第91話 帰る場所
「帰る、場所?」
アレクシス不審げに侍女の言葉を反芻する。
「姫様がどこまで遠くに行っても、戻りたくなる場所になるんです」
「だって、ともに生きる、で勝負したところで、シキ様には最初からかないっこありません。もっと別の角度で攻めないと!」
王は黙る。
――不本意だ。
できることなら永遠に閉じ込めて、ずっとそばに置きたいのに?
しかし。
「姫様は、自由を好む方です。でも」
「帰る場所があるからこそ、どこまでも自由に遠くにいけるんです」
「シキ様は、姫様と<ともに生きる者>です。ならば、陛下は、姫様の<帰る場所>になればいい」
「・・・要するに、次に会うとき、どう口説けば?」
ユイは、頬杖をついたまま、けろりと言った。
「でもぉ、陛下、もうかなり近いですよ?」
アレクシスが眉を寄せる。
「何にだ」
「姫様の“帰る場所”に」
さらり、と。
「中毒性あるんですよねぇ、陛下」
ルシアンがむせた。
「おい」
「だってぇ」
ユイは、焼き菓子をつまみながら続ける。
「姫様って、本来、誰かに依存するタイプじゃないんですよ」
「むしろ逆」
「全部背負って、自分が先に壊れるタイプ」
静蘭が、静かに紅茶を口へ運ぶ。
ユイは、にやりと笑った。
「なのに陛下といる時だけ、たまに“弱くなってもいい顔”するんです」
アレクシスの指先が、ぴくりと止まる。
「だからぁ」
「たぶん、ハマってるのは姫様のほうですよ」
ユイは、面白そうに続けた。
「しかも最悪なことに、陛下って、じわじわ効くタイプなんですよねぇ」
「・・・それは褒めているのか?」
「ええ?」
きょとん、とした顔。
「一時の激情より、永遠に燻り続ける残火のほうが厄介でしょう?」
静蘭が、ふ、と笑う。
「確かに」
ユイは、こくこく頷いた。
「ちなみに、カヨウ様は、燃え上がる火なんですよ。なにもかもを、ダッキの熱情の業火で焼き尽くしてしまう。欲しいものを手に入れるために手段を選ばない」
「シキ様はぁ……」
ユイは、しばらく考えるみたいに首を傾げてから、ぽつりと言う。
「火っていうより、“呼吸”ですかね」
静蘭が、わずかに目を細めた。
「呼吸?」
「はい」
ユイは、焼き菓子をくるくる回す。
「普段は、あるのが当たり前すぎて、意識しないんですよ」
「でも」
「失くなると、生きていけない」
静かになる。
「姫様にとって、シキ様って、多分そういう存在です」
アレクシスは、黙って聞いていた。
ユイは続ける。
「でも陛下は違う」
焼き菓子を齧る。
「消えない残り火です」
静かな声だった。
「気づいた頃には、もう、ずっと心の奥に居座ってる。火種のままずっとくすぶり続けて、結局、無視できなくなる」
アレクシスは、しばらく黙っていた。
やがて。
低く、小さく呟く。
「・・・それで、ラゴウは、戻るか」
ユイは、にやっと笑う。
「戻ります。きっと。どんなに遠くに離れたとしも。姫様の帰る場所は、ひとつですから」
でもぉ、と舌足らずな口調でユイが言う。
「でも?」
「うかうかしてたら、間に合わなくなります」
アレクシスの目が凍る。
「シキ様は、姫様を<奪わない>。求めない。呼ばない。でも、もし姫様が一度でもその手を取れば。自分の腕の中へ<堕ちて>きたら。その瞬間に、永遠に囲うと思うんです。そうなったら、いくら陛下でも取り戻せないかも」
それに、と続ける。
「姫様はカヨウ様に恋愛感情なんかみじんもないと思うんですけど、こっちはカヨウ様がかなりヤバイ。元々姫様に執着してる上に、実は、草原にはジョカの正統性を求める者もかなり多いんです。そのあたりを掌握するためにも、カヨウ様は1日でも早く姫様と婚姻を結びたいはず」
「・・・婚姻、だと」
アレクシスの表情が変わる。
「ぐずぐずはしてられないってことです」
「まだナイルート協定が完全には締結していない。婚姻はこれが落ち着いてからなんじゃないのか」
ルシアンが口を挟む。
「レザリアの王と離縁したばかりなのに、すぐに再嫁というのも、あまり外聞が良い話ではありませんわね」
静蘭も言う。
「まあ、そういう諸々の事情があって、カヨウ様は<待たされて>いる状態なんだと思います。・・・とはいえ。レザリアに嫁いだ姫様に、心身を狂わせる月白花を贈り続けたひとなんですよ。どんな手を使ってくるか、分かったもんじゃありません」
静蘭は、そっとティーカップを置いた。
その紫水晶の瞳が、静かに細まる。
「では」
やわらかな声。
「久しぶりに、占って差し上げましょうか」
アレクシスが視線を向ける。
静蘭は、どこか愉しげに微笑んだ。
「陛下の未来の象意を」
細長い指先が、卓上へ数枚の札を並べる。
静寂。
窓の外で風が鳴った。
一枚目がめくられる。
「恋人」
静蘭が微笑む。
「これは分かりやすいですわね」
ユイが吹き出した。
「姫様ですねぇ」
アレクシスは無言だった。
二枚目。
「王」
静蘭が小さく頷く。
「現在」
「陛下ご自身」
ルシアンも納得したように息を吐く。
問題は。
三枚目だった。
静蘭の指先が止まる。
珍しく。
ほんのわずかに。
表情が動いた。
「……あら」
ユイが首を傾げる。
「なんです?」
静蘭は、静かに札を返した。
描かれていたのは。
崩れ落ちる塔。
雷。
炎。
落下する人影。
ルシアンが眉をひそめる。
「不吉だな」
静蘭は、しばらくその絵柄を見つめていた。
そして。
静かに告げる。
「崩壊」
「失脚」
「拘束」
「裏切り」
部屋の空気が変わった。
ユイの笑顔も消える。
「積み上げたものを失う象意ですわ」
アレクシスは黙っていた。
静蘭は続ける。
「ですが」
紫水晶の瞳が細くなる。
「死ではありません」
沈黙。
「むしろ、その先に再生がある」
ルシアンが顔を上げる。
「つまり?」
静蘭は、もう一枚だけ札を引いた。
まるで何かを確かめるように。
そして。
今度こそ。
はっきりと目を見開いた。
「……まあ」
その反応に。
アレクシスが初めて眉を寄せる。
「何が出た」
静蘭は答えない。
しばらく札を見つめたまま。
やがて。
ふっと笑った。
「女帝ですわ」
沈黙。
アレクシスの青灰の瞳が細まる。
ラゴウ。
誰もが同じ人物を思い浮かべた。
静蘭は、意味ありげに微笑む。
「陛下の命運は」
そっと札を閉じる。
「どうやら、その女帝の手に握られているようですね」
風が吹いた。
窓辺のカーテンが揺れる。
第91話をお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、久しぶりにユイが好き放題しゃべる回でした。
ラゴウにとって三人がどういう存在なのか。
ユイなりに分析した結果です。
また、終盤では静蘭が久しぶりに占いを披露しました。
恋人。
王。
塔。
そして女帝。
不穏な札が並びましたが、未来はまだ決まっていません。
王と女帝。
草原とレザリア。
そして、それぞれの思惑。
引き続き、お付き合いいただければ嬉しいです。




