は左でございますね」
笑顔で頷き合い、2人はそこで分かれていった。
「わーれらは魔王軍ー♪ 世界最っ強の歩兵隊ー♪」
イザベルが歌を歌いながら、木の立ち並ぶ山に入っていく。
カオルはそれを見送ってから、山に向かって歩いて行った。
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「ふんふふふ、ふーんふんふーんふーんー・・・」
イザベルが鼻歌を歌いながら歩いて行く。
(おやおや!)
固まった臭い。1人ではない。2人、3人、もっと。
(やれ小賢しい臆病者よ。手を組みおったか)
まあこうなるかとは十分に予想していた。
組んでいるのは・・・
ぷち。
ぶうん!
恐ろしい勢いで、しなって止められた太い枝が、恐ろしい音を立てて振られて来た。
が、イザベルは何事もなく、ぱしっと手で受け止めた。
「ほうほう」
同じ場所に足元にも。
足で軽く蹴ってみる。
ぷち。
ぶうん!
こちらも、イザベルのブーツの底で、がつんと軽く止められた。
「んん・・・まあまあ、かな」
もう少し欲しい所。
上下2重に仕掛けてあるから、合格はやるか。
イザベルでなくとも、マサヒデやアルマダは勿論、騎士達にも止められるだろう。
イザベルであれば、これを囮に、同じような仕掛けを他に作っておき、連動させる。
その他の方には、石をスリングのように飛ばすようにするか。
頭に当たれば、うっかり落とした西瓜のように、ぱかん。
そこまで凝らなくても、この下に小さな落とし穴などはどうだ。
L字型に浅く掘り、足が抜けないようにする。こうすれば避けられない。
穴を掘る手間など、大したものではない。
このくらいはしてほしかった。
(そこまでは欲張りすぎか。が!)
上下2本。ただ、太い枝が張ってあるだけ。
イザベルとカオルが追うぞ、とは言い含めてあった。
これがイザベルに直撃しても止められない。
あくまで人族相手にしかなっていない。
勿論、人族なら止められる。直撃したら一発でノックダウンだ。
頑丈な狼族のイザベルが追って来るぞ!
分かっているなら、枝の先に、石や杭でも結んでおくべき。
手と足で止めた枝を、頭を下げてくぐり抜け、枝の向きを反対にして、罠を仕掛け直す。
「ふふふ」
この先には人が固まっている。海軍兵だ。
ここから先はトラップ地帯。
罠を全部仕掛け直してやろうか。飛び込んで逃げ出したら面白かろう。
(ま、それほど時間もないか)
残念だが、真っ直ぐ行くか・・・
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さてカオルの方は。
(くくく)
カオルが腕を組んで立っている枝の下には、陸軍兵。
浅く穴を掘り、上には落ち葉。すぐ側には、解体しかけの新しい鹿の死体。
中々凝ったものだ。
やれ食料、と警戒しながらも寄って来る。
これは罠では? 誰も居ないのか? それとも近くに?
恐る恐る鹿に手に掛け、肉を切り出した所で、というわけか。
(他の参加者を舐めているな)
誰も引っ掛からないだろう。
だが、この隠形は一般の者にしては中々。
これはイザベルでも、目だけでは分かるまい。鼻ですぐバレる・・・
(あ、なるほど!)
鹿の遺体は、血の香でイザベルの鼻を誤魔化す為だ。
万が一、誰ぞ引っかかればおまけに、という程度。
やれやれ呆れたぞ、などとイザベルが様子を見に来たら、という訳だ。
(そうか! この者は最初からイザベル様狙いであったか!)
中々、肝が据わっているではないか!
「ちち、ちちち・・・ひゅい、ひゅい・・・ちちち・・・」
小鳥の鳴き声。
勿論、カオルの口から出た音。
(くくく)
「ちちち! ち! ち!」
かさ。
ほんの少し、落ち葉が動いた。
「!」
カオルには、目線がばっちり合ったのが分かった。
息を飲む音が聞こえた。
「くくく・・・白旗を上げても良うございますよ」
静かな声であったが、隠れている者にはばっちり聞こえたはずだ。
ばしゃっと葉を撒き散らし、下から兵が飛び出てくる。
手には石の短槍。
「ははあ」
するん、と滑るように、カオルが枝から落ちてきて、ふわりと地に降りる。
(陸軍兵か)
顔を黒く塗っている兵が、ぎょっとしたのが見えた。
カオルが下りた時、かさ、とほんの少し葉が鳴った程度で、ほとんど聞こえなかったのだ。声を掛けられなかったら、真横に下りられても気付かなかったに違いない。
風が吹いて、かさかさと枝が揺れ、ぱらぱら、と落ち葉が流れていく。
どきりとして、陸軍兵の腰が引けたのが見えた。
(そこまで驚く事もあるまいに)
カオルは思わずくすっと笑ってしまったが、軍人達は皆、カオルは山伏が使う密教術なる未知の魔術のようなものを使うぞ、と聞かされている。
忍の術を使った時にバレないよう、マサヒデとアルマダが先に言っておいたのだ。
そして、最も得意なのが、風の神を下ろす術である、と。
風が吹いて腰が引けるのも当然だが、そんな事を言われていたなどと、カオルは知らない。
「ふふふ。お逃げになっても構いませぬが」
かさかさ、と風に吹かれた落ち葉が転がっていく。
「私から逃げられましょうか」
「ふ!」
突き出された短槍を、軽くナイフで左上に流す。
左手で手刀を入れると、短槍がいとも簡単に折れてしまった。
「ふふふ」
折れた短槍が投げつけられ、一瞬遅れて、落ち葉と泥が蹴り上げられる。
(中々)
ひょいと横に避ける。
短槍に目が取られていると、もろに泥を被った所だ。
「今のは良うございました。ささ、続けましょう」
陸軍兵は、ベルトに挟んでいた、石のナイフのようなものを抜き、半身で腰を落とした。
(諦めぬか! 流石!)
感心しながら、カオルが手を軽く動かすと、くるりとカランビットナイフが出て来た。
「良いナイフです。私はこのナイフで」
一歩踏み出した瞬間、は! とカオルが半身になった。
「ん・・・」
陸軍兵が半身になって隠した左手に、いつの間にか石が握られていた。
顔に投げつけると同時に、腹にナイフが来た。
しかも、石を投げる一瞬、ちらりと目を動かした。
目でフェイントまで入れてきたのだ。
これはかなりの高等技術。
「流石!」
「ぬ!」
引かれたナイフと一緒にカオルが踏み込む。
ナイフが引かれると同時に、などと出来る事ではない。
上級者同士のナイフの場合、どこでも良いので、斬るか刺すか。
少しずつ弱らせる、ただ速さのみの動き。中々急所には入らないからだ。
それに合わせて体ごと前に出てくるなど、とてもあり得ない。
「何!?」
陸軍兵が声を上げた時には、カオルは真横に立ち、ナイフを首に当てていた。
「動くと死んでしまうので、動かないで下さい」
「・・・」
三日月の曲線のカランビットナイフの内側が、びたりと首に当たっている。
こくん、こくん、と首が脈打つたびに、ナイフの刃を感じる。
カオルの左手が伸び、ぱちん、と陸軍兵の腰のポーチを開け、白旗を出す。
ぺん、と腕に乗せて、ナイフを引いた。
「流石の動きでしたが、失格です。山を下りて下さい」
「はい」
陸軍兵が石のナイフを放り投げ、右手で旗をひらひら振りながら歩いて行く。
去ってから、
「ふう!」
と、カオルが大きく息をついた。
たった一突きの攻防であったが、何重にも重ねられた一突きであった。




